第29話 『[新版]マヤコフスキイ・ノート』
文字数 2,217文字
水野忠夫
平凡社
発行日 2006年12月11日 初版第1刷
凄い本である。
亀山郁夫さんの『破滅のマヤコフスキー』も凄かったが、詩そのものより、マヤコフスキーの人となりを書いていた。人妻リーリャ・ブリークをはじめとする複数の女性たちとの恋や、自殺? の疑問符も。別の作者の『きみの出番だ、同志モーゼル』は、自殺と言われたマヤコフスキーの死を謀殺として述べた本だった。どちらも面白かったが、先輩格の水野さんのこの本で、ソ連革命後の詩人グループの様相などを初めて知った。マヤコフスキーの恋愛や自殺も重要なトピックだが、彼がロシア革命の詩人として、どのように活動したのかというトピックの方がはるかに重要に思える。だから、水野さんのこの本は希有な読書体験だった。そういう本は人生に数冊しかないような気がする。
14歳で初めて詩を書き、15歳でボリシェビキ党に入党し、逮捕される。16歳で二度目の逮捕。革命前の帝政ロシアである。
37歳で自殺(あるいはOPGU ... ソ連国家計画委員会に謀殺)したマヤコフスキーは、もちろん並の人間ではなかった。
ロシア語の翻訳家だった水野さんは、マヤコフスキーの全集をソ連から取り寄せ、ロシア語を読んでそのメモを「マヤコフスキイ・ノート」に書きためていった。最初雑誌に掲載されたこの本は、1973年に中央公論社から単行本として出版され、その後、大幅に加筆され平凡社ライブラリーに収録された。
自分の覚えのために書いておく。ロシア革命後の詩人/文学者グループの概要。
★アヴァンギャルド(マヤコフスキイなど)
★「同伴者」作家(『白衛軍』ブルガーコフもここに入り、ソ連20世紀の名作多数)
★プロレタリア文学
「同伴者」グループと言うのは、革命に反対しないが心酔もしない人々。
アヴァンギャルドとは別名「未来派」。マヤコフスキイは、詩や戯曲だけでなく、「ロスタ」(=ロシア通信社の意味。具体的にはプラカード)の文と絵も書きまくった。彼は文学だけでなく、若い頃姉に倣って絵の勉強もしたので、革命後、朝から夜中、ときには朝まで革命のプラカードの文章を書き、絵も描きまくった。ちなみにマヤコフスキイは入学した絵の大学の前時代的勉強に飽き足らず、退学。その他学校も退学処分になったりした。枠にはまりきらない人だった。
どこの国の文学派閥、グループにも理念があるが、ソビエト連邦の文学グループは特殊だ。例えば、マヤコフスキイ達は革命を肯定するから、革命前の「ブルジョアジー」的な文学は否定する。ロシア語を発展させたプーシキンですら、批判されるのだ。革命的精神を労働者や農民に伝えるという使命を持っていた。
1905年(マヤコフスキイ12歳)の第一次ロシア革命は、1月の「血の日曜日」事件で有名だ。普通ロシア革命の日付は、1917年、2月革命だ。最後の皇帝ニコライ二世が退位。ソビエトが成立したのは、同じ年の10月革命である。
マヤコフスキイとその仲間たちは、革命に心酔し、その精神を拡張するために詩や演劇などの文学、絵画などの芸術を行った。10月革命直後は、その気持ちが高揚していて、たくさんの情熱的な革命詩ができた。しかし、時が経つにつれ、高揚した気持ちはおさまり、ネップ(社会主義の国で資本主義的な経済活動を許容する新経済政策)では、安定と引き換えに、沈滞とブルジョアジー的な雰囲気が国に漂った。
マヤコフスキイはその沈滞を嫌い、プロレタリア文学グループに接近したり、党派を変えながら詩作20年の展覧会を行うが、前のグループに断らずにグループ替えをしたので、詩人はほとんど誰も展覧会に来ず、ボイコットされた。しかし、展覧会は普通の人々で、立錐の余地がないほど大盛況であった。ペテルブルクでもモスクワでも。
次第にマヤコフスキイは詩の仲間たちから孤立し、女性との恋もうまく行かなくて、遺書を書いて自殺した。あるいはOPGUに謀殺される。
若い頃から身体が大きく、帝政ロシア当局に「のっぽ」という名前で尾行されていたマヤコフスキイ。
若い頃は美男子で、年を重ねると眼光がさらに鋭くなる。
女性が強く惹かれるのもうなずける、大迫力のイケメン・アヴァンギャルド詩人だ。
謀殺説がささやかれるのは、その頃、政府に接近しようとしたマヤコフスキイだが、レーニンが亡くなり、スターリン体制になってから、革命に恋した詩人たちは、政府の言う通りにしなければ生きて行けなくなった(文学者だけでなく、ショスタコーヴィチなどの音楽家も)。マヤコフスキイのように自殺したと言われ、同じく謀殺が疑われるエセーニンの本も、スターリン体制下では禁書になった。
かなり詳しくマヤコフスキイの詩と仕事について読んだと思う。
うちにある『ズボンをはいた雲』(他にも『風呂』とかいくつかブックレットがあったが意味不明でこれだけ残った)や、図書館で借りてきた詩集の詩の一編でも少しは理解できたらと思う。
やっぱり、ロシアは歴史も文学も面白い国である。
強烈な声、型破りな個性のマヤコフスキイは、大迫力のイケメン・アヴァンギャルド詩人だ。
この文庫版は、本文のみで554ページで、章も4つしかないから、途中で完読できるか不安になった。ロシア革命後の詩人グループの様相の辺りは、とても面白いが、あまりに詳しくて嫌になってきたところへマヤコフスキイの詩の翻訳がたくさん挿入され、そこから読むスピードが上がったと思う。
