冷めてしまった紅茶

エピソード文字数 4,364文字


 私と彼の距離を表現するのに、一番適切な言葉は、紅茶が冷めない距離。

 彼は隣の部屋に住んでいる。
 それは偶然だった。

 中学卒業までは、一緒の学校に通っていた。
 高校になったら、彼のご家族は引っ越してしまった。何か理由が有ったのだろう。

 中学卒業の時に彼に告白しようと思っていた。でも、告白ができなかった。
 学校で一番可愛いと言われている子に告白されていた。受け入れると思っていた。

「紀子!」
「え?」
「一緒に帰ろう。オヤジとオフクロとお前のご両親は先に帰ると言っていたぞ」
「なんで?」
「ん?なにが?」
「だって、さっき」
「見ていたのか?」
「うん」

 ダメ。泣いちゃダメ。

「紀子。俺は明日引っ越しをする」
「うん。聞いている」
「だからな」
「うん」
「あぁもう。俺は、お前が好きだ」
「え?なに?」
「聞こえただろう。もう一度なんて言わない」
「わたしのことがすき?」
「なんも言わない!」
「明、わたしも、好き」
「よかった」

 明は、彼は、高校は別々になったけど、会いに来ると約束してくれた。
 私も会いに行くと約束をした。明の新しい住所も私にだけ教えると言ってくれた。

 交際が始まった。

 そして、お互い都会の大学に合格した。
 別々の大学だ。明は、大学の寮に入ると言っていた。私は、一人暮らしをする事にした。

 引っ越しをした。
 隣も同じ地方の高校から、都会の大学に入った人が来ると教えられた。
 気にしてもしょうがないので、自分の荷解きをしていた。

 インターホンがなった。
(だれ?)

 確認したが姿が見えない。

「隣に引っ越してきた者です」

 聞き覚えがある声だがわからない。
 姿をわざと見せなくしているのだろうか?

「紀子。久しぶり。いや、5日ぶりか?」
「え?」

 そこには、満面の笑みで明が立っていた。
 夢じゃないよね?

「え?どうして?」
「隣に引っ越してきたからだぞ?」
「え?だって、寮に」
「最初は、寮に申請出していたけど、許可が出なかった。おじさんに相談したら、紀子が借りた部屋の隣が空いているからと言われて、オフクロもそれならと言ったからな」
「え?え?誰も教えてくれなかったよ?」
「俺が黙っていてくれとお願いした。実際、寮が空くかも知れないからな」
「!」
「紀子?」

 泣き出しそうだ。

「紀子。なくなよ。悪かった。そうだ。紅茶でも飲まないか?ほら、デートした時に飲んだやつあるだろう?お前が美味しいって言っていたやつだよ。あれがうまく入れられるようになったからな」
「へ?」
「ほら来いよ。俺の片付けは終わっているから、一緒に飲もう!」
「うん?」

 明に手をひかれるまま隣の部屋にはいる。
 明が隣に引っ越してきた?

「明?」
「なに?」
「紅茶の入れ方教えてくれる?」
「ん?いいけど?」
「ほら、この前、明が美味しいと言った・・・ほら、あの紅茶?」
「オータムナルか?」
「そうそう、そのオーなんとかが美味しかった!」
「わかった。でも、お前、紅茶よりも緑茶だろう?」
「そうだよ?でも、明と飲むなら紅茶の方がいい!」
「そうだな!紀子。今度の休みに、買いに行こう。合格祝いをしていなかったよな?」
「え?それなら、明にだって、私何もしてないよ?」
「ううん。紀子からは、俺が欲しかった物がもらえたから必要ない」
「え?なにか?」

 明がニヤニヤしている。
 この顔の時は、私の嫌がる事を言わせようとしている時か、恥ずかしがるような事をするときの顔だ。

 あ!

 引っ越しをする前、両家の家族公認で、私と明は、2泊旅行にでかけた。
 初めての二人だけの旅行だ。明は受験が終わってからバイトを始めた。貯めたお金で、伊豆旅行を計画してくれていた。卒業祝いだと両親を説得した。私の両親もどうやって説得したのかわからないが、了承してくれた。

 そしてでかけた伊豆旅行で初めて私は明に抱かれた。
 それまでキスしたりや触り合ったりはしていたが、そこまでだった。明なりの誠意だと言っていた。でも、伊豆旅行で初めて、明を迎い入れた。すごく痛かったが、すごく嬉しかった。明と一つになれたのが嬉しかった。

 旅行では、土産物屋さんで見つけた3分が測れる砂時計を買った。
 明が好きな紅茶を入れるのに必要などだと言っていた。

 ”最後の3分”
 明が私に教えてくれた紅茶を入れる時に一番大事な時間だ。

 準備の時間は必要だ。
 茶葉が開いて紅茶が出てくる3分間が、明が言っている”最後の3分”。この間に話をしながら、紅茶と対面に座る人の事を考える時間なのだと言っている。

 それから、私と明は、何度も何度も、”最後の3分”を楽しむ。

 明が部屋に帰ってくる。
 私が部屋に居るのを確認するかのように、そっけないメッセージが届く。

”今から行く”

