第1話
文字数 1,440文字
NIMBY(ニンビー)
原子力発電は
やっぱり必要ではないですか
エネルギー問題のことを考えれば
(私の家の裏庭でなければ ね)
米軍基地は
やっぱり必要ではないですか
日本の防衛政策のことを考えれば
(私の家の裏庭でなければ ね)
こんな憲法 さっさと変えて
戦争ができる国にするべきです
若者は命を賭して祖国を守るべきです
(私の家の息子たちでなければ ね)
私たちはいつもこのようにしてきた
(自分の家の裏庭でなければ ね)
そして 弱い人や貧しい人たちに
いつも いつも 押しつけてきた
原発は東京駅の隣に建設すればいい
自分たちが使う電力ではないか
米軍基地が必要だと思うならば
東京駅の隣に建設すればいい
帝都 東京防衛のためにも ね
若者を戦争に駆り立てたいのならば
政治家や経済界の跡継ぎ息子からだ
それがスジというものではないのか
西洋に古くからあるnoblesse oblige
そんなに戦争したいのならお前たちが
真っ先に戦場に駆けつけるがいいのだ
いつも自分たちだけ安全な場所にいて
利権を貪るためだけに原発を推進し
利権を貪るためだけに戦争をしかけ
庶民を虫けらのように犠牲にしたのが
ずっとこの国の基本構造ではないのか
Not In My Back Yard
原発も基地もいいんじゃないですか
(私の家の裏庭でなければ ね)
ニンビー族に未来はない
「私の家の裏庭でなければ ね」と幾度も繰り返されるリズミカルなフレーズに思わずクスッと笑ってしまいました。本当はこんなにも大変なことが差し迫っているのですね。笑っている場合ではありません。それなのにやはり何処かで、他人事だからと思っている自分に気付かされました。自分の甘さやエゴイズムを鋭く指摘されているようで恥ずかしく思います。原発の施設はどこかの地域が引き受けてくれたから、私は安全。基地だって近くにないし、これもまた、私は安心。戦争に行かされそうな息子もいないから、私はラッキー。隣の広い空き地には何も建たないで欲しい。迷惑施設なら大反対。思い切りニンビー族だなと思い知らされました。国の偉い人達が率先して原発や基地問題に取り組み、自分達のお膝元にそれらの施設を作らせ、彼らの息子達から先に戦争に行って手本を見せる。そんな高尚な精神を持ち合わせる人達が国のトップだったら、日本も随分と変わっていたことでしょう。彼らもやはりニンビー族。自分とその仲間達さえ良ければ他人のことはどうでもいい。誰かがやってくれる、というか押し付けてしまえばいい。日本の学校にも会社でもあらゆる所にニンビー族は潜んでいるのだと思います。そんな私も含めたニンビー族に未来はない。そうなりたくなければ変わるしかないと思いました。
ありがとうございました!私ほど政治家に向いていない人間はいないと思いつつ私も何らかのかたちで政治に関わりたいと思いがあります。最近、新聞で地域主権主義(ミュニシパリズム)とい考え方を読んで共感しました。身近な地域の問題に選挙の時だけ関わるのではなく、普段から自分が出来る範囲で参加する。それによって、誰もが地域の政治に関わることが普通にできて、さらに議員になることが何も特別なことではなく普通に地域の政治に関わって地域を変えてゆくことが出来る政治。地方自治の本来の精神に立ち戻って、地方においてそんな政治が出来たなら、国全体の政治も変えられると思います。いつまでも「ニンビー」でやっていては何も変わらない、進歩がないということだけは言えると思います。
原子力発電は
やっぱり必要ではないですか
エネルギー問題のことを考えれば
(私の家の裏庭でなければ ね)
米軍基地は
やっぱり必要ではないですか
日本の防衛政策のことを考えれば
(私の家の裏庭でなければ ね)
こんな憲法 さっさと変えて
戦争ができる国にするべきです
若者は命を賭して祖国を守るべきです
(私の家の息子たちでなければ ね)
私たちはいつもこのようにしてきた
(自分の家の裏庭でなければ ね)
そして 弱い人や貧しい人たちに
いつも いつも 押しつけてきた
原発は東京駅の隣に建設すればいい
自分たちが使う電力ではないか
米軍基地が必要だと思うならば
東京駅の隣に建設すればいい
帝都 東京防衛のためにも ね
若者を戦争に駆り立てたいのならば
政治家や経済界の跡継ぎ息子からだ
それがスジというものではないのか
西洋に古くからあるnoblesse oblige
そんなに戦争したいのならお前たちが
真っ先に戦場に駆けつけるがいいのだ
いつも自分たちだけ安全な場所にいて
利権を貪るためだけに原発を推進し
利権を貪るためだけに戦争をしかけ
庶民を虫けらのように犠牲にしたのが
ずっとこの国の基本構造ではないのか
Not In My Back Yard
原発も基地もいいんじゃないですか
(私の家の裏庭でなければ ね)
ニンビー族に未来はない
「私の家の裏庭でなければ ね」と幾度も繰り返されるリズミカルなフレーズに思わずクスッと笑ってしまいました。本当はこんなにも大変なことが差し迫っているのですね。笑っている場合ではありません。それなのにやはり何処かで、他人事だからと思っている自分に気付かされました。自分の甘さやエゴイズムを鋭く指摘されているようで恥ずかしく思います。原発の施設はどこかの地域が引き受けてくれたから、私は安全。基地だって近くにないし、これもまた、私は安心。戦争に行かされそうな息子もいないから、私はラッキー。隣の広い空き地には何も建たないで欲しい。迷惑施設なら大反対。思い切りニンビー族だなと思い知らされました。国の偉い人達が率先して原発や基地問題に取り組み、自分達のお膝元にそれらの施設を作らせ、彼らの息子達から先に戦争に行って手本を見せる。そんな高尚な精神を持ち合わせる人達が国のトップだったら、日本も随分と変わっていたことでしょう。彼らもやはりニンビー族。自分とその仲間達さえ良ければ他人のことはどうでもいい。誰かがやってくれる、というか押し付けてしまえばいい。日本の学校にも会社でもあらゆる所にニンビー族は潜んでいるのだと思います。そんな私も含めたニンビー族に未来はない。そうなりたくなければ変わるしかないと思いました。
ありがとうございました!私ほど政治家に向いていない人間はいないと思いつつ私も何らかのかたちで政治に関わりたいと思いがあります。最近、新聞で地域主権主義(ミュニシパリズム)とい考え方を読んで共感しました。身近な地域の問題に選挙の時だけ関わるのではなく、普段から自分が出来る範囲で参加する。それによって、誰もが地域の政治に関わることが普通にできて、さらに議員になることが何も特別なことではなく普通に地域の政治に関わって地域を変えてゆくことが出来る政治。地方自治の本来の精神に立ち戻って、地方においてそんな政治が出来たなら、国全体の政治も変えられると思います。いつまでも「ニンビー」でやっていては何も変わらない、進歩がないということだけは言えると思います。