一〇・ 校閲者: 佐賀 野絵瑠(さが・のえる)の陰謀。
文字数 3,251文字
「おっかえり~!」
すでに出来上がっている気の早い酔客どもと、まさに夕飯をかっこみ中の空腹餓鬼連中は、そろって歓声を挙げた。
「はいこれ今日のお土産~!」
「…ぅわ、今日もすげぇぇぇえ!」
「どれどれ… ぅほぉぅおおぉ!」
「…カコさん、すぐ食べますか?」
「着替えてくる~。十五分後に戻る~!…予定っ」
「了解っす!」
パペル塔のメイン食堂の朝・昼の平日週五日は主任調理師にして栄養管理士資格その他もろもろも色々保持する四年生大学栄養学科卒の才媛にして定番和食とアレンジ和洋食をメニュー展開の基本に据える、佐藤和子の担当だが。
平日午後十五時以降のいわゆるアフタヌーン・ティータイムから夕食・夜食の時間帯にかけてと、土日祝の朝昼晩の終日は、敷地内併設の一般&宿泊客向け知る人ぞ知る超有名シェフ兄弟が担当する直営レストランから、交代で調理要員が派遣されて来る。
初めのうちこそ、
「寮住み社員の休日ご飯と、平日夜の呑み兼用めし…。要するに、たんなるまかない?」
と考えて、下っ端が交代で担当する、「新人の仕事」と考えられていたのだが。
早々に、その新人たちが泣いてギブアップして。
『変人だが名人シェフ』として知られるレストラン『爆』(ハゼル)のオーナー店長たる近重(このえ)師匠三兄弟を呼びつけた。
「…だって! こんな凄い稀少な絶品、おれが料理したら台無しにしちゃいます~っ!」
と、いうわけだ…。
一般読者層の最大多数派からは人情地元エンタメ小説の主役?の名前をそのまま使って「ウマシカ先生!」と呼ばれることが一番多い『カコさん』は、なにしろ人気者だ。
島内半周旅行(だと『視察』は呼ばれている)を回って帰ってくるたびに、何やかやと地元の人から「漁師飯のタネ」だの「今朝うちの山林で採れたて」だのの、貴重で稀少な食材を、山ほど貰って帰る。
幻の魚!とか
幻の茸!とか
超高級!黒豚の、自家製できたてハム(のさらに)燻製!(試作品)とか。
非売品や秘蔵品や、密造品?の、
アレやこれや…
…まぁ、そんなものを、…色々だ。
タダで贈って頂いた御好意の品だから、いくら稀少で高価であろうとも、一般外来者向けのレストランで、高値をつけて他のお客様に転売するわけには、いかない。
…と、いうのが、カコさんの主張で。
基本、『社内のみんな』で。
通常の『定額徴収食費』(お代わり自由)の範囲内で。
ふつうに。
毎日のご飯の一環として。
ありがたく頂く。
「…ぅっわぁぁぁぁぁぁぁ!」
*
今日の食材は何だろう。何やらとても美味しそうな匂いがするが。
美食、などという余裕や贅沢とは、ここへ移住するまで無縁な生活を送っていた。
地味に激務で薄給の校閲者・佐賀 野絵瑠(さが・のえる)は小鼻をひくひくさせた。
長らく隣国ポンニツ島国の首都・宝京(ホウキョウ)で。
校閲専門会社の外注職員として。
部屋に引き篭もって、ひたすら各種多ジャンルの文章を、赤ペン握って読み続ける、という仕事を担当していたが。
職場にはひた隠しにしていた、秘かな趣味は…
同人誌で。
『嵯峨野エル』の筆名で。
『美味賜エンタメ』群の登場人物たちの。
『イケナイ同性恋愛』作品の数々を…ネット上梓やイベント販売。していて。
それなりに、けっこうな売上と熱烈愛読者数は誇っていたり、…して。
じつは、契約委託先の『美味賜香子作品専任担当』校閲者『佐賀 野絵瑠』が。
同時に、公認ファンクラブの重鎮オピニオン・リーダー『 L 』その人にして。
さらに、熱烈ストーカー級の著作権侵害しまくり同人誌作家『嵯峨野エル』で。
かつ、公序良俗的にどうなの?級えろえろイラスト描き『 佐野エル画 』でもある。
という事実が。
うっかり。
発売前の新刊の内容をパロった作品を、発売日よりも一日早く。
(正確には、わずか二十二時間だ…!)、間違えて、公開時間を設定、してしまった。
という痛恨のミスによって、関係者すべてに、一斉に発覚…。
職場雇用主と直属上司と。
出版社法務関係者と、担当編集者と、編集長と。
さらには作者本人と。
その著作権管理人!などなどが、ずらりと居並んだ…
『お白洲の場』で。
リアル本人の目の前に、ずらずらと。
いけない作品の、うっかり直視したら恥ずかしくてたまらない
(いや自分で描いたんだが!)
