第三章 サルサとサルサ

文字数 1,243文字

    第三章 サルサとサルサ

「腰を揺らすリズムに隠し味があるなんてね――、人生なんて辛くて酸っぱいのよ――」
 キッチンに誂えたプエブラのタラベラ焼タイルは射し込む陽の光を受け、電話の向こうの古い友人との思い出話、隣のリビングから流れる昔ヒットした曲。

「――俺の髪には、このポマードがよく馴染むし、刈りたての首筋なんて、我ながらセクシーだな」
 まだ硬い真新しいジーンズの腰に拳銃を突き刺し、鏡の前でお気に入りの曲のサビを繰り返し口ずさむ。今日の昼飯は、いつもの屋台のケサディーヤ。

「あいつなんて、もう嫌いよ…… 平気な顔で私に嘘をつくなんて…… 」
 学校の仲良し友達の失恋話に効くのは、今すぐ馬鹿騒ぎしたくなる曲にタコスのテイクアウトを山盛り。二人して諦める、明日の試験。

「――もっともっとからいのでもだいじょうぶだよ。もうぼくもおとななんだからさ」
 路上の市場に並ぶ生の唐辛子、青い唐辛子を一つ手に取る少年を暖かい眼で見守り笑う母親。ずらりと並んで張られたカラフルな陽除けビニールの下、山盛りのマンゴーやライチの果汁の甘さ、混線するラジオの爽やかな曲。

「優勝だ! 我らがプーマスの天下だ! 騒げ! 踊れ! 飲んで食べまくれ!」
 ゴーストタウンのように人気もなく静かだった街に、試合後、沸き上がる人々の群れ。暴徒と化す黄と紺の集団を止めることなど誰にできる。全てを飲み込み、疲れ果て眠りにつくまでは終わらない勝者を称える曲。

「ほら、見て、かわいい小鳥。サルサソースはここにあるわよ。知ってる? 小鳥にサルサを与えると早口になるって。もしかしたら踊ったりもして?」
 テラスにやって来た小鳥を見て思い出したこと。遅い昼食と、小鳥が啄むような曲。

「――あそこの店のサルサは絶品だぞ、この太鼓腹の俺が言うからには間違いない。さてさて、もうすぐ着きますぜ、お客さん」
 タクシー運転手のお薦めは、赤と緑の外壁の小さなレストランと、彼が選曲したカセットテープ車内販売中。

「胃の中のもの全部吐いたらサルサの味がしてさ――ペッ、ペッ。歩いてるだけでキラキラ、ぐにゃんぐにゃん、そりゃあ、踊ってる気分だったね」
 メキシコの成人の儀式、いや裏儀式。幻覚サボテンのペヨーテを探す旅。決して一人で行ってはいけない、戻って来れなくなります。

「うう、残り物が冷蔵庫にあるから食べて…… 私、まだ寝る、まだ頭の中で音楽鳴ってるし…… 」
 土曜の夜、あっちでパーティー、こっちでパーティー。日曜の朝に残ったもの、サルサとサルサと二日酔い。

 サルサミュージックとサルサソース、愛される二つのサルサ。この国の聴覚と味覚を支配する魅惑。老若男女問わず、踊り、味わう。隣人、貧乏人、金持ち、革命家、侵略者にさえ同等に分け与えられた、この至福。サルサは止まりません。
 この土地の持つ魅力を知りたければ、足下のステップと魅了する腰つき、たくさんの玉ねぎとトマト、ライムやレモンをまぜこぜにして、情熱的な一撃を脳天に喰らえば十分です。
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