◆02今日まで私はドレイだった-Ⅵ 明日へ

文字数 1,517文字

 急いで家に帰って、母を連れ出し、川べりに戻った。
 母は驚き、戸惑い、混乱していたけれど、王女の前に出ると、かしこまって(ひざ)をついた。
 自分でもまったくもって驚いたことに、あたしは母を、赤ちゃんの乳母(うば)として王女に紹介したのだった。そんな大胆なこと、どうして自分に思いつくことができたのか、不思議でならないんだけれども。
 頭が熱くなって、真っ白になって、夢中だった――。
 もしかして、あなたが導いてくださったのですか。

 赤ちゃんを抱いて待っていた王女は、あたしたちをまじまじと見て、母に言った。
「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。手当てはわたしが出しますから」
〝わたしに代わって〟と、王女は言った。
 それはすなわち、〝この赤ちゃんの母親はわたしである。そのわたしに代わって、あなたが乳母として乳をやりなさい〟と、王女が言ったということだ。

 王女はあたしのたくらみも、あたしたちの事情も、当然、母が赤ちゃんの実の母であることも、すべて承知しているのだろう、と、少なくとも、あたしにはそう確信できた。
 だけど、なにも言えなくて、あたしと母は、何度も頭を下げながら、つないでいた手を握り合った。
 心も体もふるえていた。これまで経験したことのない、途方もなく大きな感動と、感謝で。

 男児殺しを命じるファラオもいれば、助けてくれる王女もいる。
 王女が助けてくれたのは、赤ちゃんの命だけじゃない。王女がいなければ、あたしと母は、赤ちゃん殺しの実行犯になってしまうところだった。大きな罪を犯すところだった。その危機から、王女はあたしたちを救ってくれたのだ。

 エジプト人とかヘブライ人とか、ひとくくりにして考えて、(なげ)いたり嫌ったりしていた自分は安易だったと、あたしは落ち込み、反省した。
 エジプト人にも、ヘブライ人にも、いろんな人間がいるのだろうし、いてあたり前なのに。
 あたしは小さな人間だった。小さな世界しか見ていなかったと、つくづく思った。

 人間の決めたことなんて、まず疑ってみるべきだし、それより前に、世界は信じてみるに値する、それを信じるべきだったのだ。
 だって、世界は人間がつくったのではなく、あなたがつくったものなんでしょう?

 あたしたちヘブライ人を、ドレイだと決めたのはエジプト人で、あなたじゃない。
 エジプト人の王女は、ヘブライ人の赤ちゃんを、自分の子として育てると言った。
 人間の決めたことなんて、人間の意思でいくらでも変えられる。王女はそう教えてくれた。
 あたしがドレイだったのは、ほかでもないあたし自身が、それを認めてしまっていたからだ。エジプト人のせいにして、実はあたし自身が、そう決めてしまっていた。
 だから、王女はもう一つ、あたしを救ってくれたことになる。自分自身をドレイだと決めつける罪から、あたしを解放してくれた。

 今日まで私はドレイだった。
 だけど私はドレイじゃない。
 私自身が、私自身をドレイだと決めつけるのは、やめにします。
 だから――。
 今日から私はドレイじゃない。ほんとうは、生まれたときからドレイなんかじゃなかったのだ。

 あたしと母は、赤ちゃんを連れて帰って乳離れするまで手元で育て、それから約束どおり王宮へ連れて行って、王女に預けた。
 王女は赤ちゃんを引き取って、モーセと名づけた。
 命名の由来を、王女はこう語ったという。
「水の中からわたしが〝引き上げた(マーシャー)〟のですから」

AAΛY(アーメン・アーメン・レゴー・ヒューミン) 出エジプト記1:22、2:1~10
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