第1話 前編

文字数 10,271文字

「ねえ、ダーリン。私……お願いがあるの」

 妻の甘いささやきなど、ろくでもない事に決まっている。
 かといって、聞こえないふりができるほどこの家での俺の立場は強くない。

「聞こえないの? あ、な、た」

 ちらりと盗み見ると最新式の口紅でコーティングされたピンク色の唇が動こうとしない俺に向かってまっすぐに隆起している。

 露に濡れたように輝くこの口紅は、まるで蜜のしたたるめしべのようで、俺の一番好きな「濡れ花姫(ぬれはなひめ)」シリーズの一つだ。

 もちろん彼女もそのことをよーく知っている。
 この口紅を塗っているということは、敵はかなり本気ということだ。
 それだけにこのまま無視を続けると唇で形成された火山から、キンキン声のマグマが噴出するのも時間の問題だと思われる。

 ああ、掃除、洗濯、皿洗い、そんなことくらいならお安い御用。
 俺は二つ返事で引き受ける。(現にやってる)
 なんたって、あいつは俺の理想の容姿が夢の中から抜け出したような奇跡の女なんだから。
 しかし、あのお願いに安易に返事をしたせいで、俺は今までに何度死にかけたことか。
 彼女の持ちかけてくる仕事は、いつもしゃれにならないほど危険なのだ……。
 全く、夫の命をなんだと思っているんだ。
 しかし、ごくたま~にあいつが本気になった夜は、俺の命をかけてもいいと思うくらいの陶酔に溺れさせてくれる……。

 数秒の葛藤の後、俺は読みかけの電子書籍を置いてのろのろと彼女の方に向き直った。
 いつもは茶道の家元として、一分の隙も無くまるで戦闘服のごとく和服を着こなす妻だが、今日は鳩尾まで前が開いたノースリーブの上着と丸いお尻の上にふわりと布がかぶさっただけという刺激的なミニスカートから白い四肢を惜しげもなく露出している。

 しかし、お願いの危険度が露出度に正比例していることぐらい俺はとっくの昔に察知していた。

「幻の、お茶が欲しいの」

 鼻にかかった声に、上目使い。
 め、眼が潤んでいる……これは危険だ。
 俺の返答を待たずに彼女はしゃべり続けた。

「これ見て頂戴」

 彼女が差し出したアド・ペーパーには「ネオ茶道」という文字が蛍光色に輝きながらなまめかしく揺れていた。

「なんだ、このネオ茶道ってのは」

「最近できた恥知らずな新興茶道団体よ」

 顔を紅潮させながら妻は形の良い鼻を膨らませた。
 そういう妻の茶道もかなり前衛的だと俺は思うのだが、もちろんそんなことは口に出せない。

「で?」

 興奮する妻の白い胸元がうっすら赤くなるのをぼんやりと眺めながら俺は適当に相槌をうった。
 妻にはきちんとした返事なんか必要ないことは、とっくの昔に承知している。
 ようするに、文句を言って鬱憤を晴らす相手が要るだけなのだ。
 ほら、その証拠に俺の生返事なんか意に介することなく、彼女はとうとうとしゃべり続けている。

「お抹茶を口移しにしたり、危ない薬と混ぜて茶碗にいれたり。ネオ茶道のコンセプトは楽しくお茶をって事らしいんだけど、実は昼から堂々とマイルドトリップできるってところが若い子に受けてるらしくって、ったく茶道をなんだと思ってるの」

 たまには夫の威厳も見せないと、という思いが頭をかすめ、俺はつい口を挟んでしまった。

「まあ、茶道ってのはその密室性と、同じものを同じ手順ですすりあうっていう一種の融合感が売りもんだからあながちネオ茶道が邪道ってことはないと……」

 妻の目がつり上がったのを見て慌てて俺は口をつぐんだ。

「うるさいわね、邪道であろうとなかろうとどうでもいいの。つまり、うちの茶道教室が危ないのよ。あいつらのせいで最近生徒減っちゃって」

「君のフェロモンでも、つなぎ止められない生徒がいるのか?」

 彼女の茶道教室はほとんどが男性と聞く、俺にとっては心穏やかならない事実だが定期収入の無いヒモの身で彼女の仕事に口出しはできない。

「ダメなのよ。ネオ茶道で女の子がめろめろって話が広がってから、だんだん生徒が減っていくの。いくらなんでも私一人で30人以上の男をつなぎ止めるのは無理よ」

「で、最近ちょっと化粧がけばい訳か……」

 そこで俺は妻の目の角度がさらに上がったことに気づき慌てて話題を変えた。

「で、君の茶道教室の経営不振とお願いと、どんな関係が有るんだ」

 心なしか妻の目尻が下がった。

幻夢茶(げんむちゃ)

