大概嘘っぽいし正直どうでもいい殺人事件

文字数 3,386文字

「そっちはどう?」
「ダメだ……誰に聞いても、『知らぬ存ぜぬ』の一点張りだよ」

 廊下の向こうから、二十代くらいの女性が声を張り上げた。その声に釣られ、疲れた顔をした男性が諦めたように頭を振る。

 寺の外に面した長い木製の廊下は、山の斜面をすぐ隣に擁している、山頂から流れ落ちる天然水の通り道や、しとどに濡れた杉の葉のカーテンが一望できた。断崖絶壁なので決していい眺めとは言い難いが、都会暮らしに慣れた宿泊客達にとっては身近に自然を感じられる、好評のパワースポットだ。普段は和気藹々とした廊下に、だがしかし今夜は緊張感のある鋭い声が交錯していた。

「この寺に伝わる『天狗伝説』……従業員達は知らされていないのか、隠しているのか。或いは……誰かに口止めされているのか」
「宿側にとっちゃ、何百年前の金にならない古臭い伝説なんて、邪魔でしかないでしょうからね」

 廊下の中央で合流した男女が、険しい顔で頷き合った。二人は今、この寺を改造した宿泊施設で起きた、凄惨なる事件の聞き込み調査を行っていた。外はすっかり冷え込み、杉の葉のカーテンの向こうに満月が見え隠れしている。遠くの方で秧鶏が鳴いた。時折吹く北風に煽られ、三十代半ばの男性が小さく身震いした。

「おーい、皆さん!」

 すると、先ほど女性がいた廊下側から、今度は三十代くらいの男がひょっこり顔を覗かせ、まるで空気を読まない異常に明るい声で二人に声をかけてきた。

「”平等院”……」
「あら? 探偵さん、何か分かったのかしら? 行ってみましょう」

 二人は顔を見合わせ、都会からやってきたと言う若い探偵の元へと急いだ。

□□□

「天狗伝説について、何かわかったのか!?」
「落ち着いて皆さん……集まってもらったのは、勿論”そう言うこと”ですよ」

 三メートルはあろうかと言う、巨大な大仏を奉った講堂に集められた人々は、探偵のその一言に色めき立った。探偵の名は、平等院鳳凰堂。明らかに偽名である。人を信用してなさそうな腫れぼったい目つき。パーマ頭に、無精髭。ヨレヨレのTシャツに破けたジーンズという、見た目も明らかに安っぽくて怪しさ満点だ。

「この三日間、我々を悩ませた『天狗伝説』殺人事件……実に多くの犠牲者を出してしまいました。最初の被害者は伝説になぞらえ川で溺れ死に、二人目は地面に引きずり込まれるように、そして……」
「解説はいいから、さっさと要点を言え」
 やたら演劇調に語り出す平等院が鼻についたのか、一人の宿泊客が口を尖らせて抗議した。

「みんなもう知ってるよ。この寺で何百年前かに起きた”なんとか”と言う天狗の伝説になぞらえて、俺たちが襲われてるんだろ? それで、天狗の正体は誰なんだよ?」
「物事には順序というものがあるのですが……まあいいでしょう」
 平等院は軽くため息をつくと、懐から古びた分厚い書物を取り出した。

「実は私……この忌まわしき『天狗伝説』の原本を偶然発見しました」
「何!?」
 蝋燭が煌々と燃える講堂に、驚きの声が何重にも木霊した。探偵は得意げになって百科事典程の厚さの書物を開いて読み上げていった。

「この本にはこうあります。『天狗を愚弄する者、川に沈み、土に沈む。そして空を舞う……』」
「…………!」
「…………」
「…………」
「…………」
「……以上です」
「えっ!? それだけ?」

 平等院の次の言葉を待っていた人々は、ぽかんと口を開けた。

「もっと他に書いてないのか? そんなに分厚い本なのに……」
「いいえ。この一行だけです。ほら……」
「ホントだ……うーむ。伝説の途中で、書いてて飽きたのだろうか」
「伝説って、大概嘘っぽいし正直どうでもいいですからね。ですが、これではっきり分かったことがありますよ。犯人は、三人目を狙っている。そしてその犠牲者は、空を舞うってことです」
「空を舞う……?」
「タタリじゃよ……」
「!?」

