第52話 ハニエイル市場
文字数 3,886文字
『いただきまーす!』
いつもどおり、笑顔で食卓を囲む親子とミール
『うん!母さんが作るご飯おいしいー!』
『大変美味しゅうございますー!』
『でしょう?ならちゃーんとこのお野菜もしっかり食べて明日もお手伝い、お願いね♪』
『えー…』
『なぁに?なんか文句でもある?』
『い、いや!なんでもっ!』
母の怒りを買う前にがむしゃらにご飯を口に運ぶシンに、母は
『イリーナお母さまには一生敵いませんねシンさまは…ふふふ』
『考えてることが顔に出すぎなのよ、この子は…ったく、こんな生意気で馬鹿正直な息子……いったい
誰に
似たのかしらね…』愛おしくも儚い声でそう呟いた母の言葉の意味を
この時のシンは…まだ理解するには及ばなかった
ーーー
ー シラヌイ家 ー
ソラの自宅へ転がり込むように一夜を過ごした次の日の早朝
床に敷いた布団で寝るのはすごく久しぶりなシンは
珍しく熟睡したのか、夢を見た記憶がないまま
台所から漂うスープカレーのような香ばしい匂いに目を覚ました
(…もう、朝か………いい匂いだな)
まだボーッとする意識の中でも
腹の虫はぐぅ…と香りの良さに釣られて鳴き出した
自分で思わず苦笑いするシンは
深くため息をついてから体を起こすと
「あ、シンさん!おはようございます」
「!…お、おはようリンク…相変わらず起きるの早いね」
「はい!皆さんのために朝ごはんの準備しようと思いまして…と言ってもあたしより先にサイゾウさんとナッドさんが起きてましたが」
「え、そうなのか?」
「はい」
(あの二人…ほんといつ寝てるんだ?)
ほんの些細なことだと理解しながらも
思わず首を傾げるシンであった
それから一時間後、最後まで爆睡するアンを総動員で起こしに掛かり目覚めさせたところで、リビングに集まって朝食の用意を始めた
「ふわぁ~ぁ…あーぁ、私もリンちゃん達と一緒に料理したかったなぁ~」
「…お前に任せるとロクな事にならん」
「えー!ひどーい!」
「そうね、この前作った料理の味付け…最高に不味かったし…」
「そう言うケイ殿も中々風変わりな味付けにござったぞ… 何しろスープが全体的に赤く…」
「へぇ…この私にケンカでも売ってんのかしら?このクソガキ!」
「あーもうっ!アンタら!朝飯以前に他人の家で揉めないでくださいよ!」
「シンさま…ツッコミ役がすっかり板に付いてしまいましたね」
「あはは…」
食事前から大騒ぎする面々にツッコミを入れるシン
それを見て苦笑いするリンクとミールだが
ソラと、ソラの母アセビはむしろ楽しそうに笑顔を浮かべていた
「いいじゃないですか!俺…こんな大勢で食卓を囲むの初めてで、すごく新鮮なんです!ねぇ母さん!」
「うふふ、えぇほんとに…まるでみんな家族のように賑やかで…とても楽しいわ」
「…」
シン達にとって
それは
すっかり当たり前のような感覚となっていたが、親子にとってそれは
当たり前のことではなかった。父親を亡くし二人きりで肩を寄せ合って生きてきたからこそ、どんな景色も美しく映るのだろう…それから少しして、ようやく全員分の料理が机全体にずらりと並んだ。保存庫にあったいくつもの野菜をサラダにし大皿に乗せ、スパイシーな香りが漂うも辛味は控えめのあっさりとしたスープカレーと出来たての食パンが二斤用意されている。朝からかなりの量の食事だが、一部のメンバーは元気な声で「いただきます!」と言って手を合わせ飯を口に運んでいくと…
「ん~やっぱリンちゃんの作るごはんはおいしいね~♪」
「パンも出来たてで、柔らかくて美味しい…ていうかリンク、あなたいつの間にパンなんて作ってたの?」
「ソラさんから、保存庫にたくさん材料が余ってると聞いてさっそく作ってみたんです!もちろん、許可を頂いた上で」
「はい!でもまさか…こんな美味しいパンが出来るなんて…すごいですね…あぁこのスープも、美味しいです!」
嬉しそうに絶賛するソラの隣で
微笑ましそうに笑う母アセビに気づくと
「あ…母さんはどう?美味しい?」
「えぇもちろん…とっても美味しいわ…こんなに温かくて優しい心のこもったパンとスープ…初めて……ねぇあなた、ソラと結婚する気はない?あなたなら、すごく素敵なお嫁さんになりそうだけど…」
「へっ?」
「え!!」
「ぶふっ!!」
母の口から思いもよらぬ発言に、リンクは驚いて非常に間抜けな声を出し、シンは全く関係ないはずなのにほぼ同時にスープを軽く吹き出し、そしてソラも顔を赤くしてツッコんだ
「かっ…かか母さん!いきなり何言い出すんだよ!」
「うふふ…結婚までは冗談だけど、素敵なお嫁さんになりそうだと思ったのは本心よ?ちょうどあなたと近い歳のようだし、もう結婚出来る歳にもなったあなたには、ぴったりかと」
