第六巻 第二章 公武合体の破綻

文字数 3,763文字

〇京都御所の一室
孝明天皇(三十歳)が岩倉具視(下級公卿、三十六歳)を召している。孝明天皇は御簾の向こう。
N「桜田門外の変で権威を失った幕府は、力を取り戻すべく、朝廷との強い協力体制(公武合体)を模索した。具体的には、孝明天皇の妹・和宮を、将軍家茂に嫁がせて欲しいと要求したのである」
孝明天皇「直答を許す。若い公家たちの間で人望の高い、そなたの意見を聞きたい」
具視「私でお役に立ちますのならば……」
孝明「和宮にはすでに許嫁もおることだし、公卿たちの多くは、無論反対しておる。一応そちたち、若い者たちの意見も聞いておきたいのだが……」
具視「主上におかれましては、攘夷をおあきらめでございますか」
孝明「何と!?」
具視「我ら朝廷を無視して開国した公儀が、和宮さまの降嫁を願って参りました。この際、和宮さまには、東へ参っていただきましょう。それと引き換えに公儀に、攘夷を約定させるのです」
孝明「(不快そうに)……そちは、朕の妹を取引の道具に使うつもりか」
具視「(はっとして取り繕い)国家の大事のおん為にございます」

〇和宮降嫁の行列
街道をものものしい警備の中進む行列を、見物人たちが眺めている。
見物人「(ボソっと)……人身御供がお行きなさる……」
警備の武士、見物人をにらみつけるが、誰が発言したかわからないのでそれ以上何もできない。

〇京都
島津久光(薩摩藩主・直義の父、四十六歳)の率いる、千名の西洋式の完全武装の藩兵が整然と行進する。それを見守る京都の民衆たち。
見物人「大した軍勢だね……外様の島津がこんな真似をして、公儀は何も言わないのかい?」
見物人「公儀にはもう、島津を抑える力はないのさ」
行列の中心に、駕籠に乗った久光。
久光(M)「準備に思ったより時間がかかったが……兄上のご遺志を継ぎ、公儀と朝廷を、この私が調停して、島津が天下の政局におどり出るのだ!」
N「久光は朝廷の勅使に同行して江戸に向かい、幕府に幕政改革の要求を突きつける」

〇正装の一橋慶喜(二十六歳)と松平春嶽(慶永、三十五歳)
N「幕府は朝廷の勧告に応じ、一橋慶喜を将軍後見職に、松平春嶽を政事総裁職(総理大臣)に任命した。二人は参勤交代の緩和など、幕政の改革を進めていく」

〇正装の松平容保(二十七歳)
N「松平容保を京都守護職に任命したのもその一環である」

〇街道
島津久光の行列が行く。その先頭を、馬に乗った四人(男性三人、女性一人)のイギリス人が横切ろうとする。
薩摩藩士「無礼者!」
斬りつける薩摩藩士たち。必死で逃げるイギリス人たちだが、男性一人は落馬し、とどめを刺される。手傷を負いながらも何とか逃げ延びる三人。
N「島津久光の行列を遮ったイギリス人たちが薩摩藩士に襲われ、一名死亡、二名が重傷を負ったこの事件を、事件の地名から生麦事件と呼ぶ」

〇京都・御所の一室
御簾の向こうの孝明天皇(三十三歳)に謁見している家茂(十八歳)。
孝明「先の約定通り、攘夷を実行せよ」
返答できない家茂。
N「和宮降嫁の時の条件にしたがい、幕府は、文久三(一八六三)年五月十日に攘夷を実行することを約束させられてしまう」

〇下関海峡
停泊していたアメリカ船・ペンプローク号が、突然下関の砲台から砲撃を受ける。
さらに長州の軍艦二隻も、ペンプローク号を攻撃。遁走していくペンプローク号。
下関砲台で歓声が挙がり、
長州兵「夷狄、恐るるに足らず!」
N「五月十日、幕府は一応、横浜鎖港に向けての交渉を開始するが、長州藩は独自に攘夷を決行した」

〇京都・御所の一室
孝明天皇(御簾の向こう)が近衛(このえ)忠(ただ)煕(ひろ)(前関白、五十六歳)を召している。
孝明「朕は『異国人を日本から退去させよ』とは申したが、『異国人と戦をせよ』とは申しておらぬ」
忠煕「は……」
孝明「公卿の中にも過激な攘夷を掲げ、公儀をないがしろにするものが少なくない。いかがすべきか……」

〇薩摩湾
五隻のイギリス艦隊と、薩摩湾の砲台が砲撃戦を展開している。城下町は火の海となるが、イギリス船にも数発の砲弾が命中する。
N「七月には生麦事件の報復のため、イギリスの艦隊が薩摩を襲撃、砲撃戦が戦われた(薩英戦争)」

〇鹿児島・城下町
焼け野原になった城下町を見下ろし、嘆息する小松帯刀(薩摩藩家老、二十九歳)。
帯刀(M)「異国は強い。攘夷は不可能なり……」
N「同じく異国と砲火を交えながら、薩摩と長州は正反対の結論に達した。以後薩摩はイギリスと接近する」

