第1話 はじまりの日
文字数 6,255文字
『ぼくのゆめ』 おがわはるや
ぼくのゆめは、ロボットはかせになることです。
ぼくはじぶんで作ったロボットと友だちになりたいです。
がたん、という小さな衝撃を感じて小川は重いまぶたをあげた。
昨夜はよく眠れなかった。それで移動中の車内でついうとうとしてしまった。窓ガラスは雨粒がいく筋もの川を作っていた。今は梅雨の季節だ。しばらく雨が続くという。
「……勇気がありますね」
隣の黒づくめの事務官が無表情に小川を見ていた。
「怖くはないのですか? すべてを捨てることに」
「真実を知らずに死ぬことのほうが、よほど怖いですよ」
小川はにこりと笑って見せた。無愛想な事務官に、なんならウインクしてやってもいい。
「失礼いたしました」
さして失礼とも感じていない口調だが小川は聞き流した。樹海を突き抜ける一本道を右折すると、窓の外に重厚な金属の扉で閉じられたトンネルの入り口が見えてきた。
そこで運転手は車を止めた。
「それでは最終確認です。小川晴哉博士」
「はい」
「あなたの市民IDは本日付けで抹消されます」
小川は今夜、出張先で事故に遭い死亡することになっている。明日には家族の元へダミーの遺体が届けられる。何年も悩み考え抜いて決めたことだが、たとえ説明できたとしても家族は納得しないだろう。
目を閉じ両親と妹に心のなかで不孝を詫びる。
「今後ドーム以外で社会生活は出来ません」
はい、と小川はうなずいた。ドームで不適格者とされることはそのままリアルな死を指す。膝に置いた手のひらに汗がにじむ。
「生殖能力を無力化させます」
閉鎖された施設内で新しい命を作るわけにはいかないし、性欲をある程度抑えることで職員同士のトラブルを避ける意味合いもあるのだろう。
「投薬により生殖能力の無力化が確認できた時点から抗エイジング処方が始まります。小川博士は現在41才ですね。……不確定要素はありますが、40代からの処方ですと過去最高寿命は200才に達しています」
へえ、と小川は感心した。抗エイジング処方は世界政府が特別に認めた者にしか施さないものだ。寿命のデータなど知るよしもない。手つかずの160年……その間に自分は納得いく成果をえられるだろうか?
「以上、すべてを承諾されるならば、こちらの書類に直筆で署名を」
革のバインダーごと渡された書類に年代物の万年筆で小川は署名した。
「……味がありますね」
小川の金釘文字を見て事務官はニヤリと笑った。
ほっとけ! 小川は万年筆のキャップを閉めながら腹のなかで毒づいた。
引き続き、両目の眼底毛細血管、両手の掌紋と同じく血管画像をタブレット端末に読み込ませる。データ登録を済ませ事務官が送信すると、トンネルの扉が左右にゆっくりと開いた。
オレンジ色のライトがはるか先まで続く。
この先に小川が幼い頃から求め続けたものがある。
……ようやく、来たのだ。統一暦2585年、6月。ここから再び歩き始めるのだ。
小川は自身の40年あまりの記憶を振り返った。
その年月は幻のロボットを探索し追い求めた日々でもあった。
◆◆◆◆◆◆
ロボットの話を初めて聞いたのは祖母からだった。
「こんなとき、ギンガとリュウセイは来てくれないのかね……」
祖母がテレビのニュースを見て呟いた。
画面には山火事の様子が映し出されていた。空撮の画像は集落に迫り来る炎を生々しく伝える。
晴哉は初等科の宿題をする手を止めて祖母と一緒にテレビを見た。
「おばあちゃん、ギンガとリュウセイって?」
「おや、知らないかね? 助けに来てくれるんだよ、空を飛んで」
そう言うと祖母は右の掌を下に向け飛ぶような仕草をして見せた。
「飛行機?」
「ロボットだよ。双子の。他にもきょうだいがいたはずだけど、近ごろはとんと目にしないね」