絵柄の表紙を、…山ほど並べての。
事実関係の糾弾には、及ばないで欲しかった…!
完全に逆恨みなのだが。
今でもその時の全身高熱発火寸前の恥ずかしさは、夢に視ては飛び起きて悶絶しているくらいだ。
「…ぇへ♡」
と、その時。…ウマシったら笑ったのだ! 嬉しそうに!
「はじめまして『嵯峨野エル』先生!
ファンでーす♡
ご本人様に、お目にかかれて嬉しいでーす♡
じつは、そこに並べてあるのは、あたし個人の、コレクションなんですよ… ♡ 」
がたがたがた…★ と。
周囲の、ごくごく真剣にしてまっとうな、怒りと。
真摯な…職務上背任行為?
賠償請求?
訴追? …という、社会人たちの当然な、撃墜斬殺モードを。
総崩れに、してさった…。
「エルさんには、かねがね、お願いしたい仕事があったんでーす ♡
今度、正式に、ウチのスタッフに、なってくれませんか~????」
…憧れの。
ひそかに、熱愛した。
あの、キャラたちの…
作者。本人に!
スカウト… されたのだ!
じきじきに…!!
狂喜乱舞、したのに…。
*
結局、ひそかに勇躍して、トキメキながら移住。
してきて、見たらば…。
社内最重職幹部複数から取り囲まれて厳重監視の元。
以後の脱法違法著作権侵害行為は厳ッ重に戒められて。
破ったら即退社退寮&巨額の賠償請求!
という脅しを突きつけられて…
念書にサインも拇印も獲られた。上で。
ひたすら、一室に籠って、美味賜の新作を校閲し続ける。という。
業務内容的には…
まったく変わってなくて。
ひたすら、一室に籠って。
めったに、ウマシ本人の顔なんか… 拝めなくって!
(多くても一日…二回? 話せても、一回、五分か…そこら? が、せいぜいだ…っ)
完全に逆恨みなのだが。
佐賀野絵瑠は、もうひとつ任された担当職務である『美味賜香子デビュー三十周年!に向けた総作品リストと総登場人物名鑑&作中総合年表エトセトラ + パペル社史』編纂、という激務の傍らで。
ウマシの恥ずかしい顔(超・豪華めし食事中の!陶酔のあまり崩壊顔!)写真を…
ひそかに撮り溜め。している。
いつか…
いつか。
大公開、してやるっ
この、恥ずかしい、エロ顔の…
老女の…、
ばか喰い写真っ!
*
「…また撮ってますよ~?」
「…ま、好きにやらせておけ…」
監視スタッフからは面白がられて、泳がされているだけ。とは。
本人は、気づいていない… www
*
そろそろ日が暮れて。
初夏とはいえ北国ポックル島の南北の半ばあたりに位置するワインの名産地プキパタ町のはずれのパペル寮では、夜になると肌寒い。
室温が下がると自動で。
道産木質端材を燃料に使うペレットストーブに火が入る。
明々とした灯が点ると、自動で室内の白色灯の光量が落ちる。
炭火焼の炎がぼぉっと燃え立って人々の影を壁や窓に映して。
窓の外は満天の星空と、真っ暗な大地の、森と畑の…闇に。
点在する円環寮の灯りと、真ん中にハート型の『もしも寮』の安全常夜灯。
その向こうに宿泊コテージやレストランや、観光施設の誘導灯…
仕事は順調で。
美味い飯と旨い酒!
楽しい仲間と…
老後の、保証。
すべてが。
そこには、あった。