第10話 石・砂利
文字数 1,837文字
お散歩ゴミ拾い。路上に落ちているもので、拾う対象としているもののうち一番重くて、始末も厄介なのが、石である。
林道や農道、河川敷ならば、石くらい落ちていて当たりまえ、回収する必要はないどころか、下手に持って行くと泥棒になりかねない。
だがしかし、町中の歩道や車道、その間の側溝などに落ちている石は、ゴミの一種と認識していいと思う。景観的にも見苦しいが、車によって弾かれたり、割れて飛び散ったりすることで危険でもある。
石なんか、そうそう落ちていない、と思われるかも知れない。
もちろん、地域性もあるのだろう。たぶん、本当の大都会では、石など探すことすら難しいのではないか。しかし、俺の住む地方都市では、毎日一個や二個は間違いなく落ちている定番のゴミなのである。
何で、そんなものが街中に落ちているのか、といえば、原因は一つではないようだ。
まず、人間が持ってくる。
主に子供だが、どこから持ってくるのか、石を蹴って歩いたり、わけもなく持ち歩いたりして、それを放置する場合がある。
これは無視できないくらい事例が多く、砂利を敷いた駐車場が、歩道と同じ高さで設定されていたりすると、そこから多数の砂利を持ち出し、歩道で遊んだ形跡があることもある。
こうした小さな砂利は、ポケットに入れて持ち帰り、これは庭の砂利部分にばら撒いているので、そう問題にはならない。
だが時には、大きめの石が車道に並べられていることもあって、そこまで来ると、もはや犯罪だ。とはいえ子供らには、大した悪意はなさそうだし、まあ、俺も子供の頃には、石を蹴って遊んだり、石で基地を作ったりもした。
たぶん、結構な迷惑だったはずだし、これはその報いと思って、片付けることにしている。
もう一つは、車が落としていく場合である。
農機や工事用車両、建設機械などの履帯やタイヤには、泥がいっぱいついていることがあるが、その泥の中に石が混じっているのだ。
現場から現場への運搬中に、振動などでこの泥が道路に落ちる。
落ちてすぐは、泥の塊にしか見えないが、雨などで洗われると、中から意外とでかい石が出現する。この泥から石が現れる確率は、結構高い。
何故なら、石が中心にあるから重く、他の部分よりも落下しやすいわけで、ということはこの石、往々にして子供の持って来るものよりでかいわけだ。
直径十センチ以上あることもあって、危険物として無視できないサイズである。
車が踏んだ時の危険さは言うまでもないが、側溝で落ち葉やゴミの流れを妨げ、大雨の際に浸水の原因となることもある。
回収したはいいが、燃えないゴミに出すにしても、かなり重いので引き取ってくれない可能性もある。
だが、こうした石のたぐいは、もともと自然界にあるものであって、プラゴミなどの人工ゴミとは違って、生物や生態系に大きな悪影響を与えるものではない。コンクリ片や瓦片にしても、見た目不自然なのはたしかだが、もし放置したとしても、何かを減少させるとか、何か生物の行動を阻害するとか、そういう大きな問題は起きないだろうと思う。
しかしだからといって、これらが道端に駐留し続けるのは、いいこととは言えないし、コンクリや瓦を、自然の野原や林で見たいとも正直思わない。
なかなか悩ましいことだが、俺はやはり、こういう石のたぐいは『材料』という認識でいいのではないかと思っている。
例えば、自然石の場合は、持ち帰って庭に置いても、そう違和感はないのでそうしている。
いい色や形の石なら水槽やテラリウムに入れて、そういう利用を実際にしてもいる。
だが、コンクリ片や瓦片などだと、そういう利用にはあまり向いていないので、庭の隅に蓄積しておいて、カメの野外飼育場の基礎工事に使ったり、庭の中の歩道づくりなど、自前の土木作業をやる時に土台として利用したりしている。
また、俺はビオトープ管理士なので、ビオトープ整備にも、こうした石はよく使う。
積み上げ、石垣にして、トカゲやヘビの住処、せせらぎの底石、観察道の縁石、堆肥置き場にモグラが侵入しないための防御結界、などなど。
意外と使い道はあるし、足りなくなる場合も多くて、その時はホムセンに買いに行ったりすることすらある。よって俺としては、道端の石や砂利を回収する時、最近ではむしろ嬉しい気持ちにもなってくる。
