第一章 〈森の精〉 -2-
文字数 4,699文字
モニタに表示されたファイルを見て、二人は大きく安堵の息をついた。ファイルの表題は〈カリスト士官学校・卒業予定者名簿〉。ここに今度カリスト士官学校を卒業する指揮官の卵たちの配属先が記されている。
「思ってたよりかは、ラクだったな」
息を凝らして画面を見つめていたヴァルトラントは、緊張の糸を少し緩め、堅めのセピア色の髪をかきあげながら大きく息を吐き出した。
「うん、〈鍵〉の解析にもう少しかかるかと思ったけど、案外単純な構造だったね」
サブモニタの画面をいまでは悠然と見ているヴァルトラントとは対照的に、隣に座って端末の入力デバイスを操作し続けているミルフィーユは応えた。指の一動作ごとに、目まぐるしく画面が流れていく。眼鏡の奥の深い空色の瞳は、その膨大な情報を追うので必死だ。
ヴァルトラントとミルフィーユの二人は、司令官室でのやりとりののち、基地から五〇キロメートルほど離れた官舎街へと戻った。
少年たちは設備の整っているミルフィーユの家に着くと、腹ごしらえもそこそこに、さっそく「攻撃 」の準備にとりかかった。
実をいうと、カリスト司令本部のサーバは以前から狙っていた「獲物」とあって、すでに下準備はばっちり整っていたのだ。あとは新たに更新された事項を確認して、奇襲をかけるのみとなっていた。
当初の予定では何の目的もなく、ただサーバに侵入してファイルを覗き見するだけのつもりだった。そこへ思いがけず、今回の問題が飛び込んできたというわけだ。データを操作できるこんなチャンスを、みすみす逃す手はない。手強いモンスターに立ち向かうかのように少年たちは興奮し、意気揚々とそれぞれの端末に向かった。
敵は相当手強いはずだ――と、二人は思っていた。軍事機密の収められたサーバだ。当然、外部からの侵入に対して充分な対策が施されているに違いない。
だが少年たちは、想定していた時間より遥かに早い時間で、〈カリスト〉システムのサーバの一つを手中にしていたのである。妨害らしい妨害もなく終わり、その呆気なさに二人はちょっと拍子抜けだ。
「はんっ。〈機構軍〉も大したことないよな。俺らみたいなガキにクラックされるようなシステムしか作れないなんて。これじゃ『入ってくださ~い』って言ってるのと同じじゃないか。きっと機密なんてダダ洩れだぜ?」
皮肉っぽいが、どこか自嘲めいた口調で、ヴァルトラントは肩をすくめた。
「でも、まだ『侵入されたことがない』って言ってるよ?」
そういうミルフィーユとて、軍広報部の発表なぞこれっぽっちも信じてはいない。だから一拍おいて「一応ね」とつけ加え、自分も肩をすくめた。
惑星開発を一手に引き受け、さらに太陽系の半分ちかくを統括する〈惑星開発機構〉。その管理下にあり、公宙や〈機構〉の領域を警備する〈警備局〉――通称〈機構軍〉のコンピュータシステムは、当然その使用目的上、万全のセキュリティを誇り、外部からの不正な侵入を許さない。だが、所詮は人間の作り出したものである。ほんの小さな「ほころび」の一つや二つぐらいはあろう。決してあってはならないものだが、それは理想論にすぎず、実際深刻な事態に発展するほどではなかったが、幾度か何者かによるシステム内への侵入を許したことは確かだった。その事実を〈機構軍〉が公表したことはついぞなかったが。
そして、わずか一〇歳になるかならないかという彼らも、うまくその「ほころび」を見つけ、たったいま、みごとその偉業を成し終えたのだ。
もちろん生半可な知識と技術だけでできるものではない。二人はまだ子供であったが、親が軍人であるため軍という特殊な環境を身近にして育ち、周囲の熟練者たちからそれなりの手ほどきを受けていた。そのお蔭で、ある程度のスキルは持っている。それに充分な情報集めや下準備をしてから、この難攻不落といわれる城塞の攻略に取りかかったのだ。
自分たちが持っているかぎりの〈踏み台〉と〈鍵〉を使い、システムを守る分厚い壁にとりつく。そして慎重に慎重をかさねて触手をのばし、手薄な入口を探す。パスワードを解析し、ひとつ壁を乗り越える。あとはひたすらそれの繰り返しだ。
さほどの問題はなかったとはいえ、実際には何度か冷や冷やすることももちろんあった。それをなんとか巧く切り抜けることができたのは、これまでにも「他人のコンピュータに忍び込んだ」経験のなせる技だろう。
