第10話

文字数 3,929文字

「ん……、」
 伸ばした手が冷たいシーツを引っ掻く。いつもならすぐに触れるはずの体温がない。
 月森はうっすらと瞼を開いた。
 この部屋に直接日差しが差し込むことはないが、光のかげんで、すでに陽が高く昇っていることがわかる。あわてて飛び起きようとして、全身――とくに腰のあたりに痛みが走り、呻き声をあげてシーツに突っ伏す。
 ……あの野郎、
 枕に顔を埋めたまま、心のなかで悪態をつく。
 この部屋の主であり月森の幼馴染みでもある不破は、もの好きなことに、男の月森を嫁扱いしては夜ごと褥に引き込み、月森が気を失うまで散々抱くのだ。
 昨夜もそうだった。思い出して月森はひとり赤面する。
 傲岸不遜で嗜虐趣味のある不破は、月森をいたぶることに関しては以前から容赦ないが、昨夜ときたら、それに輪をかけた執拗さだった。もうやめろといっても無駄どころか、おもしろがっているかのように、行為はむしろひどくなる一方で。
 ほんとうに、性格が悪い。
 そのまま気を失ってしまったのだろう。ずいぶん長い時間眠っていたようだ。このままもうひと寝入りしたい気分だがそうもいかない。
 いくら夏休み中とはいえ、外泊したうえに昼まで惰眠を貪るような自堕落な生活をするなどもってのほか。度重なる朝帰りに祖母はなにもいわないが、さすがに申し訳なくて、このころでは実家の敷居が高く感じられる。
 それに、主が不在の部屋に長居はできない。今さらそんなことを気にする間柄でもなかろうと思われようが、そのあたり、月森はへんにきまじめだった。
 それは、不破に対する遠慮というより――。
 月森は深いため息をつく。
 こうしていても埒があかない。意を決してそろりと身体を起こす。痛みはあるが、なんとかなりそうだ。以前の月森なら、おそらく足腰が立たなかっただろう。不本意ながら、乱暴な行為に慣れてきたということか。そう考えて陰鬱な気分になる。
 畳のうえに散乱した衣類に手を伸ばしてたぐり寄せた瞬間。生温いものが下腹部から太腿へと伝い落ちるのを感じて月森は息を呑んだ。
 ――――あの野郎。
 唇を噛んで、泣きそうになりながら傍若無人な男を呪う。体内に注ぎ込まれたままの不破の精があふれ出したのだ。それだけはやめてくれといくら懇願しても無駄だった。あれ以来、不破はかならず月森のなかに精を放つようになった。そうして、人を食ったような顔で月森を辱めながら後始末をする。どうせ掻き出すくらいなら最初から外に出せ、と思うし実際そう訴えたのだが、不破はこの一連の行為が気に入りらしく、いやがらせのようにせっせと種を蒔いては自身で刈り取る。
 だが、こんなふうにそのまま放置されたのはたぶんはじめてのことだ。いたぶられるのはたまらないが、こうして捨て置かれるのもそれはそれでたまらない。まるで、用がすんだら見向きもせず置き去りにされる玩具のようで。その考えに胸のあたりがずきりと疼く。
 自分は不破の性欲処理のための道具なのだと、長いあいだそう思っていたやるせない気持ちが蘇る。それは月森の誤解だったと、あの事件のさいにぶっきらぼうな不破の言葉で語られたのだが。
 不破の言葉を疑うつもりはないが、すんなりと信用することもできない。
 以前に比べれば、少しは互いのあいだの溝が埋まったような気もするが、それでも、月森には不破の胸のうちがわからない。
 不安、だった。