 すると、いつの間にか入り口に立っていた坊主頭の老人が嗄れ声を出した。丁度遠くの方から、刻を告げる低い鐘の音が講堂まで伝わってきた。その場にいた全員が、”タタリ”という言葉の不気味さと、老人の放つ異様な雰囲気に思わず息を飲んだ。

「祟り……!?」
「失礼ですが、あなたは……?」
「フン、ワシの名前などどうでもいい。ワシはこの寺の前々任の住職をしておった。それにしてもお主ら、よっぽど厄介な物の怪に手を出したようじゃのう……」
「!」

 突然現れた謎の老人の一言に、宿泊客達が一斉に顔を見合わせた。
「おじいさん、天狗伝説を知ってるの?」
「僕達、ずっと聞き回ってたんですけど誰も知らないって返されたんです」
「良かったら、お聞かせ願えませんか? 天狗伝説について……」

 皆の懇願に、老人は蝋燭の火に影をゆらゆらと揺らしながら、ニタリと唇を釣り上げた。

「嗚呼。いいじゃろう、よおく知っておるとも。現にお主らも見たじゃろ。最初の者は川に沈み、二人目は土に沈んだ。これはな、約百年前、この寺に住み着いた一人の男が……」
「ダウト!!」

 すると、老人の話に今度は平等院が流暢な外国語の発音で割って入った。

「なんじゃ? 物事には順序というものがあるんじゃぞ、若いの。質問は最後までワシの話を聞いてからにせえ」
 眉をひそめる老人に、平等院はさらに畳み掛けた。
「いいえ。もう十分です。墓穴を掘りましたね……犯人はおじいさん、貴方だ!」
「何だって!?」

 老人の目が、皿のように大きく見開かれた。
「な……何を言うておるんじゃ……」
「おいおい、一体今のおじいさんの話の、何処に墓穴を掘る要素が……」
「いい加減にしろよ、探偵。証拠はあるのか?」
 騒めく宿泊客に、平等院は得意げに伝説の書物を突き出した。

「ええ。証拠ならあります……何故ならこの伝説は、私が三日前に書いたものだから!」
「何だって!?」
「貴方のような方が名乗り出るのを待っていました。従業員達も知らなくて当然。これは私が適当に書いて、この大仏様の足元に”それっぽく”お供えしていたんです!」
「!?」
「貴方はそれを勘違いした。さも伝説を知っているかのように話しているおじいさん。貴方はまんまと、私の書いた伝説になぞらえて殺人を犯していたんですよ!」
「そんなバカな!?」

 皆の視線が、一斉に老人に集まった。老人はまるで大仏のように身動き一つせず固まったまま平等院を見つめていた。一人の宿泊客が首を傾げた。

「じゃあ天狗伝説は……いるかも分からない犯人を炙り出すための、”引っ掛け”ってこと!?」
「しかし、探偵さん。アンタは一体何だってそんな手の込んだことを……?」
「それは……事件が起きないから……」
「は?」
「ともかく皆さん、事件は解決しました! さあ、平穏無事な日常へと帰りましょう!」
「待て……待て探偵!」

 本気で帰ろうとする平等院に、出てきてものの数分で犯人にされた老人が慌てて叫んだ。

「それで終わりか!? もっとこう……ないのか!? 三人目は……三人目は”つるべ落としの間”で文字通り宙に釣り上げられとるぞ! 貴様、高さ数十メートルはある天井に、一体どうやってこの老体が死体を運んだというの」
「嗚呼、そういうの私はいいんで」
「は?」

 平等院が気怠そうに立ち止まり、後ろ髪をぽりぽりと掻いた。
「何か科学的な奴とか、正直専門用語が多すぎてよく分かんないんで……そういうのは、警察署に行って、思う存分”可愛がられて”から白状してください」
「何じゃと!?」
「少しくらい、駆け引きとかしてやれば……」
「待て! 動機も聞かんのか!? ワシが何故彼らを殺したのか!? 待っ……」
「おい、折角犯人が一生懸命トリックを考えたんだぞ。ちゃんと解いてやれよ」

 なおも追いすがる老人を置いて、平等院はさっさと踵を返した。見兼ねた宿泊客達が、薄情な探偵を呼び止めた。だが平等院は小さく笑みを浮かべ、重たい扉の向こうへと消えていくのだった。

「”事件が解決する”のが、探偵の一番の仕事じゃないですか? やれ動機だとか、トリックだなんてそんな大げさな……。推理小説じゃないんだから、さ」
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