「なんだ、そりゃ」

「幻のお茶なんだけど、その香りは伝統を思い起こさせ、そしてその味は風雅でかつ芳醇。暗闇でうっすらと光るその様は幻想的で、飲んだものは、太古の命の息吹を感じ、大宇宙の深淵に旅できるっていうの」

「それで?」

 からみつくようなおねだり視線に気が付き、俺はあわてて目をそらした。

「わかってるくせに」

 全身の分泌腺からフェロモンを撒き散らし、逃がさないわよとばかりに彼女は指先を俺の顎に這わせた。

「一口飲んだら悦楽の境地。二口目には異世界にディープトリップ。三口飲んだら、絶頂を突き抜ける。くせにはなるけど依存性は無し。幻夢茶は、下手な薬よりイケてるらしいわ。そんなお茶が点てられるって噂がたったらしめたもの。チープなドラックを使うネオ茶道なんて目じゃないわ、ぜったい逃げていった生徒達を取り戻せる」

「茶道教室は、風俗じゃないんだから……」

 妻の目がまん丸になったのを見て、俺の声は尻窄みになった。

「いい? 私の教室が閉鎖されるってことは、すなわちあなたも路頭に迷うってことよ」

「悪いと思ってるよ。今は仕事が無いけど、そのうちきっと……」

 すり寄ってきた彼女の完璧な胸の谷間に眼を奪われた瞬間、皆まで言わさず彼女は手品のように取りだした地図と星間パスポートを俺の手に押しつけた。

「だから、仕事をあげるわ。幻夢茶を探してきて。がんばってね、あたしのトレジャーハンターさん」

 いきなり吸い付いてきた柔らかい唇に俺の反論は瞬く間に吸い込まれてしまった。







「こんな所に来る物好きがいるとは思わなかった」

 道案内のティタが器用に生い茂るツタを裁ち切りながらつぶやいた。
 俺は電解質飲料を飲みつつ止まらない汗を拭くという無駄な作業を繰り返しながら昨日の原住民達のあきれた視線を思い出していた。
 提示額はまずまずのものだと思っていたのだが、ジャングルの奥地に行きたいというなり皆後ずさってしまって俺の周りにはぽっかりと円形の空間ができてしまった。
 通訳をしてくれたのは他でもないこのティタ。原住民の中で唯一星間共通語を話せる通訳として、首都の斡旋所で紹介されたのだ。

 初対面の時、薄汚れた薄緑の上着に同色の短いスカート(腰巻と言ったほうがよいような代物だが)を着て俺の前に現れたこの痩せた少女は、黙ってぶん、と頭を下げた。
 その反動で首の真ん中までの短い赤茶色の髪がばさりと揺れた。

