第17話 痩せっぽち

文字数 2,123文字

「よし」
 詩が着替えの済んだ和音の髪型を整えている最中に、カーテンの向こうにある保健室のドアが開く音がして、あわてて和音が脱いだ服をバッグに詰めた。
「誰かいるの?」
 保健室の井坂先生は看護師の資格を持ってるという。詩は小さくカーテンを開けて顔だけのぞかせた。
「勝手に入ってすみません。ちょっとクラスの子が生理痛で休ませてたんです」
「なんだ、西園寺さんか。生理痛なのね。ひどいの?」
 井坂先生がベッドの方を覗くので、さりげなく詩はその間に立ちふさがった。
「ああ、もう大丈夫です。音ちゃん、立てる?」
 和音もわかったもので、「うん」と小さく返事をして、先生にはっきりとは顔を見せないように、背中を向けたまま少しうつむいて腰掛けていたベッドから立ち上がった。
「ねえ、体が悲鳴をあげてる時は無理しなくてもいいんだよ? ええと、あなたの名前は——なんだっけ?」
 先生は、なんとか和音の顔を見ようとしたのだろう、じわじわとベッドを回り込もうとしている。
「あっ、先生。今から学園祭の実行委員会があって、急いでるんです」
 詩はそう言うと、和音の腕とバッグを取って先生の脇ををかいくぐろうとしたが、先生に和音の空いた方の片腕を掴まれた。
「ちょっと待った。ほら、ちょっと顔色を見せて」
 先生が和音の両肩に手を置いて顔をじっと見ている。
 ——うわ、近いわ。もしかしてちょっとやばい……かな
 さすがの詩も、和音の秘密がバレるんじゃないかと背中を汗が伝うほどの緊張が走った。
「血色は悪くないようね……」先生は片方の手のひらで和音の頬を包んだ。「でも、あなたちょっと痩せ過ぎじゃない? 朝ごはん、ちゃんと食べてる?」
「あっ、はい。少しは、はい」
 和音が小さく頷いた。
「ほら、少しなんでしょ。ダメよ、特に朝はちゃんと食べなきゃ。いい? 高校生ぐらいって一番成長するだから、朝は1日のエネルギーが必要なの。生理はちゃんと毎月ある? 生理痛がひどいのもひょっとしたらそれに関係あるかもしれないよ? それに、今はダイエットより多少太るぐらいじゃないと胸も」
 先生は、詩に「ねえ?」と相槌を求め、そして和音の胸付近に視線をやり、少しだけ眉毛を上げて戯けた。
 確かに、音は私よりウエストは細いけどさ。胸は私の方があるもん——って、そんなこと当たり前じゃあ!
 詩は叫び出したい気持ちをグッと抑え、
「先生、大丈夫。今日は私が家までついていきますから。さっ、行こ」
と言い、もう一度和音の腕を取った。
「まあ、大丈夫そうだからいいか。でも、学年と名前は聞かせてね」
 先生は紙を挟んだバインダーとボールペンを手にした。
「1年の……上杉です」
「1年の、上杉さん。上下の上と杉の木の杉」聞きながら、先生はカツカツとペンを走らせる。「——でいいかな? 下の名前は?」
 和音が「はい」と返事をしながら、チラッと詩を見た。
「音……です。音楽の音」
 少し小さな声だけど、和音がはっきりと言った。和音もすっかりふたつの人格を使い分け出したなと詩は思う。
「音、と」先生は再びカツカツと書く。「西園寺さんと同じクラスって言ってたね」
 詩が「はい」と返事をすると、コクリと先生は頷いて、それもバインダーに書き留めた。
「じゃあ、上杉さんは、ちゃんと朝ごはんを食べてから学校に来ること」
「はい」
「約束だからね。今度しっかり確認するからね? じゃあ、行ってよーし」
 和音の背中を軽くポンと先生は叩いた。
「はーい」
 詩と和音は手を繋いでそそくさと保健室を後にして、だんだんと早足になり、そのうちに走り出した。

「やばかったああああ」
 詩が笑いをこらえきれずに廊下に座り込んだ。
「ほんと、先生から聴診器を当てるから胸を出せって言われたら、どうしようってドキドキしちゃった」
 和音も涙を流しながら、笑い転げていた。
「音です。音楽の音——」詩が和音の口真似をする。「音ちゃん、しおらしい女の子っぽくなっちゃってさあ」
「その気になれば、詩ちゃんより女の子になれんだよ」
 和音が自信満々に言った。

 体育館の一角に長机が置かれていた。ここではステージ担当の2年生が集まってきた各演目の代表をチェックしすることになっている。詩は「すみません、遅くなって」と頭を下げながら係の列に加わった。
「あれ? もうひとりの男の子は?」
 聖華学園に男子が入学したのは今年からなので、2、3年生は女子ばかりだ。和音がいないとすぐに目立ってしまうのは計算外。
「ちょっと体調不良で。痩せっぽちの男子って、ホントか弱いですよね」
 詩がほっぺをプクっと膨らませた。
「なんだあ。男の子が入ったから、力仕事してもらおうって期待してたのに」
 あーあ、残念。先輩はあからさまにがっかりとした。

 体育館の入り口から、和音がこちらに向かって歩いてくる。スカートを履くようになってから、歩き方もかなり二人で研究した。その甲斐あって、どこから見ても、和音はもう一端の女子高生にしか見えなかった。
 
「1年の『しおん』代表です」
 机の前に来た和音は、座っている2年生の正面に立ち、打ち合わせどおりに学年とグループ名だけを名乗った。

 (さあ、第一関門——)

 詩がそっと大きく深呼吸をした。
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