第二十三話 ルルージュとルルージャ

文字数 5,830文字

「族長!先へ行って下さい!」
魔女らが平原を駆けていた頃。久しくアヌーダの森奥で咆哮が響いていた。
どうやら遠くにいる少女の願いは叶わなかったようだ。特に”無事に”と言う条件は満たせそうにない。
「ロウダ!」
族長の声が響いた時、既に彼は腰元に吊るされた革袋から球体を取り出していた。それは、先代の経験を元に一同全員に装備されている、この森奥を攻略する上での必需品であった。
彼は振り返り様に迷いなくそれを投げ飛ばした。その仕草を見た、族長を初めとした一同は即座に目を伏せる。地面にそれが触れた瞬間、眩い閃光が辺りを包み込んだ。
――チカッ!
「キエエエエ!」
甲高い叫声が辺りに響き渡った。それは行いに効果があった証である。しかし油断などしてはいられない。ロウダと呼ばれた男の手には、既に新たな物が握られていた。
放たれた球体の意味は十分に理解している。一同の足が止まる様子などない。皆それぞれ、迷いなくひたすらに目的地へと向かっている。
(そろそろだな)
一時の思考を経て、ロウダは振り返った。そして少しの間を置いて、新たに握られていたその金属の筒が、手の平から放たれ弧を描いた。それは目標が先ほどの目眩しを解き、再び意識を取り戻したであろう時間であった。
――チカッ!……キン!
その音が鳴り響いた時、一同は身をより低くした。勿論、足の動きは止まらず先を急いでいる。その様子を見るに、いかにこの事態を想定していたのかが伺える。
ロウダが投げたそれは『ダッカの実』と呼ばれる、強い衝撃を与えると光を放ちながら破裂する木の実であった。戦地に置いて、敵兵の馬を驚かす際によく重宝されるのだが、ここでも活躍を見せた。ルルージャの祖先の仲間が得た「女王の冠は音に非常によく反応した」という経験。それが現代でも大いに生かされているのである。
特に女王の冠は剣を抜いた際に発するような、甲高い音によく反応するという推測。これは
後に大きな功績を遺した。ロウダの手に握られていた筒は、ダッカの実を用いて作られた誘具で、衝撃を与えると共に高音と閃光を放つように加工されていたのであった。
――ダッダッダッダ……。
いくら強大な力を持つ野生動物とはいえ、しょせんは獣である。人の知恵には敵わない。足音は誘具に導かれ、徐々に一同から遠のいてゆく。
(よし。今のうちに……!)
最後尾に着く、短髪の青年の心に少しの安堵が覆った。しかし、のんびりしている暇などはない。一同は音を立てぬよう、身を低くしたまま、目的の地へと駆ける事を止めなかった。おそらくその地まで、あと数分は駆けなければならない。
(……”族長”なんて本当に恐れ多いわ)
後尾から二番目。全力で足を競えば、彼女は一同の中で、間違いなく一番に遅れを取るであろう。いくら目的の要であるとはいえ、郷の長の心が忍びない気持ちで満たされていたのは、ロウダと呼ばれた青年が、敢えて自ら最後尾を守る姿勢を取ったからであった。
族長。本来であれば、郷の長という事で"郷長"と呼ばれるのが相応しい。何故彼女が皆からそう呼ばれているのか。この所以は、これまた百六十年前に遡る。これはルドラの祖先、ルルージュがアヌーダの森奥を目指した理由にも大きく触れている。

遥か昔。このアリエ帝国が誕生する千年以上も前のこと。エルビス山脈の麓を生活拠点としていた原住民の部族”マナトラ族”と呼ばれる一族がいた。何でも、彼らは”交霊術”に精通しており、この地に宿る数多の精霊たちと交信し、その知恵や力を授かり過酷な自然界を生き抜いていたという。
グリンデらは百六十年前に、このマナトラ族の存在を知り、エレメスタとの抗争で精霊の力を得るためにその血を引くものを探しだした。そう、それがルルージュだったのである。
おそらくマナトラ族の派生が辿り着いた地であったのだろう。ルルージュはアリエ帝国の北方にある、交霊術の伝承が伝わる村で暮らしていた。グリンデの仲間がその村に辿り着き、当時の村長に事情を伝えると、マナトラ族の特徴を強く受け継いでいたルルージャが選抜され、交霊術を身に着けたそうだ。
とは言っても、とても楽な話ではなかった。交霊術を身に着けるには、過酷な試練を乗り越えなければならない。カヤの葉を中心に作られた劇薬を呑み、死後の世界を体感した後、無事に生還した者だけがその力を得ることが出来るという。普通の人間であれば、カヤの葉を少し噛んだだけでも死に至る。やはり、古くより耐性を積んだマナトラ族の血を持つ者でないと、それを乗り越えることはできないとされている。