そして無限かと思えるほどの壁を超えてようやく中枢部に辿り着き、目的のファイルを見つけることができた時の達成感といったら。
「さてさて、一体どんな新任士官 が、あの二人をがっかりさせたのかなぁ?」
ヴァルトラントは冗談めかした口調で調子をつけると、軽やかにコマンドを打ち込みローカルストレージへとデータを落としはじめた。そしてふと、ダウンロードが完了するまでのほんのわずかな時間、その目を正面の窓に向けた。いまはカーテンで遮られていて見ることはできないが、窓の向こうには暗い夜空に半分ほど顔を覗かせる木星の姿があるはずだ。そしてその木星と、自分たちの住むこの衛星カリストの大地が触れ合うところに、彼らの父親たちが勤務し、自分たちの遊び場ともなっている〈機構軍〉航空隊の基地、〈森の精 〉があった。
彼は一瞬だけ〈森の精 〉の滑走路から見る美しい木星の姿を思い出したが、ダウンロード完了を知らせるアラート音で再びモニタに向き直ると、落としたばかりのファイルを開いた。その顔には満足そうな笑みが浮かんでいる。
が、しばらくもしないうちに笑みは消え、彼は苦虫を噛み潰したような顔をして唸りこんでしまった。
「どーしたの?」
何か不満そうなヴァルトラントの呻き声に、ミルフィーユは画面に目を据えたまま声をかけた。依然として彼の指は絶え間なく動き、侵入先のセキュリティプログラムを牽制する指示を与え続けている。
「いや……」
腕組みをして背もたれにスラリとした身体をあずけているヴァルトラントは、言ったものかどうかためらって一瞬言葉を濁しかけた。が、結局思ったことを吐き出した。
「これじゃ、経理部長もミス・バーバラも文句言うはずだよ。こんなのじゃ使い物にならない。どれもこれもカスばっかだ」
彼は不遜な台詞を放つと、整った顔をしかめた。そして不満をぶつけるかのように荒々しく指をタップしてファイルのページを切り替えてゆく。
「今回に限ったことじゃないけどさ。人事部もよく、こう、落ちこぼれみたいなのばっかり寄越すよな。こんなのじゃ、ホントに俺たちが何もしなくても、遅かれ早かれドロップアウトすると思うぞ」
「そりゃ、『本当に優秀』なのは、司令本部なんかが持っていっちゃうから」
小生意気に鼻を鳴らしているヴァルトラントの横で、ミルフィーユが最後のプログラムを組みながら応える。
「で、潰してもいいようなのを〈森の精 〉に回して、体よく厄介払いするってか? 本部もやることがセコいな。イヤな事ばかり押しつけてくる」
「それでいて、潰したら潰したで文句いうんだよ。『新人潰し』って」
「……なんか、めっちゃムカつくな」
ヴァルトラントは本気で腹が立ってきた。もともと彼は、妙に威圧的な軍上層部に対してあまりいい感情をもっていない。父であるウィルが何かにつけて上層部に対しての不平不満をこぼしているというのも、大きく影響しているのだろう。
とにかく彼は、「本部」と名前のつくところが嫌いだった。
「別に、すごく成績優秀なのはいらないけどさ。もっと、何ていうか――そう、『面白そう』なのをくれればいいのに」
読み取る気があるのかないのか、ヴァルトラントはページを切り替える手を早めていく。
「『面白そう』って、どんなのさ?」
あらかたプログラミングを終えたミルフィーユは、親友にようやく目をやった。
面白くなさそうな顔をしていたヴァルトラントは、ミルフィーユの質問に顔を輝かせると、拳を振りあげて叫んだ。
「そりゃ決まってるじゃん。『個性的』かつ『俺らの使用』に耐えられるヤツ!」
「……いるかな? そんなの」
ヴァルトラントに聞こえないように、金髪の少年は呟いた。
「ミルフィー!」
「ごめ……っ」
いきなり名前を呼ばれ、てっきり呟きを聞き咎められたと思ったミルフィーユは、反射的に謝った。だがヴァルトラントは怒ったわけではなく、急に何かを思いついた様子で、手当たり次第にファイルを落としはじめた。
「何してるの?」
親友の突然の行動に、ミルフィーユは目をぱちくりさせた。対するヴァルトラントは、嬉しそうにデータを指し示して答える。
「カリスト校だけじゃなく、木星中の士官学校の卒業者名簿を探せば、一人ぐらいはいそうだろ? 『面白そう』なのが!」
こいつは何を考えてるんだっ!?