〇御所・堺町御門
完全武装の会津兵が門を警護している。普段とは違う緊迫感にざわつく通行人たち。
そこに平服の長州藩士がやってくる。
長州藩士「この戦支度は、いかなる子細か」
会津藩兵「長州人は禁裏(御所)に入ることまかりならぬ」
驚いて報告のため飛んで帰る長州藩士。
N「孝明天皇の内意を受けた、会津・淀・薩摩の藩兵は御所を封鎖。長州を閉め出した上で、朝廷では過激派の公家が追放された」

〇街道
長州兵に護衛されて、長州へ落ち延びていく七卿の乗った駕籠。
N「過激派公家の中心人物であった、三条実美ら七名は京都を脱出、長州へ落ち延びる」

〇御所の一室
松平容保(二十八歳)が孝明天皇(御簾の向こう)に謁見している。
孝明「まことに大儀であった……」
全身を震わせて感激する容保。

〇池田屋(夜)
狭い室内で争闘する新撰組と志士たち。
N「元治元(一八六四)年六月五日、会津藩預かりの新撰組が、長州・土佐などの尊王攘夷派志士が池田屋に集まっていたところを襲撃、ほとんどを殺害・捕縛した。志士たちは御所襲撃を計画していたとも言われる」

〇街道
進軍する完全装備の長州軍。
N「これを受け、長州は武力で京都を制圧しようと、兵を起こした」

〇京都市街
松平容保の指揮する会津軍・西郷隆盛の指揮する薩摩軍と激突する、久坂玄瑞の指揮する長州軍。
N「元治元(一八六四)年七月十九日、京都市街で松平容保の指揮する会津軍・西郷隆盛の指揮する薩摩軍と、久坂玄瑞の指揮する長州軍が激突する」
火を噴く両軍の大砲。
N「激戦の結果長州軍は敗北、久坂玄瑞は自害した」

〇下関砲台を占領する四カ国艦隊
N「さらに前年の砲撃に対する報復のため、四カ国艦隊が下関を砲撃、占領した。長州はようやく、攘夷の不可能を悟ったのである」

〇大坂・旅館の一室
勝海舟(四十二歳)と西郷隆盛(三十八歳)が会見している。
N「幕府は長州征伐を決定、参謀(指揮官)に指名された薩摩の西郷隆盛は、出陣前に大坂で、幕府の勝海舟と会見する」
海舟「今度の長州征伐だが……長州を本気で潰しちまうのは、どうもうまくない」
驚く隆盛。
海舟「今はうまく回っているように見えているが、公儀の根っこは、もう腐っちまってる……公儀が日本をまとめるのは、無理だ」
隆盛「で、では誰が日本をまとめもすか?」
海舟「そいつをお前さんが俺に聞くのかい?」
はっとする隆盛。
海舟「薩摩、長州、土佐……力のある藩が連合するんだよ。そこに徳川が加わってもいいが、別に加わらなくてもいい……」
隆盛「……公儀の海舟どんが、そこまで言いもすか」
にやりと笑う海舟。
N「海舟の意見を受け、西郷は降伏した長州に対する処分を極めて軽くした」

〇長州・功山寺
高杉晋作(二十六歳)が伊藤博文(二十四歳)を説得している。
晋作「ことの成否は問題ではない! 一里行けば一里の忠を尽くし、二里行けば二里の義をあらわすのだ!」
晋作の情熱に説得される博文。
N「長州の降伏に納得しない高杉晋作は、伊藤博文や奇兵隊を説得して決起、長州を再び立ち上がらせる」

〇京都・小松帯刀邸
がっちりと手を握る西郷隆盛(四十歳)と桂小五郎(長州藩士、三十三歳)。それを見守る坂本龍馬(三十歳)と小松帯刀(三十一歳)。
N「慶応二(一八六六)年一月二十一日、坂本龍馬の仲介により、薩摩藩と長州藩は同盟を結ぶ(薩長同盟)」

〇長州・大島近海(夜)
征長軍の軍艦、八雲丸・翔鶴丸が停泊している。
そこに、高杉晋作の指揮する丙寅丸が突撃してきて大砲を撃ちかけ、さっと撤退する。損害を受けて慌てふためく征長軍の二艦。
N「六月には幕府は再度の征長を開始するが、薩摩は協力を拒み、長州軍は粘り強く戦って、幕府軍を寄せ付けなかった」

〇大坂城の一室
臨終の床の家茂(二十歳)を看取る慶喜(二十九歳)。
N「第二次長州征伐のさなか、将軍・家茂は病死し、十五代将軍に就任した慶喜は、征長軍を撤退させた」

〇京都・御所の一室
臨終の床の孝明天皇。
N「慶応二(一八六六)年十二月二十五日、孝明天皇が崩御。翌年一月九日に明治天皇が、十三歳の若さで践祚する」

〇市街地
天からお札が降ってくるのに狂乱して、踊る民衆。
民衆「ええじゃないか! ええじゃないか!」
N「慶応三(一八六七)年八月から十二月にかけて、空からお札が降り、民衆がそれに狂乱
して踊る『ええじゃないか』騒動が西日本を中心に起こった」


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