平凡社
発行日 2006年12月11日 初版第1刷
凄い本である。
亀山郁夫さんの『破滅のマヤコフスキー』も凄かったが、詩そのものより、マヤコフスキーの人となりを書いていた。人妻リーリャ・ブリークをはじめとする複数の女性たちとの恋や、自殺? の疑問符も。別の作者の『きみの出番だ、同志モーゼル』は、自殺と言われたマヤコフスキーの死を謀殺として述べた本だった。どちらも面白かったが、先輩格の水野さんのこの本で、ソ連革命後の詩人グループの様相などを初めて知った。マヤコフスキーの恋愛や自殺も重要なトピックだが、彼がロシア革命の詩人として、どのように活動したのかというトピックの方がはるかに重要に思える。だから、水野さんのこの本は希有な読書体験だった。そういう本は人生に数冊しかないような気がする。
14歳で初めて詩を書き、15歳でボリシェビキ党に入党し、逮捕される。16歳で二度目の逮捕。革命前の帝政ロシアである。
37歳で自殺(あるいはOPGU ... ソ連国家計画委員会に謀殺)したマヤコフスキーは、もちろん並の人間ではなかった。
ロシア語の翻訳家だった水野さんは、マヤコフスキーの全集をソ連から取り寄せ、ロシア語を読んでそのメモを「マヤコフスキイ・ノート」に書きためていった。最初雑誌に掲載されたこの本は、1973年に中央公論社から単行本として出版され、その後、大幅に加筆され平凡社ライブラリーに収録された。
自分の覚えのために書いておく。ロシア革命後の詩人/文学者グループの概要。
★アヴァンギャルド(マヤコフスキイなど)
★「同伴者」作家(『白衛軍』ブルガーコフもここに入り、ソ連20世紀の名作多数)
★プロレタリア文学
「同伴者」グループと言うのは、革命に反対しないが心酔もしない人々。
アヴァンギャルドとは別名「未来派」。マヤコフスキイは、詩や戯曲だけでなく、「ロスタ」(=ロシア通信社の意味。具体的にはプラカード)の文と絵も書きまくった。彼は文学だけでなく、若い頃姉に倣って絵の勉強もしたので、革命後、朝から夜中、ときには朝まで革命のプラカードの文章を書き、絵も描きまくった。ちなみにマヤコフスキイは入学した絵の大学の前時代的勉強に飽き足らず、退学。その他学校も退学処分になったりした。枠にはまりきらない人だった。
どこの国の文学派閥、グループにも理念があるが、ソビエト連邦の文学グループは特殊だ。例えば、マヤコフスキイ達は革命を肯定するから、革命前の「ブルジョアジー」的な文学は否定する。ロシア語を発展させたプーシキンですら、批判されるのだ。革命的精神を労働者や農民に伝えるという使命を持っていた。
1905年(マヤコフスキイ12歳)の第一次ロシア革命は、1月の「血の日曜日」事件で有名だ。普通ロシア革命の日付は、1917年、2月革命だ。最後の皇帝ニコライ二世が退位。ソビエトが成立したのは、同じ年の10月革命である。
マヤコフスキイとその仲間たちは、革命に心酔し、その精神を拡張するために詩や演劇などの文学、絵画などの芸術を行った。10月革命直後は、その気持ちが高揚していて、たくさんの情熱的な革命詩ができた。しかし、時が経つにつれ、高揚した気持ちはおさまり、ネップ(社会主義の国で資本主義的な経済活動を許容する新経済政策)では、安定と引き換えに、沈滞とブルジョアジー的な雰囲気が国に漂った。
マヤコフスキイはその沈滞を嫌い、プロレタリア文学グループに接近したり、党派を変えながら詩作20年の展覧会を行うが、前のグループに断らずにグループ替えをしたので、詩人はほとんど誰も展覧会に来ず、ボイコットされた。しかし、展覧会は普通の人々で、立錐の余地がないほど大盛況であった。ペテルブルクでもモスクワでも。
次第にマヤコフスキイは詩の仲間たちから孤立し、女性との恋もうまく行かなくて、遺書を書いて自殺した。あるいはOPGUに謀殺される。
若い頃から身体が大きく、帝政ロシア当局に「のっぽ」という名前で尾行されていたマヤコフスキイ。
若い頃は美男子で、年を重ねると眼光がさらに鋭くなる。
女性が強く惹かれるのもうなずける、大迫力のイケメン・アヴァンギャルド詩人だ。
謀殺説がささやかれるのは、その頃、政府に接近しようとしたマヤコフスキイだが、レーニンが亡くなり、スターリン体制になってから、革命に恋した詩人たちは、政府の言う通りにしなければ生きて行けなくなった(文学者だけでなく、ショスタコーヴィチなどの音楽家も)。マヤコフスキイのように自殺したと言われ、同じく謀殺が疑われるエセーニンの本も、スターリン体制下では禁書になった。
かなり詳しくマヤコフスキイの詩と仕事について読んだと思う。
うちにある『ズボンをはいた雲』(他にも『風呂』とかいくつかブックレットがあったが意味不明でこれだけ残った)や、図書館で借りてきた詩集の詩の一編でも少しは理解できたらと思う。
やっぱり、ロシアは歴史も文学も面白い国である。
強烈な声、型破りな個性のマヤコフスキイは、大迫力のイケメン・アヴァンギャルド詩人だ。
この文庫版は、本文のみで554ページで、章も4つしかないから、途中で完読できるか不安になった。ロシア革命後の詩人グループの様相の辺りは、とても面白いが、あまりに詳しくて嫌になってきたところへマヤコフスキイの詩の翻訳がたくさん挿入され、そこから読むスピードが上がったと思う。