晴哉は手近にあったタブレットからネット検索をしてみた。
検索結果……武骨なロボットが画面に現れた。町で見かける介護やサービス業のヒト型ロボットよりはるかに機械むき出しで不恰好だ。
しかめ面の晴哉の隣に祖母がやってきてタブレットをのぞいた。
「……こんなだったかね? もっとお人形みたいにキレイだと思っていたけど」
首をひねる祖母に晴哉の母が声をかけた。
「お義母さんの言うロボットは、あの事故でみんな壊れたっていう話しじゃありませんでしたか?」
「ああ、そうだった。春哉が生まれる前だから、もう十年以上前の話かね」
あの事故……この島国の東側半分を立ち入り制限区域にした大惨事……教科データでも学習した。
大地震がもとで起こった原子力発電所の事故だ。
祖母と父親の故郷は東側にある。事故現場からは遠く離れていたが、移住を余儀なくされた。
祖母がため息をついた。今住んでいる七十階建ての集合住宅とは比べものにならないくらい愛着のある場所。晴哉も行ったことがない故郷を思い出しているのだろう。
『桜とりんごの花が一度に咲く』故郷を。
「日に焼けたような肌色に、銀髪と金髪だったよ」
祖母の声に晴哉は振り返った。
「あとから女の子たちも作られたんだよ。見かけがまるで人間みたいで心を持っていて……『新しい友だち』と言われていた」
トモダチ? 心を持っている?
「おばあちゃん、心のあるロボットなんかいないよ」
いやいや、と祖母は遮った。
「確かにいたんだよ」
唐突に晴哉の頭には、すらりとした二体のシルエットが浮かんだ。一体は銀髪、隣に並ぶもう一体は金髪。
どんな顔? どんな声でどんなふうに話すの? どんなふうに動く? 飛ぶって、翼があるの?
心があって……トモダチになれるの?
晴哉は耳にしただけの幻のロボットで頭の中がいっぱいになった。
でもパッドの画像とかけ離れ過ぎている。やはり祖母の思い違い?
「ね、おばあちゃん。もっとお話聞かせて、ロボットの」
美しい幻想が晴哉の中に宿った。
◆◆◆◆◆◆
「小川、おまえ何やったんだよ!?」
大学院卒業間近の学内で小川は友人の田嶋にとがめられた。
「何のこと?」
軽く膝を曲げて小川より控えめな身長の田嶋を覗くと舌打ちを返された。そのまベンチに引っ張っていかれる。
「たぶん政府の公安だ。このあいだ声をかけられた。おまえが何を調べているのか知らないかって」
タバコに火を付けて田嶋が小川を睨んだ。
「はあ? ぼくが調べていること?」
「……あれだろ、ギンガとかいうロボットのことじゃないか?」
小川は地道に調べていた。ギンガとリュウセイのことを。しかし、ネットでもアナログな活字の紙媒体を漁ってもたいした収穫はいまだにない。
事故で十体のロボットが壊れたこと。
開発したのは九条博士という人物らしいということ。
その程度だ。
「三十年もまえの原発事故で、壊れてなくなったロボットになんか興味あるやつなんかいない」
小川はその反応のほうが不思議でならなかった。どうして皆忘れようとしているのか? あれだけの大事故を、大量の避難民を出し自治州の半分を失ったというのに。
あまりの念の入れように、世界政府が意図的に忘れさせようと仕向けているのではないかとさえ思う。
もっとも自分が関心を持ち続けるのは、ルーツが東側だからという要因が少なからずあるからだろうが。
「お前くらいデキる奴なら、おとなしくしてれば将来は安泰なはずじゃないか。希望していたロボットを作れる就職先だって決まったんだろ?」
「ああ」
「だったら……」
小川はうなずいて見せた。
「子どもじゃないからな。もう卒業さ。真面目に仕事する」
小川の返事に安堵したようだ。
「田嶋もタバコを控えたらどうだ? 役所の連中はタバコ吸うやつは出世しないとかいうし、だいいち健康にも良くないだろ?」