ミルフィーユは呆気に取られた。ヴァルトラントはいつも突拍子もないことをしはじめる。まあ、それがまた楽しくもあり、彼の魅力の一つにもなってるのだが、それでも「たまには、それに付き合わされていつも苦労する自分の身にもなって欲しい」――と思わずにはいられないミルフィーユだった。そして、「今回もまた、彼の『いい考え』に付き合わされるんだろうな」と考えてちょっと疲れる反面、彼の次の言葉を期待している自分がいるのに気づき、軽い自己嫌悪に囚われる。
一方、主立ったファイルを取得し終えたヴァルトラントは、条件に合致する者をふるいにかけてピックアップするのに必死だ。だが、なかなかこちらの希望に沿うような者は見つからない。
「ホントは士官学校の〈ヒヨコちゃん〉なんかより、経理部長らの望みどおり、経験者 から探してくるのがいいんだろうけど」
「キャリアを動かすのはマズいよ。異動の理由がつけられないもの。〈ヒヨコちゃん〉だったら土壇場の変更ってのがありがちだから、少々動かしても大丈夫だろうけど。そもそも今回のウチの枠は、〈ヒヨコちゃん〉の入る枠だし」
データを見つめ舌打ちするヴァルトラントを、ミルフィーユは諌めた。ある程度手綱を絞っていないと、こやつはどこへ突っ走っていくか判らない。
「じゃあ、『士官学校』から選ぶとして、もう少ぉし範囲を広げてぇ」
「それはダメッ! ダウンロードは木星圏内のヤツだけにして!他星 のデータは別サーバなんだよっ。いまはそこまで制御できてないんだからっ」
血相を変えて叫ぶミルフィーユに、ヴァルトラントは少し驚いた。とっさに反論しようと思ったが、やめておいた。自分と違って、相棒は普段あまり激しく感情を表さない。その彼がこんなに必死に止めるからには、とりあえず素直に従った方がよい。触らぬ神に祟りなしだ。
「はい……」
相棒の仰せに従い、ヴァルトラントは木星圏内にある〈機構軍〉士官学校の卒業予定者から二名選びだした。それは、決して「自分たちの」望みに適う者ではなかったが、経理部長とミス・バーバラは充分満足するだろう。
これは「面白そう」だったのになぁ。
ミルフィーユが〈木馬 〉のアップロード作業をする横で、当面手持ち無沙汰になったヴァルトラントは、自分の端末のモニタを眺めて小さくため息をついた。
そこには先ほど相棒に止められる直前にダウンロードした、〈タイタン士官学校〉の名簿が映し出されていた。
「思ってたよりかは、ラクだったな」
息を凝らして画面を見つめていたヴァルトラントは、緊張の糸を少し緩め、堅めのセピア色の髪をかきあげながら大きく息を吐き出した。
「うん、〈鍵〉の解析にもう少しかかるかと思ったけど、案外単純な構造だったね」
サブモニタの画面をいまでは悠然と見ているヴァルトラントとは対照的に、隣に座って端末の入力デバイスを操作し続けているミルフィーユは応えた。指の一動作ごとに、目まぐるしく画面が流れていく。眼鏡の奥の深い空色の瞳は、その膨大な情報を追うので必死だ。
ヴァルトラントとミルフィーユの二人は、司令官室でのやりとりののち、基地から五〇キロメートルほど離れた官舎街へと戻った。
少年たちは設備の整っているミルフィーユの家に着くと、腹ごしらえもそこそこに、さっそく「
実をいうと、カリスト司令本部のサーバは以前から狙っていた「獲物」とあって、すでに下準備はばっちり整っていたのだ。あとは新たに更新された事項を確認して、奇襲をかけるのみとなっていた。
当初の予定では何の目的もなく、ただサーバに侵入してファイルを覗き見するだけのつもりだった。そこへ思いがけず、今回の問題が飛び込んできたというわけだ。データを操作できるこんなチャンスを、みすみす逃す手はない。手強いモンスターに立ち向かうかのように少年たちは興奮し、意気揚々とそれぞれの端末に向かった。
敵は相当手強いはずだ――と、二人は思っていた。軍事機密の収められたサーバだ。当然、外部からの侵入に対して充分な対策が施されているに違いない。
だが少年たちは、想定していた時間より遥かに早い時間で、〈カリスト〉システムのサーバの一つを手中にしていたのである。妨害らしい妨害もなく終わり、その呆気なさに二人はちょっと拍子抜けだ。
