予想外の展開
文字数 3,844文字
◇◇
腕力、体力、脚力……。
人はそれぞれ才能と、努力によって、持っているものが異なる。
ただそれでも『人間』であることには変わらず、一定の範疇を超えるのは不可能だ。
今、『真紅の戦乙女』リーサが挑もうとしている、リーパー・リントヴルムという化け物は、そんな人間たちがいくら束になっても、絶対にかなわないだろう。
なぜなら『人間の範疇』を大きく超越した存在だからだ。
それは『勇気』とか『挑戦』とか、そんな抽象的かつ非現実的な『覚悟』ではいかんともしがたいほどに、乖離がある。奴と実際に対峙した俺だからこそ言えることだった。
「目を輝かせながらこっちに向かってきているんだろうが、島についたらそのまま帰ってもらおう」
リーサたちがこの島に到着するのは明後日になるだろう。
もし俺なら、日没を見計らって島の南岸に船をつけ、奴が休んでいるうちに急襲をかける。
幸いなことに俺が作った地図によれば、船着き場となる岸から奴のいる山まで二時間程度。
夜明け前に奴のもとにたどり着くのは可能だ。
となると、明後日の日没前に南岸に待機しておかねばならない。
そして彼女らに直接、引き返すように促すつもりだ。
「戦績に傷がついちまうが、体に一生消えない傷がつくよりはましだろ」
せっかくの好意を無駄にしてしまう形になるが、それでも俺は誰かを危険な目にあわせることのほうが、自分自身の中で許せなかったのだった――
翌日――
俺たちは島の東から徐々に南下しながら西へと進んでいった。
もちろんリーパー・リントヴルムとの『追いかけっこ』をしながらだ。
どうにか奴の動きを封じ込めながら、明日には南岸に届く位置で夜を迎えたのである。そこは偶然にも奴のいる山のふもとだった。
いつも通りに翌朝の仕込みを終えた俺たちは、少し早いが休むことにした。
明日は南岸に寄せてくるであろう船に注意を払いながら、奴から逃げのびねばならない。
今のうちから体に無理がきいてもよいようにとの判断だった。
ささやかな夕食を取り終えた俺たちは、ぬるくなった湯をすすっている。
そしてコップの中身がなくなれば、そのまま横になる時間を意味していたのだった。
するとクリスティナが珍しく、沈んだ調子で問いかけてきた。
「フィトのお父さんとお母さんは、フィトと一緒に暮らしているの?」
うつむき加減の彼女を見て、俺は出来る限り軽い調子で答えた。
「いや、もう天国に逝っちまったよ。今ごろは二人仲良く、空から俺の滑稽な人生を拝んでるだろうよ」
「えっ……そうだったんだ。ごめんなさい。変なこと聞いちゃって」
「いや、いいんだよ。それより、本当はそんなこと聞きたいんじゃないんだろ?」
「えっ……」
彼女はぱっと顔を上げた。俺は穏やかな顔で彼女の大きくなった瞳を見つめる。
「ふふ、フィトはなんでもお見通しなのね」
「ふんっ。だてに歳をとっちゃあいねえってことだよ」
「……そっか」
「おい、そこはやんわりと否定してくれるのが『優しさ』ってもんだぜ」
俺が軽い調子でたしなめると、彼女は目を丸くした後に、くすりと笑いを漏らした。
「ふふ、そうだったわね。気が利かなくてごめんなさい」
「ふん、今さら謝られると、余計に滑稽になるだけだ」
「ありがとう。少し気が楽になったわ」
彼女にいつも通りの笑顔が戻ると、俺の肩の力がすっと抜けていく。
そして彼女は、先ほどとは違って、力強い口調で話し始めたのだった。
「うん。実は、わたしのお父さんのことなの」
「ああ……」
そう切り出した彼女の口から聞かされたのは、以前カーサから聞いた内容と同じものだった。
彼女の父親の名は『フレイ』。妻の原因不明の病を治すために、伝説の泉を探し求めて出ていったっきり五年もの間、帰ってきていないというものだ。
全てを話し終えた彼女は俺の顔を覗き込んで、眉をひそめた。
「あんまり驚いてくれないのね」
「わりいな。実は知ってたんだ」
「えっ!?」
俺が素直にカーサから聞かされたことを話すと、彼女は頬を膨らませた。
「もう、おばあ様ったら。口が軽いんだから」