はっ、と田嶋は笑った。
「タバコ吸うくらいでハンデになんかなるかよ。肺は金を稼いで全取っ替えしてやるぜ」
不敵な田嶋に手を振って別れた。
……そう、仕事するさ。真実を知るために。
小川の就職先は、特約つきの葬儀社だった。
独り暮らしの老人の葬儀一切、死後の後始末を請け負う。一つの条件と引き替えに。
『生まれは東側の立ち入り制限地区の……』
小川は収集されてきたデータに耳を澄ませた。
葬儀社の狭いメンテナンスルームのきしむ椅子に座り直す。
「小川、今日も泊まりか? 残業代つかないぞ」
先輩の声を軽くいなして、おやすみなさいとだけ挨拶を送る。
壁に立てかけられた看取り専用のロボットたちは充電中だ。額に刻印されたナンバーはここの事業所を示している。
薄目を開けたまま微動だにしない。見かけは麗しい若い男女。それは生前の希望にあわせ派遣される。
独居の看取りには一つの条件がある。それは、自身の人生の記憶をすべて差し出すこと。ロボットに記憶を語り死後は脳からもサルベージする。市井の人々の膨大なアーカイブ。
それらは匿名化され民俗学や社会学を学ぶ者たちに提供される。『誰か』の検閲を経て。
……文献や情報がないのなら、個人の記憶の中に残る彼らの痕跡を探す…。
小川は老人たちの加工される前の記録の断片を丹念に集めた。
『あとで記憶ちがいと言われましたが、あそこには火力発電所しかなかったはず』
このフレーズは何度も聞いた。
原子力発電所などなかった……、と。
では、なぜ公式の歴史は嘘に書き換えられたのだろう。
政府は何を隠している? 避難した住民へは少額だが今も手当が支給されている。それで黙っていろ、とでもいうように。そう感じるのは、うがちすぎだろうか。
「おまえたちはどう思う?」
答えるはずもないロボットに小川は問いかける。
……心……
どんな仕組みだ?
彼らに与えらた『心』はどんなものだったのだろう?
ロボット工学を学んだが、小川は自力でそんなもの開発できるとは到底思えない。
なぜならば、それは神の領域ではないか。
例えば、Aという事象に対して反応の選択肢を十にする。その選択肢の先にまた十の選択肢……そんなふうに次々増やしていけばロボットの反応は変わる。
でもそれはあくまで『反応』だ。ときにはエキセントリックになるだろう。対ヒトとのコミュニケーションとはなりえない。
現行のロボットは、ヒトの体温、心拍数、瞳孔の微妙な変化、声の高低などから数値化されたヒトの感情を読み取り対応する。
読み取るだけだ。自らの意思はない。
彼らを追い求めている小川さえ思い悩む。
心を持つロボットなど実在したのだろうか。いたとして、それはヒトとどれほどの違いがあるのだろうか、と。幼いころは無邪気に夢想していたことも大人になれば考えることも多くなる。
……それはひどく残酷な存在ではないか……
ヒトにとっても、彼ら自身にとっても。
看取りロボットは、唇の端にかすかに笑みを浮かべ虚空を見つめる。
◆◆◆◆◆◆
インディゴ社製、3つまえのモデル。タイプ、成人女性。
アップされた黒髪には自然な後れ毛。アクセサリーは小さな真珠のピアスのみ…たぶんイミテーションだろうけれど。
額に刻印のある古風なメイド服のロボットの声はアルトだった。
「いらっしゃいませ、小川さま。田嶋さまが先にお待ちでございます」
両手は腹の中ほどの位置に重ね、四十五度のお辞儀。マナー&サーヴ最新バージョン、インストール済みだ。
彼女はゴシック様式のフレンチレストランの奥へと小川を導いた。
「ここ高いだろ?」
薄紅色の食前酒のグラスを灯りに透かして小川が聞いた。
「ワリカンだからな」
個室の向かい側に座るスーツ姿の田嶋はタバコに火をつけたまま、慣れた様子でワインを注文する。
