彼女は飼育員ちゃん、名前はまだない

文字数 4,388文字

「なるほど、そんなことがあったのね」

 謎の犬に脅されたことや、檻に閉じ込められた飼育員を売買しようとしていたこの貴族っぽそうな二人の会話をカレンに説明した。だが鎖に繋がれた飼育員ちゃんを買おうとしていた方が汗を滲ませ叫ぶ。

「は、はぁ!!?意味わかんねぇし!?人身売買なんてするわけないだろ!そんなことより離せ!無実の罪で人にこんなことしていいと思っているのか?」

「あ、実はというと誘拐犯から雇い主とその事情についてある程度聞いてたのよ、減刑と引き換えにね。で、あとはあんたらの身柄を捕まえる口実があれば良かったから、言い逃れしても裏どりはばっちりよ。まさか現行犯になるとは思ってなかったけど」

「カレンさん抜かりなさすぎだろ」

 俺は感心を通り越して少し引いた。当の二人は諦めたように肩を落とす。
 カレンは飼育員ちゃんを一瞥する。ため息を漏らすと気を取り直して、笑顔を作っていった。

「実はさっきの用事がその件だったのよ、ま、私はこいつらの身柄を運ばないとだから、サツキはこの子ギルドに連れてご飯でも食べさせてあげて」

 ついでにこれ!と、小物っぽい男の懐をまさぐって取り出した檻の鍵を俺に押し付けて連行していった。

 鍵を開けて檻を扉の様に開く。手を伸ばし、飼育員ちゃんの腕を掴もうとするが、その時に飼育員ちゃんが目を覚ました。

「んん、」

「良かった、目が覚めたか」

 本当によかった、下手すれば俺が運ぶ時に変なところを触って、そのタイミングで目が覚めてセクハラ扱いされて拘束されて牢屋に閉じ込められたは良いけれど、その牢屋でも俺を捕まえた誘拐犯が俺を毛嫌いして牢屋内でいじめが始まって、社会の内でも外でも殺されるのかと思った。

 俺が檻から身を引くと、飼育員は自分で這いながら出る。

「よっこいしょ」

 パンパンと、深緑色の服をはたく。改めて見ると、その姿はまるで動物園で動物のお世話をしている飼育員のようだ。服をたたいたことで、乾いた土が煙のように舞い上がった。よく見ると、まるで泥が乾いたような土が檻の中に取り残されている。元は泥だらけだったのか?
 彼女は表情を全く取り乱すことなく、首をカクンと傾げた。

「ええと、君は?」

「俺?俺は、山田サツキだ。サツキでいいよ。君の名前はなんていうんだ?」

「...」

 彼女は黙った。いや、視線を逸らして、何かを考えているようにも見える。名前を聞かれただけなのに。もしかしてこの世界って結構プライバシー保護が厳重だったりするのだろうか。

「あのぉ...名前教えられない?」

「...分からない」

「え、」

 プライバシー保護が厳重のほうが、まだ救いがあっただろう。

「私は、私の名前が、分からない」

 直ぐに浮かんだのは、カレンから聞いた記憶喪失した転移者の話だった。目の前の彼女は、保護すべきプライバシーを、既に失っているのかもしれない。

 彼女がどれくらい記憶を失っているのか。それを確認する必要があるだろう。それにはまず、彼女のことをどう呼ぶべきか。考えるのが面倒なので、シンプルにした。

「ok、取りあえず飼育員ちゃんって呼ぶことにするね」

 無反応。飼育員という言葉そのものも知らないなら当然か。俺はおほん、と咳払いして確認を続けた。

「君は、生前のことは覚えているか?死ぬ直前のこととか」

「死ぬ、直前?私は死んだ?それにしてもこの夢、やけにリアルだ」

 彼女は言いながら周囲を見渡している。
 これを夢だと思っているのか?この異世界転移を?確かにこんなこと普通は信じられないだろう。俺はこの手の物語を嗜んでいるから受け入れられたけど。

 だがそれは、嗜む経験が、嗜む記憶があっての受容である。死んだ経験すら記憶として奪われていたとすれば、夢として誤解を招いてしまうのも無理はない。

 ん?誤解?