「すまなかったな。隠すような真似しちまって」
「いえ、いいの。わたしだって隠してたんだから……」
「実はもうひとつ、隠していることがあるんだ」
クリスティナは、「もう! フィトって、わたしが思っていたより、ずっと人が悪いのね!」と横を向いてしまった。
それでも俺は、今しかないと思って話すことにした。
「カーサから依頼を受けてな。お前さんの親父さんと、その泉を探すことにしたんだ」
その言葉の直後に言葉を失ってしまった彼女の目が大きく見開かれた。
重くなりそうな空気を、どうにかして軽くしようと、俺は口元に笑みを浮かべながら続けた。
「報酬は、お前さんのとびきりの『笑顔』ってことになってるんだ。すまんな。隠してて」
「そ、そんな……。それじゃあ、フィトは……」
「だからよ。地図が完成したからって言って、さっと国に戻るわけにはいかねえんだよ。俺は不器用だからよ。一度受けた依頼を、途中でギブアップする言い訳とかやり方が分からねえんだ」
彼女の瞳から大粒の涙が溢れ出した。
「前も言ったが、俺は女の涙が苦手なんだ。もう泣くのはよしてくれよ」
「だってぇ……だって……」
そっと彼女に手ぬぐいを差し出す。
「あまり綺麗なしろものとは言えねえが、許してくれ」
「ううっ……うわあああん!」
とうとう号泣をはじめるクリスティナ。
俺はただ、彼女が泣き止むのをじっと見守るより他なかった。
しばらくして彼女は少し落ち着くと、震える声で俺に問いかけてきた。
「だって……もう見つからないかもしれないんだよ? お父さんだって、泉だって」
「そんなの始める前から決めつける冒険者なんて、どこ探してもいねえよ」
「もしいくら探しても見つからなかったら、フィトはどうするの?」
「そん時は、明日の探す場所を考えるだけだ」
「そしたらいつまで経っても、フィトの国へ戻れないかもしれないんだよ? せっかく地図を完成させたのに、みんなに認められないかもしれないんだよ?」
その問いに俺は、彼女の両肩に手をかけて答えた。
「いいか。これだけは覚えておけ。俺にとって『国に帰る』とか『冒険者として成功する』ってのはたいした意味はねえんだ。それよりも、『クリスティナを笑顔にする』ってことの方が、数倍も大きなことなんだ。それが成し遂げられないなら、この島で野垂れ死んだって、後悔なんてするものか!」
真剣な顔つきで彼女を見つめると、彼女は涙を止めて口をキュッと結ぶ。
どうやら俺の覚悟が彼女にも伝わったのだろう。
俺は彼女から少し離れると、ふっと口元を緩めた。
「すまねえな。どうも歳を取ると、説教くさくてなんねえや。さあ、明日は……」
と、言いかけた瞬間だった――
――チュッ……。
柔らかな感触が唇の真ん中にしたかと思うと、クリスティナの可愛らしい顔が、いつもよりも大きく目に入ってきたのだった。
それはほんの一瞬のことだったかもしれないが、俺にとっては永遠にも思えるような時間だった。
なぜなら人生で一度も、『キス』なんてしたことないんだから……。
彼女がゆっくりと離れる。
俺は情けないことに動けずにその場で固まっていた。
「……ごめんなさい。あの時の言葉の続きは全部が片付いてから、って約束を破っちゃて……」
顔を真っ赤にしてうつむく彼女に、俺はなんと声をかけていいのか分からず、ただ首を横に振っていた。
「……明日は早いんだよね。もう寝ましょ」
そう言い残して彼女は、俺から隠れるように木陰で横になっていった。
俺は目が冴えてしまって、なかなか眠りにつけなかった。年甲斐もなく高鳴ってしまった胸の動悸を必死に抑えるのに、なんと一晩中かかってしまったんだ。
情けねえったらありゃしねえな……。
そして、翌朝――
昨晩のこともあり、俺はどこか気まずい感じが抜けないが、彼女はケロッとした顔で朝食の準備にいそしんでいる。
「やっぱり俺には女心というものがよく分からん」
「ん? なに? 朝食ならもうすぐできるから、そこに座ってて!」
「ああ、ありがとな。ちょっと顔洗ってくるわ」
いつもとまったく変わらないやり取り。
だとしたら昨日のあれはいったい何だったんだ?
