文字数 2,979文字

 このアパートは異常だ。
 何故って、異常だからだ。
 それ以外には言い表せない。
 例えるなら、悪魔達の根城だ。
 例えるなら、魑魅魍魎の住処だ。
 例えるなら、百鬼夜行の溜り場だ。
 このアパートはそういう場所なのだ。
 とにかく何から何までが異常で無気味。
 一例を紹介しよう。外に出てきたあの男。
 あの男もこのアパートの住人であり異常だ。
 化け物と住んでいるのだ。言うなれば世話係。
 彼は何をしに行くのだろう。少し追ってみよう。
 いや、追うまでもないか。大体予想はついている。
 予想通りだ。彼は近くのコンビニへと入っていった。
 何を買うのか。真夏という言葉も甘いくらいの気温だ。
 予想するなら冷たいものだろう。アイスクリームとかか。
 出てきたな。手に持っているレジ袋の中身さえわかればな。
 ちょっとこっちを見てくれ。誰かいる。ここの住人ではない。
 明らかに浮浪者だ。この住人の中であんな格好の人間はいない。
 アパートの様子を窺っているみたいだ。まさか泥棒でもするのか。
 だとしたら、命はないな。よく見ろ、さっき男が出て行ったドアだ。
 あいつは間違いなく死ぬ。住人の中でも最凶最悪の人物がいる部屋だ。
 言ったろ、化け物だって。このアパートもその化け物のためにあるんだ。
 さっきは魑魅魍魎とか百鬼夜行とか言ったが、実際は全部そいつのことさ。
 一個旅団とか、一騎当千とか、逆にそういう表現は、おそらく似合わないな。
 あくまでも悪者なんだよ。人を平気で殺せるし、殺しただけでは、終わらない。
 彼女には「その先」があるんだ。むしろ、殺人よりも「その先」の方が重要でね。
 あくまでも「解体作業」こそが彼女の最大の生きがいであり、趣味で、仕事なのさ。
 そう、その「仕事」をこなして彼女らは金銭を得ている。莫大な量を稼いでいるんだ。
 アパート前にある溜池にもわけがあってな……ちょっと待て。浮浪者がいない。消えた。
 ドアがさっきよりも開いている。あ、廊下に倒れてるぞ、その先にいる奴の姿、見えるか。
 そいつが「化け物」だ。デカいハンマー持ってるだろ。それで「仕事」をこなしているんだ。
 呆気無く引きずられていく。俺は見慣れたが、お前は大丈夫なのか、こういうの、見ないだろ。
 間違っても「その先」のことは想像するなよ。一度ミキサーの音を聞いたが未だに耳に残ってる。
 男が帰ってきたな。あいつにはもう、完全に日常なんだよ。普通に「その先」を見ちゃってるだろ。
 で、「その先」が終わったあとの話だ。さっき溜池のこと言ったよな、もうすぐ登場するぞ。見てな。
 男が袋を持って溜池に向かう。鍵の掛かった金網の扉を開けて、あいつは何をすると思う。悪趣味だよ。
 中身をぶちまける。あの中身が何かはもう分かるよな。想像力豊かだと、苦労することになる。やめとけ。
 ほら、あいつも吐きやがった。あれはあれで人間らしさがある。逆に言えばまだ人間らしさが残ってるのさ。
 化け物に付き合っているうち、自分も化け物になっていくっていう葛藤に、人はロマンを感じたりするのかね。
 それは凄く馬鹿馬鹿しいことだと思うんだ。全ての生き物には皆、平等に、化け物になる余地が与えられている。
 言うなれば、それを否定する余地も与えられていると言うこともできるが、しかしそれは可能性を狭める気がする。
 甘んじて化け物になればいいと思うのだ。化け物になって、本能のままに他の生物を襲い、脅かせばいいと思うのだ。
 少なくとも、彼には否応なしに化け物になってもらいたい。でなければ、先に化け物になった彼女があまりにも不憫だ。
 少なくとも俺はもう甘んじて化け物になったぞ。おいおい、何を戸惑う必要がある。試しに見せてやろうじゃないか。
 あそこの溜池の淵に、注ぎ損ねた肉片があるだろう。小さくてわからないかもしれないがよく見てほしい。あれだ。
 どうした。何を怯えている。おいおいおいおい、まさか肉片を食べたくらいで、そこまで怯えているのか。おい。
 こんなのただの肉だろう。今更何を驚く必要がある。今更何を怯える必要がある。今更何を怖がる必要がある。
 また逃げていってしまったか。死肉を蝕むことに関しては、それが人あろうとなかろうと関係ないだろうに。
 まあ死肉とはいえ、普通に人を喰うようになってしまった私自身も、既に毒されてしまっているのだろう。
 彼らはこのアパートじゃもう化け物の代表だが、他の部屋の住人たちも、かなり同類だと思うんだがね。
 例えば二〇一号室。そこには元芸能人が住んでいる。と言っても、昨日だかそこらにやってきたのだ。
 今日はまだ出てこないが、おそらく二〇一号室に最初からいた住人と、長話でもしているのだろう。
 なにが化け物かって、もともと二〇一号室の住人自身、かなりの数の殺人を犯してきているのだ。
 しかもそいつは、さっきの一〇四号室の彼らの力を借りることなく、証拠を全て隠滅している。
 警察が捜査に来るかというとそんなことはない。もともとこの区域は立入禁止になっている。
 何故かって、一〇四号室の彼らがいるからだ。警察も介入できない、権力で守られている。
 上手く隠れているのだ、二〇一号室のその住人は。権力の傘の下で暮らしているわけだ。
 一〇三号室には殺し屋がいる。頭髪が薄いのが特徴だが、ハリウッド俳優程ではない。
 一〇五号室には小説家がいる。担当編集が来る。しっかり立入許可をもらっている。
 どちらも油断ならない住人だ。殺し屋はともかくとして、小説家はやはり異常だ。
 彼女は、一〇四号室の住人が肉片を捨てるところを、何度も目撃しているのだ。
 部屋を全く変えようとしないので、そういう意味ではやはりどうかしている。
 殺し屋は一〇二号室にもいて、そいつは夜に動く。一〇三号室は昼に働く。
 一〇一号室は大家の部屋である。たったの一度しか姿を見たことがない。
 だが、その大家は私の存在に気づいているそういう意味でも、異常だ。
 尤も、一〇四号室の彼らを住まわせている時点で、お察しでもある。
 二〇二号室は空き部屋だが、噂では幽霊が住まうという。嘘臭い。
 二〇三号室も基本的に空いているが、時々誰かが出入りをする。
 様子を見ても、その人間が何者かは未だにわからないでいる。
 二〇四号室には男が住まう。一見それだけなら普通だろう。
 刀を携えて外出をする。帰宅時はいつも血に濡れている。
 彼の部屋は、一〇四号室よりも酷く血に汚れてそうだ。
 二〇五号室は政府関係者の部屋。多分下っ端だろう。
 基本的にいつも部屋は空いているが、理由がある。
 彼は、二〇四号室に用事があってきているのだ。
 何かの依頼だろう。彼女の趣味に関する依頼。
 要人警護ならぬ、不要人解体というやつだ。
 そう、権力とは、言うまでもなく政府だ。
 国家ぐるみで殺人者を匿っているのだ。
 それどころか解体依頼までしている。
 そんな有様を見れば、異常になる。
 誰も彼もが、平等に異常になる。
 俯瞰するカラスである私でも。
 すべての生物が異常になる。
 否応無しに化け物になる。
 このアパートは異常だ。
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