「分かってるけどさ。高給取りのお前と一緒にするなよ」
ロボットはスマートな対応でオーダーを受けると静かに退席した。その立ち居ふるまいを小川は目で追った。
「店に合わせてカスタマイズされている。服装も趣味がいいし清潔だ。オーナーの愛情を感じる」
「ネクタイ曲がってるぞ、男前。小川はロボットばっかり見てるけど、出される料理も楽しめよ。ここのは美味いんだからな」
タバコをふかして田嶋が小川を見る。
「この店を指定したのは喫煙オーケーだからだろ?」
田嶋がしごく当然というように鼻で笑った。
「お前のロボット、評判がいいよ。表情がやわらかくて、まるで生きてるみたいだって福祉課の連中が誉めてた」
「サンキュ」
運ばれてきた前菜の生ハムと生野菜にフォークを入れる。
「卒業して五年か。田嶋の仕事……今は市民課だっけ?」
「去年から市長の鞄持ち」
そうか、つまりは市長の秘書。
「全取っ替えの日も近いな」
たいした出世だと小川はフォークを口にはこんだ。野菜のみずみずしい歯ごたえが心地よい。そういえば、まともな食事をするのは何日ぶりだったか。それを言うなら、髭を剃って正装したのもかなり久しぶりだ。
「小川は独立はしないのか」
「考えたこともないよ」
小川が即答すると、意外と思われたようだ。田嶋がかすかに体を乗り出す。
「お前の技術力なら独立してもっと自由に作れるだろ、いろいろさ」
いろいろ……か。
「端から見れば、妙な業務だよな。この世の最期をロボットに看取らせるなんて。血縁者とは言わなくても人間に見守られて逝くほうが良さそうなものなのに。わざわざ機械相手に人生の思い出を語ってさ」
「たしかにな」
「でも、自分の人生を評価も批判もしない、感情を持ち合わせないロボットにだからこそ話せることがあるのかも知れない」
ロボットがスープをはこんできた。指先を見つめると、爪には甘皮まで作られていた。
「ぼくは……そんなヒトに寄り添うロボットを作りたいと思う」
感情、心を持つロボットは社会に混乱をもたらす。だから現存しないのだ。自分は人の役にたつものを作りたい。人生の幕引きを穏やかにひきうける存在を。
「のっぽのロマンチストめ。髪が跳ねてるぞ。お前が学生時代モテまくりだった理由がわかるね」
「モテ? 田嶋の経済学部と違って工学部なんて野郎ばかりだったぞ」
知らぬは本人ばかりなり、と田嶋は口にしながら持ってきた鞄をかき回した。
「これ」
田嶋は鞄の中から小さめのノートを取り出し小川に渡した。
「スケッチブック?」
「福祉課の廃棄処分される遺品の中にあった…身寄りのない市民の」
クリエイターだった男性のおそらくは子ども時代のものだという。表紙にたどたどしい文字で名前が書かれてある。
表紙をめくった小川の手が止まった。
『ギンガ、リュウセイ』
見知った名前が目に飛び込んできた。
『ユキ、ハナ、トワ、クオン、イノリ、アカリ、ハルカ、カナタ』
そして、十体のアンドロイドのイラストが添えらていた。
「あっ!」
褐色の肌に金と銀の髪。ギンガ、リュウセイ。
「これ……」
ネットで見た画像と違う! かつて祖母が語った姿がそこにあった。
後にクリエイターになったという人物のものだ。子どもが描いた絵とはいえ、たしかにその萌芽を感じさせる。対象を的確に掴んでいた。
十体のロボットは躍動感あふれるポーズで描かれていた。
ショートヘアの女性型や赤い髪の男性型、いちばん小さい二体は緑の瞳。
画面の中に文字があった。
『ともだち』
小川はその字に釘付けになった。
心を持つロボット……はるかな憧れ。
小川がこの道を目指したきっかけだ。
「それ、やるよ」
田嶋の声に我に返った。まばたきをすることさえ忘れていた。小川はぎこちなくスケッチブックを閉じた。それから何を食べ、何を話したか覚えていない。すべてがうわの空だった。