「はんっ。〈機構軍〉も大したことないよな。俺らみたいなガキにクラックされるようなシステムしか作れないなんて。これじゃ『入ってくださ~い』って言ってるのと同じじゃないか。きっと機密なんてダダ洩れだぜ?」
皮肉っぽいが、どこか自嘲めいた口調で、ヴァルトラントは肩をすくめた。
「でも、まだ『侵入されたことがない』って言ってるよ?」
そういうミルフィーユとて、軍広報部の発表なぞこれっぽっちも信じてはいない。だから一拍おいて「一応ね」とつけ加え、自分も肩をすくめた。
惑星開発を一手に引き受け、さらに太陽系の半分ちかくを統括する〈惑星開発機構〉。その管理下にあり、公宙や〈機構〉の領域を警備する〈警備局〉――通称〈機構軍〉のコンピュータシステムは、当然その使用目的上、万全のセキュリティを誇り、外部からの不正な侵入を許さない。だが、所詮は人間の作り出したものである。ほんの小さな「ほころび」の一つや二つぐらいはあろう。決してあってはならないものだが、それは理想論にすぎず、実際深刻な事態に発展するほどではなかったが、幾度か何者かによるシステム内への侵入を許したことは確かだった。その事実を〈機構軍〉が公表したことはついぞなかったが。
そして、わずか一〇歳になるかならないかという彼らも、うまくその「ほころび」を見つけ、たったいま、みごとその偉業を成し終えたのだ。
もちろん生半可な知識と技術だけでできるものではない。二人はまだ子供であったが、親が軍人であるため軍という特殊な環境を身近にして育ち、周囲の熟練者たちからそれなりの手ほどきを受けていた。そのお蔭で、ある程度のスキルは持っている。それに充分な情報集めや下準備をしてから、この難攻不落といわれる城塞の攻略に取りかかったのだ。
自分たちが持っているかぎりの〈踏み台〉と〈鍵〉を使い、システムを守る分厚い壁にとりつく。そして慎重に慎重をかさねて触手をのばし、手薄な入口を探す。パスワードを解析し、ひとつ壁を乗り越える。あとはひたすらそれの繰り返しだ。
さほどの問題はなかったとはいえ、実際には何度か冷や冷やすることももちろんあった。それをなんとか巧く切り抜けることができたのは、これまでにも「他人のコンピュータに忍び込んだ」経験のなせる技だろう。
そして無限かと思えるほどの壁を超えてようやく中枢部に辿り着き、目的のファイルを見つけることができた時の達成感といったら。
「さてさて、一体どんな
ヴァルトラントは冗談めかした口調で調子をつけると、軽やかにコマンドを打ち込みローカルストレージへとデータを落としはじめた。そしてふと、ダウンロードが完了するまでのほんのわずかな時間、その目を正面の窓に向けた。いまはカーテンで遮られていて見ることはできないが、窓の向こうには暗い夜空に半分ほど顔を覗かせる木星の姿があるはずだ。そしてその木星と、自分たちの住むこの衛星カリストの大地が触れ合うところに、彼らの父親たちが勤務し、自分たちの遊び場ともなっている〈機構軍〉航空隊の基地、〈
彼は一瞬だけ〈
が、しばらくもしないうちに笑みは消え、彼は苦虫を噛み潰したような顔をして唸りこんでしまった。
「どーしたの?」
何か不満そうなヴァルトラントの呻き声に、ミルフィーユは画面に目を据えたまま声をかけた。依然として彼の指は絶え間なく動き、侵入先のセキュリティプログラムを牽制する指示を与え続けている。
「いや……」
腕組みをして背もたれにスラリとした身体をあずけているヴァルトラントは、言ったものかどうかためらって一瞬言葉を濁しかけた。が、結局思ったことを吐き出した。
「これじゃ、経理部長もミス・バーバラも文句言うはずだよ。こんなのじゃ使い物にならない。どれもこれもカスばっかだ」
彼は不遜な台詞を放つと、整った顔をしかめた。そして不満をぶつけるかのように荒々しく指をタップしてファイルのページを切り替えてゆく。
「今回に限ったことじゃないけどさ。人事部もよく、こう、落ちこぼれみたいなのばっかり寄越すよな。こんなのじゃ、ホントに俺たちが何もしなくても、遅かれ早かれドロップアウトすると思うぞ」
