盲目の恋
文字数 2,000文字
ああ、今日は良い葬式だった。
私のヴェーカ。私の愛しい妻よ。聞こえているかい?
お前には分かっていたかい、自分の葬式の様子が? おおぜいの人が来てくれた、みんな声を出して泣いていた。お前はずいぶん、みんなに愛されていたんだね。お前が生きていた時から、身に染みて分かってはいたけれど……。
ねえヴェーカ。お前が生きているうちに、言えなかったことがある。六十年を添 い遂 げて、言えなかった秘密がある。今でも意識があるのなら、今さらだけど聞いてくれ。
お前は名家の娘だった。そうしてたいそう美人だった。そうして自分の「美しさ」ばかりを周りが褒 めそやすことに、芯からうんざりしていたんだ。
その時私は異国からお前の国にやって来ていた、一人の若い語 り部 だった。お前もよく知っての通り、この世界には「万国共通」の言葉がある。だから私は異国の話を取り入れるため、語り部の修行のために、お前の国にやって来たんだ。
そうして私は、たまたま見かけたお前に恋をしてしまったんだ。お前はあの時、捨てられた子猫にこっそりご飯をやっていたね。見るからにボロボロで明らかな皮膚病にやられている、みすぼらしい子猫の頭をとても優しく撫 でていたね……。
「かわいそう」と口で言うのは簡単だが、育ちの良いお嬢さまにはなかなか出来ることじゃない。私はその時、胸が苦しくなるくらいお前が好きになったんだ。
けれど私も当時うわさに聞いていた、お前はどこの誰が何を言っても「決してお嫁には行きません」と見事に振ってしまうって。そして私はお前の気持ちを知っていたんだ。きっと彼女は「自分の容姿にばかり惚れるやからが嫌なんだ」って。
それが、どうして分かったのかって? 簡単なことだ。私の母も同じように美しく、同じように不快な思いを重ねたからだ。そうして私の父が、そんな母の心を射止められたのは――。
父が、生まれつき目が見えなかったから。
母は見た目に関係なく、自分を芯から愛してくれた父を愛した。だから私は、父と同じように目が見えなくなれば良いと、その時本気で考えたんだ。
そうだ。私は目を潰した。自分の両目をこの手で潰した。他でもない、お前の心を射止めるために。幸いにも私は語り部、商売に必要なお話は決まって「口伝 」で伝えられる。そこに文字は、ひいては両目は必要ない。
だから、私は両目を潰した。そんな私を、お前は「生まれついて目の見えない者」として、 心から愛してくれたんだ。自分の容姿に関係なく、その中身を丸ごと愛してくれる相手と思って、六十年間愛してくれた。
もちろんお前の両親は、私との結婚に反対だった。そんな異国から来た旅人一人に、貴族の両親が娘をやりたいはずはない。
けれどもお前はまるで言うことを聞かなかった。「この人と一緒になれなければ、生きているかいがありません」と……両親の目の前で、舌を噛み切ろうとしたんだ。
口から血を噴いて倒れる娘のその姿、実の親にはどれだけ衝撃だっただろう? それからはもう、両親はお前に何も言わなかった。私はお前と結婚出来た。
子どもも出来た、孫も産まれた。初めて子どもの出来た時に、お前の両親とも和解した。私の両親にも、何べんか子どもを連れて会いに行けた。語り部としてもそこそこ名も売れた。
そうして、いつだって私のとなりにお前がいた。
もう私には悔いはない。もういつ天国のお前のとなりに逝 っても構わない。でもお前は、一生嘘を貫 き通した私を許してくれるかな?
――ねえお前、本当は知っていたんだろう?
分かっているよ、こんな嘘、すぐさまばれるに決まってる。元々私が「見えていた」のを、知っている者はおおぜいいるんだ。
私の両親に会いに行った時だって、父も母も初めは何だかしどろもどろだったろう。当然のことだ、自分の息子が「妻恋しさに目を潰したけど、知らないふりをしておくれ」とこっそり頼んできた後だもの!
けれども……お前はずっと、そんなことすら知らないふりをしてくれた。お前への恋に狂って両目を潰した愚かな男を、六十年間愛してくれた。
確かに、私はずっと嘘をついていた。嘘に気づいて、知らないふりをしてくれるお前に、それにも気づかぬふりをした。
けれども――お前への愛は本物だ。もう悔いはない。もうじき歳で、天国のお前のとなりに逝けるその日を楽しみに、本当の余生を送るとするよ。
そうして生まれ変われたら、今度は何の変哲もない、お互いに美しくも何ともない普通の顔で、また何度でも、夫婦になってくれるかい? ……。
そう一人きりのベットの上でつぶやいて、老人はしなびた体を丸く縮めた。涙の出ない両目の代わりに、体をよじって全身でむせび泣き出した。
窓の外に、満ち足りて丸い月が出ていた。
月は何も知らぬげに、そのくせ全てを知っているとでも言いたげに、白い光で老人のほおを涙の代わりに濡らしてやった。
私のヴェーカ。私の愛しい妻よ。聞こえているかい?