ぼくのゆめは、ロボットはかせになることです。
ぼくはじぶんで作ったロボットと友だちになりたいです。
がたん、という小さな衝撃を感じて小川は重いまぶたをあげた。
昨夜はよく眠れなかった。それで移動中の車内でついうとうとしてしまった。窓ガラスは雨粒がいく筋もの川を作っていた。今は梅雨の季節だ。しばらく雨が続くという。
「……勇気がありますね」
隣の黒づくめの事務官が無表情に小川を見ていた。
「怖くはないのですか? すべてを捨てることに」
「真実を知らずに死ぬことのほうが、よほど怖いですよ」
小川はにこりと笑って見せた。無愛想な事務官に、なんならウインクしてやってもいい。
「失礼いたしました」
さして失礼とも感じていない口調だが小川は聞き流した。樹海を突き抜ける一本道を右折すると、窓の外に重厚な金属の扉で閉じられたトンネルの入り口が見えてきた。
そこで運転手は車を止めた。
「それでは最終確認です。小川晴哉博士」
「はい」
「あなたの市民IDは本日付けで抹消されます」
小川は今夜、出張先で事故に遭い死亡することになっている。明日には家族の元へダミーの遺体が届けられる。何年も悩み考え抜いて決めたことだが、たとえ説明できたとしても家族は納得しないだろう。
目を閉じ両親と妹に心のなかで不孝を詫びる。
「今後ドーム以外で社会生活は出来ません」
はい、と小川はうなずいた。ドームで不適格者とされることはそのままリアルな死を指す。膝に置いた手のひらに汗がにじむ。
「生殖能力を無力化させます」
閉鎖された施設内で新しい命を作るわけにはいかないし、性欲をある程度抑えることで職員同士のトラブルを避ける意味合いもあるのだろう。
「投薬により生殖能力の無力化が確認できた時点から抗エイジング処方が始まります。小川博士は現在41才ですね。……不確定要素はありますが、40代からの処方ですと過去最高寿命は200才に達しています」
へえ、と小川は感心した。抗エイジング処方は世界政府が特別に認めた者にしか施さないものだ。寿命のデータなど知るよしもない。手つかずの160年……その間に自分は納得いく成果をえられるだろうか?
「以上、すべてを承諾されるならば、こちらの書類に直筆で署名を」
革のバインダーごと渡された書類に年代物の万年筆で小川は署名した。
「……味がありますね」
小川の金釘文字を見て事務官はニヤリと笑った。
ほっとけ! 小川は万年筆のキャップを閉めながら腹のなかで毒づいた。
引き続き、両目の眼底毛細血管、両手の掌紋と同じく血管画像をタブレット端末に読み込ませる。データ登録を済ませ事務官が送信すると、トンネルの扉が左右にゆっくりと開いた。
オレンジ色のライトがはるか先まで続く。
この先に小川が幼い頃から求め続けたものがある。
……ようやく、来たのだ。統一暦2585年、6月。ここから再び歩き始めるのだ。
小川は自身の40年あまりの記憶を振り返った。
その年月は幻のロボットを探索し追い求めた日々でもあった。
◆◆◆◆◆◆
ロボットの話を初めて聞いたのは祖母からだった。
「こんなとき、ギンガとリュウセイは来てくれないのかね……」
祖母がテレビのニュースを見て呟いた。
画面には山火事の様子が映し出されていた。空撮の画像は集落に迫り来る炎を生々しく伝える。
晴哉は初等科の宿題をする手を止めて祖母と一緒にテレビを見た。
「おばあちゃん、ギンガとリュウセイって?」
「おや、知らないかね? 助けに来てくれるんだよ、空を飛んで」
そう言うと祖母は右の掌を下に向け飛ぶような仕草をして見せた。
「飛行機?」
「ロボットだよ。双子の。他にもきょうだいがいたはずだけど、近ごろはとんと目にしないね」
晴哉は手近にあったタブレットからネット検索をしてみた。