「ちょっとまって、なぁ、君は自分のことをどこまで話せる?親兄弟はいる?好きな食べ物は?好きな動物は?」

「親兄弟はいない、私を育ててくれたのはお爺さんだけだ。好きな食べ物は肉だ。特に自分で狩った肉だな。動物はみんな好きだ。みんな家族であり自然の一部だ」

「肉はその『みんな』に入らないんだな」

「肉は無駄ではない殺生」

 飼育員ちゃんはグッ!と親指を立てる。

 俺にはよくわからないが、この飼育員ちゃんの中では、ちゃんと矛盾なく折り合いがついているらしい。

 そんなことより、予想通りだ。この世界を「夢」と誤解することができるということは、夢ではない状態を、即ち現実を知っているということだ。ちゃんと記憶があるのかもしれない。だが自分の名前を思い出すことはできないか。何だか中途半端な状態だ。こいつは一体何なのだ?

 ──────────────────

 眠っていて動けない場合のことを考えて、カレンは宿を案内しろと言ったのだろうが、この飼育員ちゃん、元気がハツラツとし過ぎていて全然宿に来てくれない。どころか、旨そうな飯の匂いがするからと、俺の方がギルドの酒場まで引っ張られたくらいだ。

 酒場に入るなり、キッチンに向かって走り出しそうになったので、しがみついて止める。だがこいつ、めっちゃ力が強い。並みの成人男性より力ある。

 エプロン姿の、昨日オムライスを振る舞ってくれたマスターが、今日も今日とて料理に精を出していた。フライパンを四つ同時に操り、まるでドラムを演奏しているようだ。

 俺に気づくと、苦笑いを浮かべて語りかける。

「いらっしゃいサツキ君、その子は?」

 女の子にしがみつく様子はなんと珍妙なものだろう。

「ちょっとお腹が空いているようなんですよ、取りあえず二人前で」

「お、おう、二人前だな」

 飼育員ちゃんを見るマスターは、少し気がかりな表情をしていた。変な誤解されてないといいんだがな。

 テーブルを囲んで、俺と飼育員ちゃんは共に晩御飯を待っていた。よだれが垂れるのをズズズッと啜り、じっと飼育員ちゃんは耐えている。

「ほら、二人前」

 オムライスを器用に二人前出すエプロンの店長。
 コト。と飼育員の目の前に置かれる。

 瞬間、飼育員はそのオムライスに顔をうずめた。

「ぬぅあっつ!!」

「何でぇ!?」

 反射的に突っ込んだ。直ぐにお手拭きで飼育員の顔を拭く。飼育員は俺をキッと睨んだ。

「この飯、あつ!だました!」

「騙してないわ!むしろそのまま食べてくれる期待をよくも裏切ってくれたもんだ!」

「なかなか元気あるじゃないの」

 後ろを振り返ると、カレンがギルドに帰ってきていた。誘拐の依頼主を連行してきた帰りなのだろうか、片手には手配書の確認用書類を持っている。

 飼育員ちゃんを一瞥して、心配そうに、カレンは聞いた。

「それで、彼女はその、記憶はあるの?」

「んー、微妙にある」

「何その中途半端な返答......」

 カレンが(いぶか)しむのも無理はない。記憶をなくした転移者を幾度となく見てきたカレンから見れば、彼女が記憶を消された転移者であると思うだろう。だってさっきまでオムライスに顔面ダイブしていたわけだし。

