神様だって大変なんだよ、神さまを労ろう
文字数 1,315文字
神様だって大変なんだよ
天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、
植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、
建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、
踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、
抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、
話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
働く者は労苦して何の益を得よう。
私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。
また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを
見いだすこともまた神の賜物であることを。
私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。
それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。
今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。
神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。
さらに私は日の下で、さばきの場に不正があり、正義の場に不正があるのを見た。
私は心の中で言った。「神は正しい人も悪者もさばく。そこでは、すべての営みと、
すべてのわざには、時があるからだ。」
私は心の中で人の子らについて言った。「神は彼らを試み、彼らが獣にすぎないことを、
彼らが気づくようにされたのだ。」
人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。
両方とも同じ息を持っている。人は何も獣にまさっていない。
すべてはむなしいからだ。
みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。
だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。
私は見た。人は、自分の仕事を楽しむよりほかに、何も良いことがないことを。
それが人の受ける分であるからだ。
だれが、これから後に起こることを人に見せてくれるだろう。(伝道者の書:3)
2019年になって、令和になって、来年五輪が東京であって、何か忙しく時間が過ぎて行く。
神様がパンパンになることはないだろうか、それは大丈夫か。しかし、一体どれだけの祈りが神様に届けられただろうか、たぶん、全てにお応えになったんだろう。受け取る人間がそれらをどう受け止めたのだろう。
神さまを労ろう。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
おしまい
天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、
植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、
建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、
踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、
抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、
話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
働く者は労苦して何の益を得よう。
私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。
また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを
見いだすこともまた神の賜物であることを。
私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。
それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。
今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。
神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。
さらに私は日の下で、さばきの場に不正があり、正義の場に不正があるのを見た。
私は心の中で言った。「神は正しい人も悪者もさばく。そこでは、すべての営みと、
すべてのわざには、時があるからだ。」
私は心の中で人の子らについて言った。「神は彼らを試み、彼らが獣にすぎないことを、
彼らが気づくようにされたのだ。」
人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。
両方とも同じ息を持っている。人は何も獣にまさっていない。
すべてはむなしいからだ。
みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。
だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。
私は見た。人は、自分の仕事を楽しむよりほかに、何も良いことがないことを。
それが人の受ける分であるからだ。
だれが、これから後に起こることを人に見せてくれるだろう。(伝道者の書:3)
2019年になって、令和になって、来年五輪が東京であって、何か忙しく時間が過ぎて行く。
神様がパンパンになることはないだろうか、それは大丈夫か。しかし、一体どれだけの祈りが神様に届けられただろうか、たぶん、全てにお応えになったんだろう。受け取る人間がそれらをどう受け止めたのだろう。
神さまを労ろう。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
おしまい