検索結果……武骨なロボットが画面に現れた。町で見かける介護やサービス業のヒト型ロボットよりはるかに機械むき出しで不恰好だ。
しかめ面の晴哉の隣に祖母がやってきてタブレットをのぞいた。
「……こんなだったかね? もっとお人形みたいにキレイだと思っていたけど」
首をひねる祖母に晴哉の母が声をかけた。
「お義母さんの言うロボットは、あの事故でみんな壊れたっていう話しじゃありませんでしたか?」
「ああ、そうだった。春哉が生まれる前だから、もう十年以上前の話かね」
あの事故……この島国の東側半分を立ち入り制限区域にした大惨事……教科データでも学習した。
大地震がもとで起こった原子力発電所の事故だ。
祖母と父親の故郷は東側にある。事故現場からは遠く離れていたが、移住を余儀なくされた。
祖母がため息をついた。今住んでいる七十階建ての集合住宅とは比べものにならないくらい愛着のある場所。晴哉も行ったことがない故郷を思い出しているのだろう。
『桜とりんごの花が一度に咲く』故郷を。
「日に焼けたような肌色に、銀髪と金髪だったよ」
祖母の声に晴哉は振り返った。
「あとから女の子たちも作られたんだよ。見かけがまるで人間みたいで心を持っていて……『新しい友だち』と言われていた」
トモダチ? 心を持っている?
「おばあちゃん、心のあるロボットなんかいないよ」
いやいや、と祖母は遮った。
「確かにいたんだよ」
唐突に晴哉の頭には、すらりとした二体のシルエットが浮かんだ。一体は銀髪、隣に並ぶもう一体は金髪。
どんな顔? どんな声でどんなふうに話すの? どんなふうに動く? 飛ぶって、翼があるの?
心があって……トモダチになれるの?
晴哉は耳にしただけの幻のロボットで頭の中がいっぱいになった。
でもパッドの画像とかけ離れ過ぎている。やはり祖母の思い違い?
「ね、おばあちゃん。もっとお話聞かせて、ロボットの」
美しい幻想が晴哉の中に宿った。
◆◆◆◆◆◆
「小川、おまえ何やったんだよ!?」
大学院卒業間近の学内で小川は友人の田嶋にとがめられた。
「何のこと?」
軽く膝を曲げて小川より控えめな身長の田嶋を覗くと舌打ちを返された。そのまベンチに引っ張っていかれる。
「たぶん政府の公安だ。このあいだ声をかけられた。おまえが何を調べているのか知らないかって」
タバコに火を付けて田嶋が小川を睨んだ。
「はあ? ぼくが調べていること?」
「……あれだろ、ギンガとかいうロボットのことじゃないか?」
小川は地道に調べていた。ギンガとリュウセイのことを。しかし、ネットでもアナログな活字の紙媒体を漁ってもたいした収穫はいまだにない。
事故で十体のロボットが壊れたこと。
開発したのは九条博士という人物らしいということ。
その程度だ。
「三十年もまえの原発事故で、壊れてなくなったロボットになんか興味あるやつなんかいない」
小川はその反応のほうが不思議でならなかった。どうして皆忘れようとしているのか? あれだけの大事故を、大量の避難民を出し自治州の半分を失ったというのに。
あまりの念の入れように、世界政府が意図的に忘れさせようと仕向けているのではないかとさえ思う。
もっとも自分が関心を持ち続けるのは、ルーツが東側だからという要因が少なからずあるからだろうが。
「お前くらいデキる奴なら、おとなしくしてれば将来は安泰なはずじゃないか。希望していたロボットを作れる就職先だって決まったんだろ?」
「ああ」
「だったら……」
小川はうなずいて見せた。
「子どもじゃないからな。もう卒業さ。真面目に仕事する」
小川の返事に安堵したようだ。
「田嶋もタバコを控えたらどうだ? 役所の連中はタバコ吸うやつは出世しないとかいうし、だいいち健康にも良くないだろ?」
はっ、と田嶋は笑った。