「母さん…俺はまだ、その…結婚は出来ても、お…女の人とお付き合いしたことなんて一度もないから…だから」
「まあっ…うちの人なんて初めて会った時から毎日積極的にアプローチしてくれたわよ♪」
「も、もう母さんっ!!」
病弱さとは裏腹に愛嬌たっぷりに笑ってソラをからかう母
いままでになかった穏やかで楽しいひとときだからこそ
冗談の一つや二つ、言えるのかもしれない
その一方で、照れ笑いを浮かべるリンクは「あ、ありがとうございます」と告げ、もう一方はどうにも笑い事に出来ずモヤモヤしてばかりのシンはひとりよそ見をしながら静かにパンをゆっくりと延々に噛み砕いていた
ーー
…食事を済ませてから二時間後、ソラがリビングで届いていた何通ものの手紙を読み漁ったあと、突然シン達に声をかけた
「あの…皆さん今日はどこかへ参りますか?」
「?…いや、まだアテは決まってないが…どうかしたのか?」
「実はですね…」
ソラが聞いた話によると、先日からソラ達の恩人である商人が…どうやらここガイアに再び滞在してるとのこと…彼に挨拶しに行きたいと同時に、道中で助けてくれたシン達を友人として会わせたいという思いがソラにあった。ゆえに…
「皆さんがよろしければ…ぜひ一緒に…」
「わかった、付き合うよ」
「あ、ありがとうございます!」
「にしてもその商人さん、長なのに随分と動き回ってる人なんだね」
「あはは…俺も初めは驚きましたが、その人は母さんや街の人だけでなく、他の都市にいるたくさんの人を幸せにするために商人になったそうです…
「都市と都市…か」
ドクン…!
(え…なんだ、いまの…)
乱れた心音に潜む謎のざわめきにシンは違和感を覚える
(もしかして…嫉妬?…いや違う……もっと…別の…何か)
ーー
ー ハニエイル市場 ー
裏街道を出てから数分、焼けるほど眩い日差しが照らされるハニエイル
「すごい…人も品物もこんなにたくさん…!」
「サンドル街道の時でもそうでしたがこういう賑わいはいつ見てもわくわくしますね~!」
「そうだな」
シン達は悠々と市場に入り
ゆっくりと辺りを見物しているとアンが
「あれ?」と不思議そうに声を上げた
「ねぇねぇみんなー!おじさまと姐さんがいないんだけど、知らない?」
「え、あれ?さっきまで一緒にいたはずじゃ…」
忽然と姿を消していたケイとナッド
サイゾウが二人の立ち去る瞬間を目にしていたようだが
彼はそれを止めようとは思わずスルーしていた
「えー!せっかくおじさまとまたデートしようと思ったのにー!んもうおじさまーー!!」
「ア、アンちゃん!?ちょっと!!」
ナッドを探すべく反対方向へ走り去ってしまったアン
止める隙もないまま、シン達は呆気に取られた
「ははは…みなさん自由なんですね」
「今に始まったことではござらぬよ」
「そうですね…」
「…だな」
戸惑うあまり苦笑いするソラと
もはやお決まりのパターンと見て諦めた様子のシン達
連れ戻す気にもならないままシンが「行こうか」と言い
ソラの後をついて行った
…数分後
「……ぉーい!そこの坊主っ!」
「!」
賑わう道の真ん中で大声を上げ呼び止めてきたのは
ソラと顔見知りとされる一回り体格の大きい男であった
「おじさん…!お久しぶりです!」
「久しいな坊主っ!こんなに大きくなりやがって!」
「いえいえっおじさんにはまだまだ敵いませんよ」
「こいつ…お世辞まで言うようになったか!」
豪快に笑い飛ばすその男は
ソラの恩人である商人に長年付き添っている用心棒であった
まだ幼かった頃のソラを知っているだけに
男は逞しく成長した彼を見て喜ばずにはいられなかった
「あ…ところでおじさん!あの人は…あの人は今どこに」
「お?あぁ、団長ならいま…」
「私に何か御用ですか?」
「っ!?」
ドクンッ!!
不意に背後から聞こえてきた
ねっとりとしたような妖艶な低い声に
鳥肌が立つほどの殺気をいち早く感じたシンとサイゾウが
警戒するように即座に声のする方へ振り向いた瞬間
我が目を疑う光景が広がっていた
「え…」
「…」
「おや、あなた方は以前どこかで…」
深緑色に染まる長い髪をひとつに束ね
眼鏡の奥に見える菖蒲色の鋭い瞳の男が
首を軽く傾げながらシン達を凝視していた
(この人は…たしかグレイにいた…)
「あ…キョウさん…キョウさんっ!!」
振り向いた瞬間
ソラは、キョウと呼ばれる男の名を嬉しそうに叫びながら
シン達の横を遮り、近づいた
「キョウ…っ」
ドクン…ドクン…!
(まさ、か…ソラの恩人は…)
乱れゆく心音と激しい胸騒ぎの意味を理解した瞬間
シンは彼らとの間にある
溝
がさらに深まるのを感じた【終】