「そりゃ、『本当に優秀』なのは、司令本部なんかが持っていっちゃうから」
小生意気に鼻を鳴らしているヴァルトラントの横で、ミルフィーユが最後のプログラムを組みながら応える。
「で、潰してもいいようなのを〈
「それでいて、潰したら潰したで文句いうんだよ。『新人潰し』って」
「……なんか、めっちゃムカつくな」
ヴァルトラントは本気で腹が立ってきた。もともと彼は、妙に威圧的な軍上層部に対してあまりいい感情をもっていない。父であるウィルが何かにつけて上層部に対しての不平不満をこぼしているというのも、大きく影響しているのだろう。
とにかく彼は、「本部」と名前のつくところが嫌いだった。
「別に、すごく成績優秀なのはいらないけどさ。もっと、何ていうか――そう、『面白そう』なのをくれればいいのに」
読み取る気があるのかないのか、ヴァルトラントはページを切り替える手を早めていく。
「『面白そう』って、どんなのさ?」
あらかたプログラミングを終えたミルフィーユは、親友にようやく目をやった。
面白くなさそうな顔をしていたヴァルトラントは、ミルフィーユの質問に顔を輝かせると、拳を振りあげて叫んだ。
「そりゃ決まってるじゃん。『個性的』かつ『俺らの使用』に耐えられるヤツ!」
「……いるかな? そんなの」
ヴァルトラントに聞こえないように、金髪の少年は呟いた。
「ミルフィー!」
「ごめ……っ」
いきなり名前を呼ばれ、てっきり呟きを聞き咎められたと思ったミルフィーユは、反射的に謝った。だがヴァルトラントは怒ったわけではなく、急に何かを思いついた様子で、手当たり次第にファイルを落としはじめた。
「何してるの?」
親友の突然の行動に、ミルフィーユは目をぱちくりさせた。対するヴァルトラントは、嬉しそうにデータを指し示して答える。
「カリスト校だけじゃなく、木星中の士官学校の卒業者名簿を探せば、一人ぐらいはいそうだろ? 『面白そう』なのが!」
こいつは何を考えてるんだっ!?
ミルフィーユは呆気に取られた。ヴァルトラントはいつも突拍子もないことをしはじめる。まあ、それがまた楽しくもあり、彼の魅力の一つにもなってるのだが、それでも「たまには、それに付き合わされていつも苦労する自分の身にもなって欲しい」――と思わずにはいられないミルフィーユだった。そして、「今回もまた、彼の『いい考え』に付き合わされるんだろうな」と考えてちょっと疲れる反面、彼の次の言葉を期待している自分がいるのに気づき、軽い自己嫌悪に囚われる。
一方、主立ったファイルを取得し終えたヴァルトラントは、条件に合致する者をふるいにかけてピックアップするのに必死だ。だが、なかなかこちらの希望に沿うような者は見つからない。
「ホントは士官学校の〈ヒヨコちゃん〉なんかより、経理部長らの望みどおり、
「キャリアを動かすのはマズいよ。異動の理由がつけられないもの。〈ヒヨコちゃん〉だったら土壇場の変更ってのがありがちだから、少々動かしても大丈夫だろうけど。そもそも今回のウチの枠は、〈ヒヨコちゃん〉の入る枠だし」
データを見つめ舌打ちするヴァルトラントを、ミルフィーユは諌めた。ある程度手綱を絞っていないと、こやつはどこへ突っ走っていくか判らない。
「じゃあ、『士官学校』から選ぶとして、もう少ぉし範囲を広げてぇ」
「それはダメッ! ダウンロードは木星圏内のヤツだけにして!
血相を変えて叫ぶミルフィーユに、ヴァルトラントは少し驚いた。とっさに反論しようと思ったが、やめておいた。自分と違って、相棒は普段あまり激しく感情を表さない。その彼がこんなに必死に止めるからには、とりあえず素直に従った方がよい。触らぬ神に祟りなしだ。
「はい……」
相棒の仰せに従い、ヴァルトラントは木星圏内にある〈機構軍〉士官学校の卒業予定者から二名選びだした。それは、決して「自分たちの」望みに適う者ではなかったが、経理部長とミス・バーバラは充分満足するだろう。
これは「面白そう」だったのになぁ。
ミルフィーユが〈
そこには先ほど相棒に止められる直前にダウンロードした、〈タイタン士官学校〉の名簿が映し出されていた。