「タバコ吸うくらいでハンデになんかなるかよ。肺は金を稼いで全取っ替えしてやるぜ」
不敵な田嶋に手を振って別れた。
……そう、仕事するさ。真実を知るために。
小川の就職先は、特約つきの葬儀社だった。
独り暮らしの老人の葬儀一切、死後の後始末を請け負う。一つの条件と引き替えに。
『生まれは東側の立ち入り制限地区の……』
小川は収集されてきたデータに耳を澄ませた。
葬儀社の狭いメンテナンスルームのきしむ椅子に座り直す。
「小川、今日も泊まりか? 残業代つかないぞ」
先輩の声を軽くいなして、おやすみなさいとだけ挨拶を送る。
壁に立てかけられた看取り専用のロボットたちは充電中だ。額に刻印されたナンバーはここの事業所を示している。
薄目を開けたまま微動だにしない。見かけは麗しい若い男女。それは生前の希望にあわせ派遣される。
独居の看取りには一つの条件がある。それは、自身の人生の記憶をすべて差し出すこと。ロボットに記憶を語り死後は脳からもサルベージする。市井の人々の膨大なアーカイブ。
それらは匿名化され民俗学や社会学を学ぶ者たちに提供される。『誰か』の検閲を経て。
……文献や情報がないのなら、個人の記憶の中に残る彼らの痕跡を探す…。
小川は老人たちの加工される前の記録の断片を丹念に集めた。
『あとで記憶ちがいと言われましたが、あそこには火力発電所しかなかったはず』
このフレーズは何度も聞いた。
原子力発電所などなかった……、と。
では、なぜ公式の歴史は嘘に書き換えられたのだろう。
政府は何を隠している? 避難した住民へは少額だが今も手当が支給されている。それで黙っていろ、とでもいうように。そう感じるのは、うがちすぎだろうか。
「おまえたちはどう思う?」
答えるはずもないロボットに小川は問いかける。
……心……
どんな仕組みだ?
彼らに与えらた『心』はどんなものだったのだろう?
ロボット工学を学んだが、小川は自力でそんなもの開発できるとは到底思えない。
なぜならば、それは神の領域ではないか。
例えば、Aという事象に対して反応の選択肢を十にする。その選択肢の先にまた十の選択肢……そんなふうに次々増やしていけばロボットの反応は変わる。
でもそれはあくまで『反応』だ。ときにはエキセントリックになるだろう。対ヒトとのコミュニケーションとはなりえない。
現行のロボットは、ヒトの体温、心拍数、瞳孔の微妙な変化、声の高低などから数値化されたヒトの感情を読み取り対応する。
読み取るだけだ。自らの意思はない。
彼らを追い求めている小川さえ思い悩む。
心を持つロボットなど実在したのだろうか。いたとして、それはヒトとどれほどの違いがあるのだろうか、と。幼いころは無邪気に夢想していたことも大人になれば考えることも多くなる。
……それはひどく残酷な存在ではないか……
ヒトにとっても、彼ら自身にとっても。
看取りロボットは、唇の端にかすかに笑みを浮かべ虚空を見つめる。
◆◆◆◆◆◆
インディゴ社製、3つまえのモデル。タイプ、成人女性。
アップされた黒髪には自然な後れ毛。アクセサリーは小さな真珠のピアスのみ…たぶんイミテーションだろうけれど。
額に刻印のある古風なメイド服のロボットの声はアルトだった。
「いらっしゃいませ、小川さま。田嶋さまが先にお待ちでございます」
両手は腹の中ほどの位置に重ね、四十五度のお辞儀。マナー&サーヴ最新バージョン、インストール済みだ。
彼女はゴシック様式のフレンチレストランの奥へと小川を導いた。
「ここ高いだろ?」
薄紅色の食前酒のグラスを灯りに透かして小川が聞いた。
「ワリカンだからな」
個室の向かい側に座るスーツ姿の田嶋はタバコに火をつけたまま、慣れた様子でワインを注文する。
「分かってるけどさ。高給取りのお前と一緒にするなよ」