「おい、ずいぶん若いじゃないか、大丈夫なのか」

 顔をしかめる俺に、斡旋所のやり手婆のような職員が大きく頷いた。

「ティタは凄腕だよ。14歳だが、機転も利くしあの集落では顔も聞くから大丈夫」

 この娘しか居ないのではまあ仕方ないかとしぶしぶ雇ったのだが、あの婆の言葉どおりこのティタの言語能力は確かなようだ。

「奥地に行くなんて危険をおかすこの男、気が触れているに違いない」

「ジャングルの奥に入って無事に帰ってきたものはここ十年いない。なんて阿呆」

「お前さん、幻夢茶どころじゃない、そりゃただの無茶だ」

 ティタはご丁寧にも原住民達のあざけりの言葉を、洒落までいちいち律儀に訳す。
 ただ、聞き手の事を考えないそのストレートな翻訳は正直カンにさわるのだが。

 待てど暮らせど誰も名乗り出る者はいない。そのうち人垣はしーんと静まりかえり、胡散臭いよそ者とばかりに俺の方を見るばかりとなった。

「私では、ダメか?」

 ただ一人名乗りを上げたのが他でもない、傍らに立っていたこのティタだった。

「おまえ?」

 通訳として雇っただけのつもりだったので、俺は最初取り合おうとはしなかった。

「私を雇えば、後悔させない」

 利発そうな緑の目をきらめかせながら、彼女はもう一度額を確認した。

「親が承知しないだろ」

「二人とも死んだ」

「ジャングルの奥地に行ったことがあるのか」

「ああ、昔住んでいた」

 ことの成り行きを感づいたのか、原住民達がじっとこちらを注視している。
 しかし異論を挟むものがないということは、もしかして彼らはティタが適任と考えているのだろうか。
 確かに今までのところ、彼女の仕事ぶりには文句を付けるところがない。
 時々、雇い主様である俺を敬わない傾向はあるが、まあここで礼法を教える人間も居なかったのだろう、仕方のないことだ。
 悪い奴ではないことはわかっているし、俺の心も徐々に彼女を道案内にする方向に傾いてきた。

「じゃあ、お前一緒にジャングルの奥地に来るか?」

「もし、旦那と私が死んでもその金はもらえるか?」

「あ、ああ。俺が死んだら、この小切手で誰でも金が下ろせるように首都の金融センターに手続きをしておこう」

 今回の資金は妻が負担するのだが、俺は数種類の生命保険に入らされている。
 俺が死んだら、かなりの額が妻の懐に転げ込むはずだ。
 これくらいの額は香典と思って支払ってくれるだろう。

「ティタ、お前金がいるのか?」

「弟の肝臓が病気だ。首都で生きのいい臓器と交換したい」

 ティタは無造作に言うと群衆に振りかえってなにやら現地の言葉を叫んだ。
 その叫びにこたえるように群衆がどよめいて大きく揺れる。

「なんて、言ったんだ?」

 ティタはまっすぐに俺の方を見つめ、にっこり笑って翻訳した。

「もし、私が死に、この男が生きて帰ったにも関わらず約束を履行しなかった場合、生きたままこの男の生皮をはがし、目をくりぬき、そしてその下半身を……」

「わかった。もう通訳はいい」

 こんな成り行きで今こうしてティタと二人幻夢茶があるといわれるジャングルの奥地に向かっているわけだが、ここは人が近づかなくなってずいぶん時間がたつらしい。
 すでに道は無く、行く手に生い茂る植物を親の敵のように切り裂きながら進む。
 これからどんな危険が待っているのか、それすらも充分な情報が無い。
 行くも地獄、そして退くも……ちらりと脳裏に妻の笑顔が浮かんだ。
 何とでも言うがいい。女なんかとクールに鼻で笑っていた昔日の自分はすでにない、俺は妻に骨抜きになった、最低のトレジャーハンターだ。
 妻を失うくらいなら、猛獣の排泄物になったほうがましだ。
 あの色っぽい切れ長の目、そしてしなやかな白い指、流れる漆黒の髪、そして、そして……。

「旦那、旦那。しっかりしてくれ」

 ツタの匂いがするひきしまった褐色の手が俺の耳を掴み、思いっきり引っ張った。

「いてて。ティタ、どうしたんだ?」

 我にかえった俺は心配そうな緑の目が自分を覗き込んでいるのに気が付いた。

「さっきからうつろな目で、にやにやして。暑さのせいで魂を持ってかれたかと思った」

「ああ、ちょっと考え事だ」

 心配するな、おじさんには、おじさんのドリームワールドが有るんだ。
 と、言いかけたが彼女の純真な瞳を見て俺は言葉を飲み込んだ。
 この子にはまだちょっと早い話題だ。

「ったく、白昼堂々変な事を考えるんじゃないよ」

 ティタは冷たく言い放つと、きびすを返した。

「え、おっ、おい」

 俺の動揺を知ってか知らずか、褐色の肌の少女はさっさとツタをなぎ払い始めた。

「そろそろ奴らの巣だ、旦那」

「奴らの巣?」

 ティタは何を言ってるんだとでも言いたげな視線を俺に投げてよこした。

「旦那、ジャングルの中心に行きたいって言ってたんだろ」

「ああ」

 妻からもらった情報はそれだけだ。

 幻夢茶は、地球からローカル船を乗り継ぎ乗り継ぎたどり着いたこの辺境惑星イードンのジャングル地帯の真ん中にある。
 知り合いの密輸業者からやっとの思いで得た情報らしいが、あまりにも漠然としすぎている。
 最初は首都で簡易小型飛行機とパイロットを雇って、簡単にアプローチしようと思っていたのだが、このジャングル上空は気流の関係か事故が多発するため立ち入り禁止区域に指定されていた。
 ちなみにこのジャングルは昔の火山の山腹にできたもので、ジャングルの中央、すなわち山頂には火口の名残を残した深い凹みがある。
 山頂に行き着けば帰りはパラグライダーで降りることが可能だが、行きはどうしても徒歩で向かわねばならない。
 まだ半日も歩いていないのに緑の牢獄に閉じ込められたようなこの状況では、今後の行程も半端ではなさそうだ。