俺はますます混乱して、頭をかきながら近くの水場へと足を運ぼうとした。
……と、その時だった。
ありえないものが目に飛び込んできたのは……。
俺は急いでクリスティナのもとへ戻ると、大声を上げた。
「おいっ! クリスティナ!! あれを見ろ!」
「えっ!? うそ!」
俺の指差した方へ視線を移した彼女は、大きく目を見開いて口をふさいだ。
「くっそ……まじかよ……」
俺は思わず唇を噛んだ。
そして目に映っている光景に「夢なら早く覚めてくれ!」と祈り続けていた。
その光景とは……。
エルフたちが隠れている洞窟の方向から煙がもくもくと上がっているものだった――
腕力、体力、脚力……。
人はそれぞれ才能と、努力によって、持っているものが異なる。
ただそれでも『人間』であることには変わらず、一定の範疇を超えるのは不可能だ。
今、『真紅の戦乙女』リーサが挑もうとしている、リーパー・リントヴルムという化け物は、そんな人間たちがいくら束になっても、絶対にかなわないだろう。
なぜなら『人間の範疇』を大きく超越した存在だからだ。
それは『勇気』とか『挑戦』とか、そんな抽象的かつ非現実的な『覚悟』ではいかんともしがたいほどに、乖離がある。奴と実際に対峙した俺だからこそ言えることだった。
「目を輝かせながらこっちに向かってきているんだろうが、島についたらそのまま帰ってもらおう」
リーサたちがこの島に到着するのは明後日になるだろう。
もし俺なら、日没を見計らって島の南岸に船をつけ、奴が休んでいるうちに急襲をかける。
幸いなことに俺が作った地図によれば、船着き場となる岸から奴のいる山まで二時間程度。
夜明け前に奴のもとにたどり着くのは可能だ。
となると、明後日の日没前に南岸に待機しておかねばならない。
そして彼女らに直接、引き返すように促すつもりだ。
「戦績に傷がついちまうが、体に一生消えない傷がつくよりはましだろ」
せっかくの好意を無駄にしてしまう形になるが、それでも俺は誰かを危険な目にあわせることのほうが、自分自身の中で許せなかったのだった――
翌日――
俺たちは島の東から徐々に南下しながら西へと進んでいった。
もちろんリーパー・リントヴルムとの『追いかけっこ』をしながらだ。
どうにか奴の動きを封じ込めながら、明日には南岸に届く位置で夜を迎えたのである。そこは偶然にも奴のいる山のふもとだった。
いつも通りに翌朝の仕込みを終えた俺たちは、少し早いが休むことにした。
明日は南岸に寄せてくるであろう船に注意を払いながら、奴から逃げのびねばならない。
今のうちから体に無理がきいてもよいようにとの判断だった。
ささやかな夕食を取り終えた俺たちは、ぬるくなった湯をすすっている。
そしてコップの中身がなくなれば、そのまま横になる時間を意味していたのだった。
するとクリスティナが珍しく、沈んだ調子で問いかけてきた。
「フィトのお父さんとお母さんは、フィトと一緒に暮らしているの?」
うつむき加減の彼女を見て、俺は出来る限り軽い調子で答えた。
「いや、もう天国に逝っちまったよ。今ごろは二人仲良く、空から俺の滑稽な人生を拝んでるだろうよ」
「えっ……そうだったんだ。ごめんなさい。変なこと聞いちゃって」
「いや、いいんだよ。それより、本当はそんなこと聞きたいんじゃないんだろ?」
「えっ……」
彼女はぱっと顔を上げた。俺は穏やかな顔で彼女の大きくなった瞳を見つめる。
「ふふ、フィトはなんでもお見通しなのね」
「ふんっ。だてに歳をとっちゃあいねえってことだよ」
「……そっか」
「おい、そこはやんわりと否定してくれるのが『優しさ』ってもんだぜ」
俺が軽い調子でたしなめると、彼女は目を丸くした後に、くすりと笑いを漏らした。
「ふふ、そうだったわね。気が利かなくてごめんなさい」
「ふん、今さら謝られると、余計に滑稽になるだけだ」
「ありがとう。少し気が楽になったわ」
彼女にいつも通りの笑顔が戻ると、俺の肩の力がすっと抜けていく。
そして彼女は、先ほどとは違って、力強い口調で話し始めたのだった。
「うん。実は、わたしのお父さんのことなの」
「ああ……」
そう切り出した彼女の口から聞かされたのは、以前カーサから聞いた内容と同じものだった。
彼女の父親の名は『フレイ』。妻の原因不明の病を治すために、伝説の泉を探し求めて出ていったっきり五年もの間、帰ってきていないというものだ。
全てを話し終えた彼女は俺の顔を覗き込んで、眉をひそめた。
「あんまり驚いてくれないのね」
「わりいな。実は知ってたんだ」
「えっ!?」
俺が素直にカーサから聞かされたことを話すと、彼女は頬を膨らませた。
「もう、おばあ様ったら。口が軽いんだから」
「すまなかったな。隠すような真似しちまって」