 カレンがその飼育員ちゃんに聞く。

「名前はなんて言うの?」

「さぁ?」

 飼育員ちゃんはオムライスいっぱいの顔をカレンに向ける。それだけでは、記憶がある証明には不足しているだろう。手助けで俺はカレンに続いて質問した。

「だけど他の記憶は部分的にはある。好きな動物は?」

「動物!」

「好きな食べ物は?」

「肉!」

「な?微妙にあるだろ?」

 俺はカレンを見て確認する。カレンは目を丸くして驚いていた。え、これで納得するの?
 口を数秒パクパクさせた後、カレンは言う。

「君を誘拐した人って、どんな感じだった?」

 真剣なまなざしを向けられた飼育員は、んー、と考えた後に、言った。

「偉そうな奴、二人いた」

 きっとカレンが連行した小貴族二人のことを言っているのだろう。聞き方が良くなかったことを察し、さらに尋ねた。

「じゃなくて、そうねぇ、()()()に誘拐されたとかは?」

「カエルって何だよ、王子様じゃあるまいし」

 キスで記憶が戻るなんてないだろう。そういう茶々を入れたのだが、飼育員ちゃんはハッ!と思い出したかのように賛同した。

「いた、カエルの頭した奴!」

「いるのかよ!」

「やっぱりそうなのね」

 カレンは腕を組み俺を見る。そして人差し指をピンと立てた。

「記憶喪失事件について周囲に定期的に聞き込みをしているんだけど、そこで今日、複数の共通する情報が浮かび上がったの。それがカエルの被り物」

「なるほどな、で、さっき飼育員ちゃんにあーいう質問したんだな」

「そゆこと」

 カエルの被り物か。そんなのが現れたら普通は気づくだろうし、その後も記憶に残りやすいだろう。だがそれが誘拐犯だとは普通思わないだろうな。

「カエルの被り物、これは有力な情報よ、絶対に捕まえる」

 カレンの目が希望に満ち溢れている。これはカレンの悲願なのだ。その答えに一歩どころかゴールテープが見えてきたとなれば、俺も手を貸してあげたくなる。

「ああ、絶対犯人を見つけよう!」

「んー!このご飯食べずらい!」

 飼育員ちゃんが唸っていた。こいつが飼育される側だろこれ。スプーンの使い方も記憶として奪われてしまったのだろうか。

「はいはい、食べさせてあげるから」

 カレンが飼育員ちゃんのスプーンでオムライスをすくい上げ、フーフーしてから飼育員ちゃんの口に運ぶ。カレンママの誕生であった。

「カレン、これおいしい!」

 飼育員ちゃんがオムライスの魅力に目覚めたようだ。そうだ、オムライスはマジでうまい。トロトロももちろんうまいが、普通に焼いた薄焼き卵で包んだ家系オムライスも絶品だ。オムライスはどんな心も開いてくれるのだろう。オムライスを食べさせてくれたカレンを気に入ったようだ。

「そのカエルの人って、どういう能力を持っていたか、わかる?」

 心を開いたであろうタイミングで、カレンが聞きたかった本題を聞き出した。

「カエルは知らない、けど本持ってる奴が、私の玉、本に入れてた」

 飼育員ちゃんがテーブルにあったメニュー表を本に見立てて、その人の仕草であろうジェスチャーをしていた。本は何となくわかるが、変な玉に関してはマジで分からん。

「本?玉?良く分からないわね、サツキ分かる?」

 カレンも知らない様だ。

「本はあるけれど、飼育員ちゃんの玉?ってのが分からない。でも記憶がもし情報として出し入れ可能なら、その情報を本に収納とかしているのかも、ほら、本って本来は情報を記録するためだし」

 ま、記憶を出し入れっていう意味不明な事象があればの話だが。
 カレンはまだ表情を曇らせる。どうやらカレンも知らないらしい。

 腹いっぱい食べたのか、飼育員ちゃんはウトウトとおねむなご様子だった。ウトウトしているその表情は、かわいらしい女の子の表情をしている。それを包み込むカレンは...なんかもう、聖母だった。
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