 それはそうと、妻はこんなレア情報どうやって聞き出したものやら。
 あいつは金にうるさい女だ、安く上げるために自分の身体の凹凸を使えるだけ使ったのだろう。
「あらあら、ダメよ……」ってな感じで、あの下品なひげ親父に迫ったに違いない。
 それにしてもいったい何処まで許したのやら。
 あのひげ野郎、まさか首筋を狙ったのではなかろうな。
 白い首筋に浮き出た筋にそっと唇を這わせると、強気なあいつが一転ぶるぶると震えながら潤んだ目で俺を見て……。

「あ、そこは弱いのっ」

 どかっ。

 ティタに向こうずねを蹴られて俺ははっと我に返った。
 ついつい妻の気分で独り言を言っていたらしい。
 なんだか妄想に我を忘れる時間が多くなってきている。

「旦那、たのむよ。この川をこえたらもうすぐドルム達の巣なんだからもっと緊張感を持ってくれ」

「ドルム?」

「さっき言っただろう、ここら辺に生息する肉食の恐竜だ。奴らの巣はジャングルの中心に行こうと思ったら必ず通らなければならないところだ」

 ティタの目が心なしか冷たい。この年頃の娘達に言わせると俺達なんか薄汚い中年親父なんだろうな。
 肩をすくめると俺は年期の入った腰の銃を取りだしてティタの鼻先に突き出した。

「こう見えても、昔はトレジャーハンターとしてならしたもんだ」

「今は骨抜きだけど……か?」

 ティタは銃を一瞥すると鼻をならした。

「さびてるぞ」

 俺は慌てて銃を引っ込めた。
 さすがに試射はしてきたが、こんなことで磨き立てる気分にはならなかったのだ。
 ティタは木を切り倒して、幅2メートルくらいの川に即席の橋を架け始めた。

「しかし旦那、本当にあるのか? その茶は」

 生意気な道案内人はちらりと一緒に木を運ぶ俺に疑わしそうな視線を投げかけた。

「ああ、気分が良くなる植物の噂を聞いたことないか?」

「ないな」

 冷たく言い放つと少女はぐいっと水筒の水を飲んだ。

「旦那も飲むか? 村の近くの泉の水だが毒消しの作用がある」

「毒消し?」

 ティタはにやりと笑って俺に水筒を放ってよこした。

「ここら辺に来るとみな原住民以外は幻覚を見るようになるんだ」

 じゃあ、さっきから俺が夢と現をさまよってたのは、俺が好色だからって訳ではなくて、その幻覚のためか。

 幻覚……幻夢茶となんらかの関係があるかも知れない。

「そんな大切なことは、早く言ってくれよ」

 ティタは急に真顔になるとツタを刈っていたなたを俺の鼻先に突きつけて言った。

「旦那とは初対面だ、だから試させてもらった。この幻が見えると人は本能に正直になって、戦闘能力が落ちる」

「俺の本質を見抜こうとした訳か」

「ああ」

「で、どうなんだ、俺は」

 なたをおろして少女はおかしそうに笑った。

「無害な、天然の好色親父だって事がよくわかった」

「ああ、どうせな」

 俺も落ちたもんだな。
 それもすべてあの悪妻のなめらかなうなじのせいだ。
 風呂上がりの彼女、髪がおおかた乾いた頃を見計らって俺はおもむろに横に座る。
 わかっているのか俺に身体をもたせかけて潤んだ目をする彼女。
 髪の生え際から首筋まで、一本の指でそっとなでる、逃げるように身体をずらすけど俺は許さない、身じろぎもできないくらいぐっと抱き寄せる。
 ここが弱いのはもうお見通しだ。まだまだじらしてそしておもむろに耳を……。