「いえ、いいの。わたしだって隠してたんだから……」
「実はもうひとつ、隠していることがあるんだ」
クリスティナは、「もう! フィトって、わたしが思っていたより、ずっと人が悪いのね!」と横を向いてしまった。
それでも俺は、今しかないと思って話すことにした。
「カーサから依頼を受けてな。お前さんの親父さんと、その泉を探すことにしたんだ」
その言葉の直後に言葉を失ってしまった彼女の目が大きく見開かれた。
重くなりそうな空気を、どうにかして軽くしようと、俺は口元に笑みを浮かべながら続けた。
「報酬は、お前さんのとびきりの『笑顔』ってことになってるんだ。すまんな。隠してて」
「そ、そんな……。それじゃあ、フィトは……」
「だからよ。地図が完成したからって言って、さっと国に戻るわけにはいかねえんだよ。俺は不器用だからよ。一度受けた依頼を、途中でギブアップする言い訳とかやり方が分からねえんだ」
彼女の瞳から大粒の涙が溢れ出した。
「前も言ったが、俺は女の涙が苦手なんだ。もう泣くのはよしてくれよ」
「だってぇ……だって……」
そっと彼女に手ぬぐいを差し出す。
「あまり綺麗なしろものとは言えねえが、許してくれ」
「ううっ……うわあああん!」
とうとう号泣をはじめるクリスティナ。
俺はただ、彼女が泣き止むのをじっと見守るより他なかった。
しばらくして彼女は少し落ち着くと、震える声で俺に問いかけてきた。
「だって……もう見つからないかもしれないんだよ? お父さんだって、泉だって」
「そんなの始める前から決めつける冒険者なんて、どこ探してもいねえよ」
「もしいくら探しても見つからなかったら、フィトはどうするの?」
「そん時は、明日の探す場所を考えるだけだ」
「そしたらいつまで経っても、フィトの国へ戻れないかもしれないんだよ? せっかく地図を完成させたのに、みんなに認められないかもしれないんだよ?」
その問いに俺は、彼女の両肩に手をかけて答えた。
「いいか。これだけは覚えておけ。俺にとって『国に帰る』とか『冒険者として成功する』ってのはたいした意味はねえんだ。それよりも、『クリスティナを笑顔にする』ってことの方が、数倍も大きなことなんだ。それが成し遂げられないなら、この島で野垂れ死んだって、後悔なんてするものか!」
真剣な顔つきで彼女を見つめると、彼女は涙を止めて口をキュッと結ぶ。
どうやら俺の覚悟が彼女にも伝わったのだろう。
俺は彼女から少し離れると、ふっと口元を緩めた。
「すまねえな。どうも歳を取ると、説教くさくてなんねえや。さあ、明日は……」
と、言いかけた瞬間だった――
――チュッ……。
柔らかな感触が唇の真ん中にしたかと思うと、クリスティナの可愛らしい顔が、いつもよりも大きく目に入ってきたのだった。
それはほんの一瞬のことだったかもしれないが、俺にとっては永遠にも思えるような時間だった。
なぜなら人生で一度も、『キス』なんてしたことないんだから……。
彼女がゆっくりと離れる。
俺は情けないことに動けずにその場で固まっていた。
「……ごめんなさい。あの時の言葉の続きは全部が片付いてから、って約束を破っちゃて……」
顔を真っ赤にしてうつむく彼女に、俺はなんと声をかけていいのか分からず、ただ首を横に振っていた。
「……明日は早いんだよね。もう寝ましょ」
そう言い残して彼女は、俺から隠れるように木陰で横になっていった。
俺は目が冴えてしまって、なかなか眠りにつけなかった。年甲斐もなく高鳴ってしまった胸の動悸を必死に抑えるのに、なんと一晩中かかってしまったんだ。
情けねえったらありゃしねえな……。
そして、翌朝――
昨晩のこともあり、俺はどこか気まずい感じが抜けないが、彼女はケロッとした顔で朝食の準備にいそしんでいる。
「やっぱり俺には女心というものがよく分からん」
「ん? なに? 朝食ならもうすぐできるから、そこに座ってて!」
「ああ、ありがとな。ちょっと顔洗ってくるわ」
いつもとまったく変わらないやり取り。
だとしたら昨日のあれはいったい何だったんだ?
俺はますます混乱して、頭をかきながら近くの水場へと足を運ぼうとした。
……と、その時だった。
ありえないものが目に飛び込んできたのは……。
俺は急いでクリスティナのもとへ戻ると、大声を上げた。
「おいっ! クリスティナ!! あれを見ろ!」
「えっ!? うそ!」
俺の指差した方へ視線を移した彼女は、大きく目を見開いて口をふさいだ。
「くっそ……まじかよ……」
俺は思わず唇を噛んだ。
そして目に映っている光景に「夢なら早く覚めてくれ!」と祈り続けていた。
その光景とは……。
エルフたちが隠れている洞窟の方向から煙がもくもくと上がっているものだった――