「エリコ王より遣わされた者である! この家に外患誘致の疑いありにて取調べを行う! 疑いが誠であれば死罪は免れぬと心得よ!!」
ダビデとふたりの旅人は、衛兵が戸を叩くのを聞いた。ダビデにとっては心当たりのないことであったが、見よ、旅人たちは怯え、浮足立っている。
「あなたのところに来て、あなたの家に入った者たちを連れ出しなさい。その者たちは、この地のすべてを探るために来たのだから(ヨシュア記 2章3節)」
衛兵たちは家の中を探したが、誰も見つけることができなかった。ラハブが彼らをかくまい、屋上に並べてあった亜麻の茎の中に隠していたからである。
亜麻の山が怪しいと槍で突いた兵士もいたが、抜いた槍に血がついていないのを見てあきらめた。
「兵士の方々、お聞きください。たしかにその人たちは私のところに来ました。しかし、私はその人たちがどこから来たのか知りませんでした(ヨシュア記 2章4節)」
「その人たちは、暗くなって門が閉じられるころ、出ていきました。急いで彼らの後を追ってごらんなさい、追いつけるでしょう(ヨシュア記 2章5節)」
それを聞いた兵士たちは連れ立って出ていき、ヨルダン川の道を渡し場へと向かった。今は麦の刈り入れの時期であり、ヨルダン川は岸いっぱいまで増水していたため、川を渡って逃げるには必ずそこを利用しなくてはならないからである。
彼らが出ていくと、すぐに門が閉じられた。
「どうにかごまかしきれましたね……。皆さま、もう大丈夫ですよ」
「我々は無事だ。しかし、先ほど槍で突かれた辺りには……」
三人は、ダビデが隠れた辺りに槍で突かれた跡が残っているのを見た。
「とりあえず、何も聞かずに痔の薬をくれないか……」
ラハブとふたりの旅人は、槍がどこに突き刺さったのかを察し、ダビデが童貞の前に処女を失ったことをいっしょに悲しんだ※。
※古代イスラエルには悲しみや喜びを共有する文化があった。ご近所さんに「○○ということがあったのでともに悲しんでください(or 喜んでください)」と言って回る場面も多く、珍しいところでは「私が処女のまま死ぬことを、友達と悲しむ時間をください」というのもある(士師記 11章37節)。
「で、あの兵士どもは何をしに来たんだ。外患誘致がどうだとか聞こえたが」
薬を塗り終わると、腰を浮かして座りながらダビデは尋ねた。神の霊を注がれた戦士にとって空気椅子などたやすいことであった。
旅人たちは小声で少し話し合うと、改まってダビデに向き合った。
「質問に質問に返して申し訳ないが、ひとつだけ確認させていただきたい」
「ダビデ殿、あなたはイスラエル人ですね? 言葉にはやや訛りがあるが、顔つきは間違いなく我々と同じ民族に見える」
「でしたらお話ししましょう。私たちは、イスラエル人の指導者ヨシュアから遣わされた斥候なのです」
「このエリコを探り、攻略の方法を見つけるためにやってきました。その情報が漏れたために衛兵たちが詰めかけたのでしょう」
「おふたりを見てすぐにそうだと分かりました。神に祝福されたイスラエル人が攻めてくる、という噂はかねてより広まっており、町の人々はみな震えおののいているからです。ですからあえておふたりに味方することで、せめて私と家族だけでも助けてはいただけないかと思ってさっきはあのように……(ヨシュア記 2章9-13節)」
※住む土地を奪い合う戦争において、勝者が敗者を皆殺しにするのは当たり前の時代である。特にイスラエルの神はすべての聖絶(人命だけでなく財産まで跡形もなく破壊すること)を命じており、進路上に住む人々にとってはまさしく火の手が迫ってきているがごとき恐怖であった。
「そうだったのか……。安心してくださいラハブさん、あなたが我々に真実と誠実を尽くしたように、我々もあなたにそうしよう(ヨシュア記 2章14節)」
「……なんということだ。ラハブと聞いた時点でまさかとは思ったが、ヨシュアのエリコ攻略だと」
町がどこか活気に欠けていたのはそのせいかと合点がいきつつ、ダビデは天を仰いでつぶやいた。