「ああ、もうダメっ」

 ドカッ。

 ティタの蹴りが俺の足の分かれ目、一番敏感な部分にヒットした。

「ひっ、独り言くらい自由に言わせてくれぇ……」

 ぴょんぴょんとジャングルを飛び跳ねながら、俺は叫んだ。

「旦那は独り言の声が大きすぎるんだよ。さっさと毒消しを飲みなっ、このエロおやじ」

 ティタといい、妻といい、どうも俺には女難の相があるようだ。



「もうすぐ日が暮れる。今日はここで休む予定だ」

 ティタが荷物を置いた場所は、こじんまりとしているが太い木もなく開けていて、今まで通ってきた密林とは少し雰囲気の違った場所だった。

「大丈夫、ここは川で挟まれていてドルムが来ない」

「良く知っているな」

「住んでいたんだ、10年前にここに」

 指差すほうを目をこらして良く見ると、植物に蹂躙(じゅうりん)されてもう言われなければわからないほど姿を変えた木造の家の残骸が残っていた。

「親達はドルムの研究をしていた科学者だったらしい。だけど、ある朝出かけたきりここには戻ってこなかった。残されたのは私と弟の二人きり」

 ティタは傍らの木を愛おしそうに撫でながら、小さなため息をついた。

「みんな、ドルムに食われちまったんだろうって言ってる」

「家族は?」

「さあ、身元がわかるものは親達が身に付けていたのかほとんど残ってなかった。私達を見つけたのは週に一度食料を運んできてくれていた、今の養い親だ」

 気が強くて、怖いもの知らずのこの小生意気な娘にこんな過去があったなんて。
 なにも気の利いたことが言えなくて、俺は黙って立っていた。

「さ、旦那。ここは勝手知ったる私の庭だ。親譲りの方法で夕食をご馳走してやる」

 ティタは身体をかがめて何かを探し始めた。

「おい、どうした」

「なんか、長い木切れがないかと思って」

 俺はポケットから細い棒を取り出した。

「これを使うか?」

「いや、もっと長い棒が要るんだ」

 俺は棒に付いているごくわずかな隆起を操作した。

「あ」

 見る見るうちに長くなる棒を見てティタが息を飲んだ。

「これはミラクルバー。弾力性もあって、折れないから少々乱暴に使っても大丈夫だ」

 俺はそれを片手に持って木に向かってフェンシングの動きをしてみせた。
 身体の動きとともに微妙にバーを伸縮させる。
 前に付くと見せかけて、バーを後ろに伸ばす。
 引っ込むと見せかけてバーを伸ばす。

「すごいな、旦那」

 ティタは素直に感心したようだ。

「俺はこのミラクルバーの大会ではちょっと知られた男だからな。剣のような使いかた以外にもこの棒はいろいろな使い方があるんだ」

 俺は少女に棒を放り投げた。

「でも、ま、好きに使え」

「旦那は火を起こして待っていてくれ」

 ティタは川の近くに走って行くと、ミラクルバーで川をつつき始めた。
 どこかで見たような漁法だ。
 多分、彼女の親がああやって魚を採っていてその後姿を幼いティタは見ていたのかもしれない。
 数少ない、親の記憶というわけか。
 未開の地には危険が付き物だ。命を落とすことも稀ではない。
 しかし、冒険者には命を引き換えにしても良いそれなりの理由があるのだ。
 探求であったり、金であったり、憧れであったり……。
 彼女の親達も、この危険な地に留まる理由があったのだろう。
 俺はそんなことを考えながら火を起こした。

「旦那、火は?」

「おう、ばっちりだ」

 大きな葉っぱ一杯に生きの良い魚を山盛りにしてティタがよろよろと帰ってきた。

「すごいな、大量だな」

「この赤い魚、コイツが美味いんだ」

 それ以上ティタは両親の話をしようとしなかったし、俺も口に出さなかった。

「ここから、まだ暫くジャングルが続くのか?」

「ああ、ここから奥地には行ったことがないけど、そうらしい」

 ティタは魚にかぶりつきながら頷いた。

「通訳の話が来たときに旦那が奥地に行きたがっていることを聞いたから、首都の図書館で情報をあさってきた」

 彼女は魚の残りを口に放り込むと、くしゃくしゃな紙を取り出した。
 そこには数本の線で書かれている簡単な手書きの地図と書き込みがあった。

「情報があればもっと早く見せてくれれば……」

「変なマネをしたら、ドルムの巣の近くに置き去りにして逃げようかと思ってた」

 悪びれることなく、あっけらかんとティタが答える。

「ここは元火山だってことは知ってるな、この火山に首飾りをかけたような感じで山をとり巻いて太い川が流れている、もちろんこれ以外にもこの川に流れ込む支流は沢山あるだろうけど。山を取り巻いて流れる川は最後に合流して最初に出発した集落の前で再び山を取り囲むように回ると海に流れ込んでいる。ドルム達は普通この川を越えて里におりてこようとはしない」