お前には分かっていたかい、自分の葬式の様子が? おおぜいの人が来てくれた、みんな声を出して泣いていた。お前はずいぶん、みんなに愛されていたんだね。お前が生きていた時から、身に染みて分かってはいたけれど……。
ねえヴェーカ。お前が生きているうちに、言えなかったことがある。六十年を
お前は名家の娘だった。そうしてたいそう美人だった。そうして自分の「美しさ」ばかりを周りが
その時私は異国からお前の国にやって来ていた、一人の若い
そうして私は、たまたま見かけたお前に恋をしてしまったんだ。お前はあの時、捨てられた子猫にこっそりご飯をやっていたね。見るからにボロボロで明らかな皮膚病にやられている、みすぼらしい子猫の頭をとても優しく
「かわいそう」と口で言うのは簡単だが、育ちの良いお嬢さまにはなかなか出来ることじゃない。私はその時、胸が苦しくなるくらいお前が好きになったんだ。
けれど私も当時うわさに聞いていた、お前はどこの誰が何を言っても「決してお嫁には行きません」と見事に振ってしまうって。そして私はお前の気持ちを知っていたんだ。きっと彼女は「自分の容姿にばかり惚れるやからが嫌なんだ」って。
それが、どうして分かったのかって? 簡単なことだ。私の母も同じように美しく、同じように不快な思いを重ねたからだ。そうして私の父が、そんな母の心を射止められたのは――。
父が、生まれつき目が見えなかったから。
母は見た目に関係なく、自分を芯から愛してくれた父を愛した。だから私は、父と同じように目が見えなくなれば良いと、その時本気で考えたんだ。
そうだ。私は目を潰した。自分の両目をこの手で潰した。他でもない、お前の心を射止めるために。幸いにも私は語り部、商売に必要なお話は決まって「
だから、私は両目を潰した。そんな私を、お前は「生まれついて目の見えない者」として、 心から愛してくれたんだ。自分の容姿に関係なく、その中身を丸ごと愛してくれる相手と思って、六十年間愛してくれた。
もちろんお前の両親は、私との結婚に反対だった。そんな異国から来た旅人一人に、貴族の両親が娘をやりたいはずはない。
けれどもお前はまるで言うことを聞かなかった。「この人と一緒になれなければ、生きているかいがありません」と……両親の目の前で、舌を噛み切ろうとしたんだ。
口から血を噴いて倒れる娘のその姿、実の親にはどれだけ衝撃だっただろう? それからはもう、両親はお前に何も言わなかった。私はお前と結婚出来た。
子どもも出来た、孫も産まれた。初めて子どもの出来た時に、お前の両親とも和解した。私の両親にも、何べんか子どもを連れて会いに行けた。語り部としてもそこそこ名も売れた。
そうして、いつだって私のとなりにお前がいた。
もう私には悔いはない。もういつ天国のお前のとなりに
――ねえお前、本当は知っていたんだろう?
分かっているよ、こんな嘘、すぐさまばれるに決まってる。元々私が「見えていた」のを、知っている者はおおぜいいるんだ。
私の両親に会いに行った時だって、父も母も初めは何だかしどろもどろだったろう。当然のことだ、自分の息子が「妻恋しさに目を潰したけど、知らないふりをしておくれ」とこっそり頼んできた後だもの!
けれども……お前はずっと、そんなことすら知らないふりをしてくれた。お前への恋に狂って両目を潰した愚かな男を、六十年間愛してくれた。
確かに、私はずっと嘘をついていた。嘘に気づいて、知らないふりをしてくれるお前に、それにも気づかぬふりをした。
けれども――お前への愛は本物だ。もう悔いはない。もうじき歳で、天国のお前のとなりに逝けるその日を楽しみに、本当の余生を送るとするよ。
そうして生まれ変われたら、今度は何の変哲もない、お互いに美しくも何ともない普通の顔で、また何度でも、夫婦になってくれるかい? ……。
そう一人きりのベットの上でつぶやいて、老人はしなびた体を丸く縮めた。涙の出ない両目の代わりに、体をよじって全身でむせび泣き出した。
窓の外に、満ち足りて丸い月が出ていた。
月は何も知らぬげに、そのくせ全てを知っているとでも言いたげに、白い光で老人のほおを涙の代わりに濡らしてやった。