自己正当化 /Armon-tata/
文字数 1,684文字
そこは古い屋内式の劇場に連れて行かれる。もっともこの場所にも楽器はひとつもなかった。
音が鳴るものといえば、段をなした観客席の床を踏んだとき、風のような音が軋んだくらいのものだけ。
「チェンバロはあるの?」
「すまないな、ベニアカネにそんなものはない」
「そっか」
シアリィは、ここで合唱団を呼んで軍歌を歌わせ、軍人たちに発破をかけたいとのこと。
人の声は楽器になると誰かが言うけれど、それ以外に楽器がないというのはなんだか寂しい。
音楽家にとって楽器は相棒だ。声が相棒というのは、自分だけが相棒だということ。自分一人だけで、とても寂しい。それに自分が相棒になるのは難しいこと。自分自身なるものは、いつでも最強の敵になるから。
「よろしく頼むぞ、カッツェン」
そう言って、空気が漏れ出るような軋み声を踏み鳴らしながら、シアリィは劇場から出ようとする。
「悪いが劇場の鍵を閉めておいてくれ、宿はのちほど手配する」
そして、観客席側の両開きの重い扉を閉める音を響かせた。
「うーん」
カッツェンはいまここで断るべきだったか後悔していた。
これは大きな矛盾だ。平和条約の皮切りとして、戦意を高揚させるという矛盾は、明らかに存在する。カッツェンに必要なのは、正当化か、ごまかしだった。
考えを整理するために、なんとなしにカッツェンは劇場を歩き回った。ステージ、そして、観客席。そこで彼は気づく。観客席の段差を歩くと、ちょうど一オクターブの音程を奏でた。
本来チェンバロなどなくても、カッツェンは絶対音感を持ち合わせているから、音程の確認などしなくていい。
だが作曲は実際に音に触れてやったほうが、いい曲が作れると経験で知っていた。
小幅に歩いたり、大股に歩いたり、飛んでみたりして、床をチェンバロのように弾く。
「やってみるか」
シアリィから支給されていた白紙の楽譜を広げ、カッツェンは曲と歌詞を書き始めた。
Ama, edol kielar falfa dormech chot.(いま、我らが血潮が熱狂に滾る)
Dormech mahk sag manch grasgoh.(その熱血を以て骨肉まで燃やせ)
Ama, maharahch sekre ohra dan.(いま、我らが使命が神託を超える)
Dormech sakrakra asram grasgoh.(その熱血を以て心情まで燃やせ)
Belmo orla meknemi sokra-sokra.(最後の一人まで追えよ)
Dirmi bal mosh techo onda.(空を紅蓮に染めるまで)
Delmo amebori teriav said-said.(罪より重き命を負えよ)
Esmo girbia bada ashmoren onda.(我ら正義果てなきまで)
Selmo danka kel-danka suza-suza.(戦えこの決戦を終えよ)
Amebori dormech kuridol onda.(命の紅い雫を搾るまで)
Danka! Teriobra kuorio bel sur.(討て、我らが大地を侵すものを)
Danka! Teriobra masheko sak sur.(討て、我らが大地を壊すものを)
このときカッツェンはひとつのことを願い軍歌を書いた。
その願いこそが、軍歌を書く理由だ。
決して他国と戦うためではない。これから来たる暗闇星と向き合い、戦うための歌としてこの軍歌を書いた。
(討て、我らが大地を侵すものを)
(討て、我らが大地を壊すものを)
とは、まさにその理由付けである。
矛盾を極小にまで小さくする巧みなやり方だ。またなおかつ自己保身的な、かわし方だった。
それでよかったのだろうか。
結果的に、それはよくなかった。