ロボットはスマートな対応でオーダーを受けると静かに退席した。その立ち居ふるまいを小川は目で追った。
「店に合わせてカスタマイズされている。服装も趣味がいいし清潔だ。オーナーの愛情を感じる」
「ネクタイ曲がってるぞ、男前。小川はロボットばっかり見てるけど、出される料理も楽しめよ。ここのは美味いんだからな」
タバコをふかして田嶋が小川を見る。
「この店を指定したのは喫煙オーケーだからだろ?」
田嶋がしごく当然というように鼻で笑った。
「お前のロボット、評判がいいよ。表情がやわらかくて、まるで生きてるみたいだって福祉課の連中が誉めてた」
「サンキュ」
運ばれてきた前菜の生ハムと生野菜にフォークを入れる。
「卒業して五年か。田嶋の仕事……今は市民課だっけ?」
「去年から市長の鞄持ち」
そうか、つまりは市長の秘書。
「全取っ替えの日も近いな」
たいした出世だと小川はフォークを口にはこんだ。野菜のみずみずしい歯ごたえが心地よい。そういえば、まともな食事をするのは何日ぶりだったか。それを言うなら、髭を剃って正装したのもかなり久しぶりだ。
「小川は独立はしないのか」
「考えたこともないよ」
小川が即答すると、意外と思われたようだ。田嶋がかすかに体を乗り出す。
「お前の技術力なら独立してもっと自由に作れるだろ、いろいろさ」
いろいろ……か。
「端から見れば、妙な業務だよな。この世の最期をロボットに看取らせるなんて。血縁者とは言わなくても人間に見守られて逝くほうが良さそうなものなのに。わざわざ機械相手に人生の思い出を語ってさ」
「たしかにな」
「でも、自分の人生を評価も批判もしない、感情を持ち合わせないロボットにだからこそ話せることがあるのかも知れない」
ロボットがスープをはこんできた。指先を見つめると、爪には甘皮まで作られていた。
「ぼくは……そんなヒトに寄り添うロボットを作りたいと思う」
感情、心を持つロボットは社会に混乱をもたらす。だから現存しないのだ。自分は人の役にたつものを作りたい。人生の幕引きを穏やかにひきうける存在を。
「のっぽのロマンチストめ。髪が跳ねてるぞ。お前が学生時代モテまくりだった理由がわかるね」
「モテ? 田嶋の経済学部と違って工学部なんて野郎ばかりだったぞ」
知らぬは本人ばかりなり、と田嶋は口にしながら持ってきた鞄をかき回した。
「これ」
田嶋は鞄の中から小さめのノートを取り出し小川に渡した。
「スケッチブック?」
「福祉課の廃棄処分される遺品の中にあった…身寄りのない市民の」
クリエイターだった男性のおそらくは子ども時代のものだという。表紙にたどたどしい文字で名前が書かれてある。
表紙をめくった小川の手が止まった。
『ギンガ、リュウセイ』
見知った名前が目に飛び込んできた。
『ユキ、ハナ、トワ、クオン、イノリ、アカリ、ハルカ、カナタ』
そして、十体のアンドロイドのイラストが添えらていた。
「あっ!」
褐色の肌に金と銀の髪。ギンガ、リュウセイ。
「これ……」
ネットで見た画像と違う! かつて祖母が語った姿がそこにあった。
後にクリエイターになったという人物のものだ。子どもが描いた絵とはいえ、たしかにその萌芽を感じさせる。対象を的確に掴んでいた。
十体のロボットは躍動感あふれるポーズで描かれていた。
ショートヘアの女性型や赤い髪の男性型、いちばん小さい二体は緑の瞳。
画面の中に文字があった。
『ともだち』
小川はその字に釘付けになった。
心を持つロボット……はるかな憧れ。
小川がこの道を目指したきっかけだ。
「それ、やるよ」
田嶋の声に我に返った。まばたきをすることさえ忘れていた。小川はぎこちなくスケッチブックを閉じた。それから何を食べ、何を話したか覚えていない。すべてがうわの空だった。