 *****

 このまま服を着ては汚れてしまう。それに、生々しい男の匂いをまとわせて祖母の待つ家に帰ることなどできない。やむを得ない。勝手知ったる人の家。処理をして簡単に身体を洗わせてもらうことにして、不破が放置していた寝間着を羽織り部屋を出る。
 こんな姿をだれにも見られたくないと思いながら、壁に手をつき、ふらつく身体をひきずるようにして廊下を進む。
 だが、目的の場所にたどりつくまえに、この家の主に出くわした。
「ああ、おはよう、洸くん」
 墨染めの衣に身を包んだ住職は、月森を見て少し驚いた表情をしたが、すぐに目を細めて穏やかな笑みを浮かべた。いつ見ても清廉そのものといった住職のたたずまいに、月森はばつが悪くて思わず目を伏せてしまう。
「お、はよう、ございます」
 早くはない。もう昼なのだ。こんな時間にこんな格好でうろついている自分が恥ずかしくて情けなくて、月森はうつむいたまま寝間着のまえを掻きあわせる。
 ふわりと、香の薫りがあたりに漂う。邪気を払うような涼やかな香りにますますいたたまれなくなって、月森は羞恥のために頬を染めて唇を噛んだ。
「湯を浴びるのかい? 身体がつらそうだ。私でよければ手を貸すよ」
 腹に響くようないい声で住職はとんでもないことをいう。月森は耳まで真っ赤になって首を振った。
「いえ、け、けっこうです」
「遠慮する必要はない。うちの愚息がまた無体な真似をしたのだろう。お詫びをかねて禊ぎのお手伝いをさせてもらうよ。おいで」
 強引ではないが、抗いがたい力で肩を抱かれ湯殿へうながされる。
 月森が、不破の部屋に、この家に長居できないと感じる大きな理由がこれで。不破の母上はもちろんのこと父上であるこの住職までもが、月森が不破の嫁だと、なんの疑問も持たずにすんなりと受け入れているらしく。その不必要な理解のよさが月森にとってはいたたまれない。
 ひとつ屋根の下、夜ごと不埒な行為に耽る姿を見透かされているようでたまらなく恥ずかしいのだ。
「あ、あの」
 不破の父上に後始末を手伝われるなど羞恥の極みだ。だが、月森は自分に向けられる好意を拒むことに慣れていない。他人からやさしくされることに飢えていた名残なのか、強く押されると跳ね返せない。
 東雲に対してそうだったように。
 そんな月森の窮地を救ってくれたのは、やはり彼だった。
「畏れながらお館さま、そのお役目、この影にお任せください」
 月森の背後から耳に馴染んだ声が聞こえた。住職が振り返る。
「これは驚いた。きみが私に姿を見せるなんて珍しい」
「申し訳ございません」
「いや、謝る必要はない。貴重なものを見せてもらったよ」
 そういうと住職はあっさりと月森から手を離す。
「きみがわざわざ姿を現すくらいだ。残念だが、今回は私の出る幕はないらしい」
 ふらついた月森の身体を背後から素早く支えるものがあった。
「失礼いたします、月森さま」
「影」
 ほっとして、月森は無意識のうちに影の腕を掴んでいた。影がわずかに目を細めたが、月森はそれには気付かない。
「忍は夜まで戻らない。湯を浴びたら部屋でゆっくり休むといいよ、洸くん」
 住職の言葉に月森は顔をあげる。
「不破は、どこに?」
 尋ねると、なぜか住職は意味ありげな視線を影に送ってから、にっこりと笑って答えた。
「今夜はお祭りだからね」
 答えになっているのかいないのかはっきりしない言葉だが、それよりも、耳慣れない単語に月森はきょとんとする。
「お祭り?」
 しかし、住職はそれ以上説明する気はないらしく「ごゆっくり」と繰り返して去っていった。
 しかたなく、追求するのは諦めて、影の手を借りながら湯殿に向かう。影はほんとうに月森の湯浴みを手伝うつもりのようで、黒装束のままついてきた。濡れるから、ひとりで大丈夫だから、といくら月森が説得しても引き下がらない。
「お怪我をなさっては大変です」
 の一点張りで。最終的には月森が折れた。
 月森は影に対しては絶大な信頼を寄せている。閨での行為もすべて影には見られているに違いないし、精神的な面において、影は月森の心の支えでもある。影の存在があったから、不破とのあいだの長年の誤解が解けた。そう思っている。だから、素肌を晒すことにひどい羞恥はあるけれど、かたくななまでの抵抗は感じない。
 だけど、まさか。
 いくら主に忠実とはいえ、その影が、月森の体内に残された不破のものを掻き出すことまで手伝うなどとは思ってもいなかった。
 今の月森は影にしがみつき、足を開いて臀部を後ろに突き出すような格好をしている。そんな月森を正面から抱き寄せ、その背後に手を回して狭い粘膜に指を差し入れているのは影で。
 月森は自分でそれをするつもりだった。だが、今まで自分でそんなところに触れたことすらない彼が、いきなり指を入れてなかのものを掻き出すことなどできるはずがなく。半泣きになって四苦八苦する月森を見かねて、影が手伝いを申し出たのだ。
 恥ずかしくてたまらないが、背に腹は代えられない。
 月森の身体を傷付けないように、影はもどかしいほどゆっくりと指を動かす。少しくらい乱暴でもいいから一気にやってほしい。
「影……っいい、から……もっと、つよく……っん、」
 影の背中に腕を回してしがみつき、洩れてくる声を殺すためにその胸にぎゅっと顔を押しつける。
「いけません。もし月森さまにお怪我をさせてしまったら、私などが自害した程度ではとても贖いきれません」
「――――っ、」
 そういわれてはなにもいえない。不破と影との主従関係には、月森が口出しすることはできない。
「ひぅ……っ」
「おつらいですか。お声を我慢なさらなくてもよろしいのですよ。もう少しで終わります。どうか、今しばらくのあいだご辛抱ください」
 影の胸に頭を埋めながら、月森はこくこくとうなずく。
 ふいに、体内を探る指がある一点を掠めた。
「ああ……っ」
 月森がびくんっと身体を痙攣させて鋭い悲鳴をあげると、影の手が止まった。
「……っ、ご、ごめん、おれ……」
頭に血がのぼる。
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