「普通?」

「興奮したり、寄生虫で頭の中がおかしくなったものの中には川を越えてくるものもあるらしいけど」

「ドルムを見たことがあるのか?」

「ない。写真を見ただけだ。だから、実物を見てみたい気もする。なにしろ両親が命をかけて研究した生物だし」

「親の仇だしな」

 ティタは少し首をかしげて、哀しげに俺を見つめた。

「ドルムが平和に暮らしている地に踏みいったのは私達のほうだ。だから、ドルムを恨むってのは間違っていると思う。もちろん、親の事を考えれば悲しいけど」

 彼女は、気を取り直したように手元の手書きの地図を指差した。

「火山の中腹までジャングルになってる。で、山頂は元噴火口。火口はかなり凹んでいるらしいからここは崖になっていると思ったほうが良いだろう。山頂付近は標高もわりと高いから、気温を考えるとドルムはここまで来ない」

「ということは、このジャングルを抜ければ一段落ってことか」

「そう簡単にはいかないと思うぞ」

 焚き火にわらに似た植物の束を投げ入れながらティタは俺に言った。

「これは虫除けだ……」

 ティタは俺のほうに疑り深い視線を投げかけた。

「いいか、変な気をおこすんじゃないぞ、この好色おやじ」

「馬鹿言え、おまえのようなションベン臭い小娘は残念ながら未来永劫俺の射程外なんだよ、ご期待に添えなくて悪かったな」

 俺の言葉にティタの頬がさっ、と紅潮する。

「大人になったら、旦那が驚くような美女になるかも知れないじゃないか」

 緑の瞳が俺を睨む。

「無理無理、お前さんはどうあがいてもゴージャスな美女ってガラじゃないから」

「3年後、その台詞を覚えとけ」

 大きく鼻を鳴らすと、俺に背を向けて山猿のように引き締まった肢体の道案内人はすばやく木に吊るした寝袋にもぐりもんだ。
 すぐにすやすやという寝息が聞こえてくる。

「ちぇっ、なんだかんだ言いながら俺を信頼してるんじゃないか」

 ドルムは来ないとは言え、他の夜行性の生物が襲ってくる可能性がある。
 もう少し、夜が白むまで火の番をしなければならないだろう。
 俺は大きく伸びをすると、例の毒消し水にインスタント珈琲を混ぜて喉に流し込んだ。



 
 夜が白んでから、寝袋にもぐりこんだが嫌がらせのような鳥の大合唱に2時間もしないうちに目が覚めてしまった。

「おはよう旦那」

 ティタはもう起きて、湯を沸かしている。

「旦那、今日は正念場だ。ジャングルを抜けるぞ」

「ああ」

 眠さで頭がぼんやりしている。
 若いときには半徹夜くらいでこんなことは無かったのに、俺も焼きが回ったもんだ。
 あの水をこまめに飲まないとまた変になってしまうかもしれない、ちょっとでも変になったらあの小娘になんと言われるやら。注意が必要だ。
 持参したパンを齧りながら、俺は珈琲にあの水を垂らして飲んだ。



 歩き始めて4時間は拍子抜けするほど平穏だった。
 鳥や、サルやふくらはぎまで位の高さの小動物とはすれ違うも、危険な生物との邂逅(かいこう)は無かった。

「あと少しでジャングルが終わる」

 ティタがほっとしたように呟く。
 だが。
 先頭を歩いていたティタが足を止めた。

「唸り声だ」

 俺とティタは大きな葉かげに身を隠した。
 慌てて双眼鏡を持ち出し、声のするあたりを見る。
 木々の間を通して大人の2倍の高さはありそうなくすんだ茶色の塊が見えた。

「ド、ドルムか?」

 そっとティタに双眼鏡を渡す。
 ティタは小さくうなずいて、俺に双眼鏡を戻した。

 
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