 これだけで十分だ。
 私は、メッセージに”紅茶?”とだけ返す。

 部屋に居ないときには、部屋に居ないと返事を返す事になっている。

 明らからは一言だけの返事が返される。
 ここで明の気分が解る。絵文字の時もあれば、長文の時もある。一言の時が多い。でも、それで十分だ。

 明は鍵を持っているのに、わざわざインターホンを鳴らす。

 私は、明が来る前に紅茶の準備を始める。
 教えられたように、教えられた通りに、明が喜んでくれる事を期待して。

--
「これも片付けていいですか?」
「お願いします」

 疲れ切った老夫婦が、業者の問いかけに答えを返す。

 10月に差し掛かろうとしている時期。今年も気温が落ち着かずに夏のように暑い。
 都会の片隅の大学生が多く住むマンションの一室で片付けが行われている。

 この部屋に住んでいた。男子大学生が危険ドラッグをキメて運転していた車に跳ねられて死亡した。

 マンションまで3分くらいの場所だ。

 大学生は、彼女の為に予約していた、ケーキを取りに外に出て、事故にあってしまったのだ。

 些細な事で喧嘩していた大学生は、仲直りのためにケーキを予約していたのだ。大学生は、彼女にケーキを予約してある事を告げて、紅茶を用意しておいて欲しいと彼女にお願いした。彼らなりの仲直りの方法なのだ。

 彼女は、了承するまで3分間ぐずった。自分が無茶な事を言っているのは解っていた。でも、彼には解ってほしかった。彼とインターホン越しに話をした。彼が条件を出したが納得してくれた。彼女は、彼に謝罪して、彼も納得してくれた。

 彼女は、紅茶を入れる準備を始める。
 彼は、ケーキを受け取りに外にでかけた。

 たった3分。
 されど3分。

 かれを引き止めた3分で、彼女は彼を失ってしまった。
 引き止めないで、部屋に入れてから話せばよかったと彼女は悔やんだ。

 彼女は、彼から送られたメッセージとインターホンに残された、彼との最後の3分間に交わされた会話が彼女に残された物だった。

--
 彼が隣に居るのが当たり前だと思っていた。

”今から行く”

 彼は私にそっけないメッセージをくれる。

 これから、彼が好きなオータムナルの準備を始める。

 ポットに入る分量と二人分のお湯を沸かす。
 それから、二人分の茶葉を取り出して、軽く振るいにかける。小さな茶葉やゴミを取り除くためだ。

 一度目のお湯は、ポットとカップを温めるのに使用する。
 少しだけもったいないが、彼がこの方法が好きなのだ。

 二度目のお湯を沸かす。
 今度は、たっぷりと沸かす。

 お湯がフツフツと言ってきたら一旦火を止める。お湯を休ませるのがいいそうだ。
 その間に、オータムナルによく合うミルクを作る。

 ダージリンとしては茶葉も厚くてしっかりしているし、渋めになる。
 彼は、これに、甘めに作ったミルクを入れて飲むのが好きなのだ。

 ミルク人肌くらいまで温めた所で、インターホンがなる。
 スペアキーも渡しているし、部屋の番号も解っている。下のセキュリティロックの方法も解っているのに、彼は必ずインターホンを鳴らす。私は、インターホンを確認してロックを外す。

 休めていたお湯に火を入れる。

 彼の到着と同時くらいに、お湯が湧くのだ。
 彼を出迎えに玄関に行く。その時に、お湯を火から下ろす。

 持ってきてくれたケーキを受け取る。

 最初の3分間は準備の時間だ。

 ポットとカップをお湯から取り出す。
 ケーキをお皿に並べる。

 湧いたばかりのお湯をもう一度カップに注ぐ。
 二人分の茶葉とポットを持っていく。

 慣れた手付きで紅茶の準備を始める。
 茶葉を見て、お湯の量を調整する。少しだけお湯が熱いと感じると、ここでお湯を冷ますのだ。

 この間に、話しかけてはだめ。私だけが楽しめる。ゆっくりと眺めている事が許される時間なのだ。

 茶葉を入れたポットにお湯を注ぐ。
 そして、用意している砂時計をひっくり返す。

 最高の3分が開始される。

 私は、話をする。
 紅茶ができるまでの3分間。開き始める茶葉からの匂いを感じながら、話をする。

 3分間が終わってしまった。

 紅茶が冷めたら居なくなってしまう。湯気が上がらなくなったら、彼を感じられなくなる。
 
 残された3分。
 私が彼を感じていられる最後の時間。

 これは、私への罰。
 私が、あんな事を言わなければ、彼との距離はもっと近くなっていた。

 私は、永遠に彼と交わした”最後の3分”のために紅茶を入れる。
 彼が美味しいと言ってくれた、彼が私に教えてくれた、彼が私に残してくれた物のために、私は”最後の3分”を楽しむ。

 茶葉が開く3分間。
 私が、彼と言葉を交わした、最後の3分。

 彼が残してくれた。私の唯一の希望。

--
「なぁ母さん」
「なんですか?」
「のりちゃん」
「えぇ妊娠していて、産んで育てると言っているそうですよ」
「そうか、明の子供か」
「そうね。こんなに、哀しい初孫なんて」
「小野さんは?」
「賛成しているわ。謝罪しに行ったら怒られたわ。結婚を認めているから、子供を産ませますと言ってくれているわよ」
「そうか。嬉しいな。明の子供か。のりちゃんは抱かせてくれるかな」
「大丈夫よ。でも、明に似て、紅茶が好きになったら、この荷物を渡しましょう」
「そうだな」

「荷物片付け終わりました!」
「ありがとう」「今、行きます」

 老夫婦は何もなくなった部屋を確認してから、そっとドアを閉めた。
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