重くて厄介なことに変わりはないが、利用しやすいという点では、石はゴミの中でも優秀な方だと、そう言ってもいいように思う。
林道や農道、河川敷ならば、石くらい落ちていて当たりまえ、回収する必要はないどころか、下手に持って行くと泥棒になりかねない。
だがしかし、町中の歩道や車道、その間の側溝などに落ちている石は、ゴミの一種と認識していいと思う。景観的にも見苦しいが、車によって弾かれたり、割れて飛び散ったりすることで危険でもある。
石なんか、そうそう落ちていない、と思われるかも知れない。
もちろん、地域性もあるのだろう。たぶん、本当の大都会では、石など探すことすら難しいのではないか。しかし、俺の住む地方都市では、毎日一個や二個は間違いなく落ちている定番のゴミなのである。
何で、そんなものが街中に落ちているのか、といえば、原因は一つではないようだ。
まず、人間が持ってくる。
主に子供だが、どこから持ってくるのか、石を蹴って歩いたり、わけもなく持ち歩いたりして、それを放置する場合がある。
これは無視できないくらい事例が多く、砂利を敷いた駐車場が、歩道と同じ高さで設定されていたりすると、そこから多数の砂利を持ち出し、歩道で遊んだ形跡があることもある。
こうした小さな砂利は、ポケットに入れて持ち帰り、これは庭の砂利部分にばら撒いているので、そう問題にはならない。
だが時には、大きめの石が車道に並べられていることもあって、そこまで来ると、もはや犯罪だ。とはいえ子供らには、大した悪意はなさそうだし、まあ、俺も子供の頃には、石を蹴って遊んだり、石で基地を作ったりもした。
たぶん、結構な迷惑だったはずだし、これはその報いと思って、片付けることにしている。
もう一つは、車が落としていく場合である。
農機や工事用車両、建設機械などの履帯やタイヤには、泥がいっぱいついていることがあるが、その泥の中に石が混じっているのだ。
現場から現場への運搬中に、振動などでこの泥が道路に落ちる。
落ちてすぐは、泥の塊にしか見えないが、雨などで洗われると、中から意外とでかい石が出現する。この泥から石が現れる確率は、結構高い。
何故なら、石が中心にあるから重く、他の部分よりも落下しやすいわけで、ということはこの石、往々にして子供の持って来るものよりでかいわけだ。
直径十センチ以上あることもあって、危険物として無視できないサイズである。
車が踏んだ時の危険さは言うまでもないが、側溝で落ち葉やゴミの流れを妨げ、大雨の際に浸水の原因となることもある。
回収したはいいが、燃えないゴミに出すにしても、かなり重いので引き取ってくれない可能性もある。
だが、こうした石のたぐいは、もともと自然界にあるものであって、プラゴミなどの人工ゴミとは違って、生物や生態系に大きな悪影響を与えるものではない。コンクリ片や瓦片にしても、見た目不自然なのはたしかだが、もし放置したとしても、何かを減少させるとか、何か生物の行動を阻害するとか、そういう大きな問題は起きないだろうと思う。
しかしだからといって、これらが道端に駐留し続けるのは、いいこととは言えないし、コンクリや瓦を、自然の野原や林で見たいとも正直思わない。
なかなか悩ましいことだが、俺はやはり、こういう石のたぐいは『材料』という認識でいいのではないかと思っている。
例えば、自然石の場合は、持ち帰って庭に置いても、そう違和感はないのでそうしている。
いい色や形の石なら水槽やテラリウムに入れて、そういう利用を実際にしてもいる。
だが、コンクリ片や瓦片などだと、そういう利用にはあまり向いていないので、庭の隅に蓄積しておいて、カメの野外飼育場の基礎工事に使ったり、庭の中の歩道づくりなど、自前の土木作業をやる時に土台として利用したりしている。
また、俺はビオトープ管理士なので、ビオトープ整備にも、こうした石はよく使う。
積み上げ、石垣にして、トカゲやヘビの住処、せせらぎの底石、観察道の縁石、堆肥置き場にモグラが侵入しないための防御結界、などなど。
意外と使い道はあるし、足りなくなる場合も多くて、その時はホムセンに買いに行ったりすることすらある。よって俺としては、道端の石や砂利を回収する時、最近ではむしろ嬉しい気持ちにもなってくる。
重くて厄介なことに変わりはないが、利用しやすいという点では、石はゴミの中でも優秀な方だと、そう言ってもいいように思う。