しかし、その交霊術に関する知識も、元を辿れば何千年も前の話。ましてルルージャも、マナトラ族の血を引いているとはいえ時代を超えてそれは薄まり、カヤの葉に関しての効力も低くなっていた。が故に、彼女は伝承よりも多くの苦しみを得ることになってしまった。
カヤの葉を副因して死の世界を彷徨い、こちらの世界へ戻ってくるまでの期間、つまり解毒するまでに三日三晩を要すると伝えられていたのだが、彼女は違った。丸五日間、大粒の汗を伴い、魘されていたという。六日目に意識を失い、ぴくりとも動かなくなった。誰しもが絶望を予想していた七日目、焦点の定まらぬ瞳が開いたそうだ。
丸一週間、生死を彷徨う程の反動は、彼女の身体にも著しい変化を与えた。北の地域に住む人々の多くが有する赤みがかった栗毛も、燃え尽きた木材のように灰色に染まり、瞳までそれに習った。その容姿の特徴はまるで伝説の古龍を思わせ、その場に居合わせた者を畏怖させた。
ルドラも交霊術を身に着けた際、同じように七日前後も生死を彷徨い、この容姿に成り果てた。勿論、理由は多々あるのだが、若い女性が多くの人間を纏められる”族長”に成れたのも、この畏怖ある容姿も大きな要因の一つであろう。
ルルージャは交霊術を習得した際に、この容姿以外にも一点、以前の日常と大きくかけ離れた”とある能力”を得ることになり苦悩することとなったのだが、他は何ら変わりなく後遺症もなかった。時は待ってはくれない。すぐさまグリンデの仲間と共にアヌーダの森奥に向かったそうだ。
森の難関を超え、マナトラ族の聖地に辿り着いた時、一同は驚愕した。目に広がる景色は、女王の冠の領地を超えたばかりの緊張感を即座に癒した。
水面は青碧。森をくりぬいたかのように、口を開ける湖面。その場を囲む無数の”乙女の涙”、水に浮かぶ”水泡花”らによる演出も相極まっていた。その場だけ空気をろ過したかのようであったという。そして目には見えない、何者かの気配。それは決して邪悪ではない。ただ大いなる気配を皆が感じ取り、息をするのも忘れたそうだ。
ルルージュは伝承にあったように、恐る恐る泉に浸かり、その水を口にした。
――貴方は誰?
その囁きは、泉の水が喉元を通り過ぎた時に、より濃く聴こえたという。それと同時に、鎖が身を纏うような感覚がルルージュを襲った。たちまち身体は硬直したまま動かなくなった。
――貴方は誰なの?
やはり幻聴ではなかったようだ。女性の麗しい声が脳内に木霊している。それだけではない。頬を撫でるような感触。身体を包むように巻き上げる風。それは確かにルルージュを襲っていた。
そして無意識に行われた呼吸。大きく吸い込まれた空気に伴って、何かが身体に入って来るような感覚。それも確かに彼女に起こった事実であった。直後に襲う、闇。瞬く間に彼女は意識を奪われた。
まるで夢を見ているかのようであったという。ただ、これは意識下の出来事であると悟っており、その場から伝わる感覚はまるで現実そのものだったと、後に彼女は語っていたそうだ。
足元には波紋。遠くには果てのない暗闇。自分の周りだけ微かな灯りで照らされており、まるで円柱の鍾乳洞の中にでもいるかのようであった。
(……あれは何?魚?)
薄暗がりの中で、何かが宙を舞っているのだ。その姿は蝶とも魚とも似付かない。青白い光を纏いながら、手の平大の何かが辺りをくるくると旋回している。
声は頭上から降ってきた。直接脳に語るような響きは続く。
――死地を見たのね。
死地。その言葉は、カヤの葉を服用したルルージュには親しい。声は尚も続く。
――あの地を知らない者はここへは来れないものね。
「貴方はあのリョキ様なのですか?」
無意識に溢れた声。ルルージャは古くから村に伝えられていた、大精霊の名を辺りに響かせた。
――そう呼ばれていたような気もするわ。
ルルージュの視線は、声のする天井へと吸い寄せられた。暗闇で何かが舞っている。暫くすると、するすると弧を描きながら声の主が闇から降りてきた。その姿は大蛇のようだが、どうも違う。背中に魚にあるような鰭があり、額には水色の結晶が煌いている。
――もう名前も忘れてしまった。
その螺旋は声を伴い、足元の水面の際に止まった。大蛇は眼前で蜷局を巻いている。その姿は実に大きい。
伴う寒気。これは恐怖によるものとは少し違う。この感覚は、大いなる存在を目の当たりにした者にしか伝わらないであろう。
――こちらの姿の方が、まだ親しみを感じるかしら。
煌きがルルージュの視界を奪った。遮った腕をどかした際にはもう大蛇はいない。代わりに現れたのは美しき女性であった。その者は宙に浮かび、泳ぐようにくるりと周りを一周した。
――貴方たちと遠い昔に交わった記憶があるわ。
その女性は姿型は人と同じだが、どこか先程の大蛇の姿を捉えている。額の鰭、そして瞳のような結晶。それが名残として残されている。
そっと、頬に触れる冷たい感触。麗しき女性が頬に手をやり、こちらの瞳を見つめている。そして脳裏に浮かぶ見たこともない景色は、村に伝わっていた伝承の一つを体感した瞬間であった。
――久しい客人だもの。少しばかりお話ししたいわ。
……その言葉を皮切りに始まる問答。それは実に悠長な物だったという。対話の終わりを迎えた際、その女性はルルージュを認め、彼女の両手を握りしめ姿を消したそうだ
意識をこちらの世界へ取り戻し、瞳を開けるルルージュ。その眼差しは虚ろ。意識の主は明らかに彼女ではなかった。仲間たちもそれを悟ってか、思わず膝を地につけた。ルルージュなる者が発した声。それはまるで二人の女性によるものであるかのように、重なりを見せたという。
――我が親愛なる友の同志たちよ。
その言葉はルルージュが"交霊術"を成功させ、目的を達成した証でもあった。人々の呼吸音は、森の中から完全に消え去った。
――少しの力を授けよう。
重なる反響。
大精霊リョキは、悠久の時を過ごしている為なのか、断片的に少しの未来が見えるという。ルルージュがあの"異空間"にて大精霊に頬を触れられた瞬間、絵画の様にその未来が脳内に浮かんだそうだ。
ルルージュに宿った精霊は、その未来の断片の詳細を傍にいた仲間達に伝え、エレメスタとの抗争の未来を変えた。
しかしながら大精霊。その御身を宿すだけでも困難極まりない。いくら血を引いているとはいえ、人の身には限度があった。次元の違う者との交流は、たかが数秒で絶え、ルルージュの身体は泉の水に含んだ土に触れてしまった。
そこで交霊は終わったかの様に思われた。しかし、頬に地をつけたまま、微かに言葉が紡がれた。
――我、ルルージャ。この地を守るべく、この者に力を貸そう。
大精霊はあまりに長きの時を経ており、久しく自身の名まで忘れていた。久しい交霊、そして彼女の心に触れた大妖精は、ルルージュに親しみを込め自身を"ルルージャ"と名乗るようにしたという。この最初の交霊の際にルルージュは大精霊の心まで得ていたのだ。ルルージュは予想を超えて大精霊の力を借りる事が出来、魔女の仲間たち、そして人類に大いなる栄光を与えたのであった。
荒ぶる呼吸の中、後に意識を取り戻したルルージュより話を聞いた仲間たちは歓喜に潤った。
「あんたはやっぱ凄ぇわ!マナトラ族でもそんな奴いやしねぇよ!過去に戻れば、間違いなくあんたが族長だろうよ!」
「ははは!族長!違いねぇや!」
暫くの間、アヌーダの森の聖地には"族長"という言葉が響き渡っていたという。それ以来、交霊術の力を得た者、ルルージュの血を引く、アヌーダの郷の長は『族長』と呼ばれるようになったと伝えられている。

(……私が"族長"だなんて。私が族長ならグリンデ様は何と呼べば良いの?)
空想を膨らませていた、若き長のそれはすぐさま消えた。後ろに続く、青年の精神の乱れを察っしたからである。
「ロウダ!」
その"察し"よりわずか半秒後、倒れ込む音が族長を襲った。
(くそ!もう追いついたか!)
女王の冠の速度は、人の予測を超えていたようだ。憎き怪鳥の爪先がその青年の服袖をかすめ、彼の足を止めたのであった。
「ロウ……!」
族長の次の言葉を防いだのは、更なる"察する"感覚が全身を襲ったからであった。彼女の数十歩も先を急いでいた仲間の一人の足が止まり、こちらを向いて駆け出す姿を族長は勿論見逃さなかった。
「アシル!」
それに対する返答は早い。
「族長。先へ行って下さい!貴方が倒れては、我々も意味を失います!」
青年が持つ、金色の長髪が目の前で靡き、消えた。ルドラが強く唇を噛み、少しの血を流したことは、そのアシルと言う者は知らないであろう。ルドラはその言葉の意味を良く理解していた。彼女も優秀なのである。自分の役割が何であるのか。それを十分な理解をしていたのであった。
「大丈夫ですよ!我々必ず戻りますから!」
その気持ちを即座に察し、言葉を放つアシル。いかにこの族長が愛されているのかがわかる一幕である。が、ルドラにとっては、この配慮も痛く重い。
言葉の後に、凄まじい金属音が鳴った。その音を聞いたルドラの口元に、新たな血の滴が伝わる。
もう振り返る余裕すらない。しかし、立ち止まっていては仲間の想いまで失ってしまうかもしれない。ルドラは、そして残された仲間たちは、ひたすらに森の奥へと駆けるしかないのであった。
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