車椅子から見上げたサカダワの満月 2021年6月

文字数 5,565文字

先週の水曜日はサカダワだった。今年は5月12日の新月からチベット歴4の月、サカダワに入り、サカダワの満月が26日だった。

チベット仏教でこの日は釈尊の降誕・正道・涅槃の日。お釈迦様がこの世に誕生された、悟りを開いた、そのうえ亡くなられた日で、トリプル縁起の良い記念日だとされている。とりわけ新月からサカダワ満月までは奇跡の15日間と呼ばれ、正負に関わらずカルマも億万倍増になって、徳行を積むには絶好の期間だ、と。

26日サカダワ当日は地元のチベット仏教寺院でもPUJA、法要が予定されていた。去年はコロナのロックダウンで中止になってしまったので、今年はまた参加できると楽しみにしていたのだった。

ところが―

自宅の階段から滑り落ちて足の平を骨折するという(前回のブログで足の指と騒いでいたけれど実際には足の平の方で)とほほほ…な事故から2週間後、レントゲン検査と、翌日に整形外科医の診療があった。コロナ禍を受けての電話診療だったので、私からはレントゲン写真は見ることができなかったのだけど、診断はこうだった。

順調に回復しているので、ムーンブーツの着用と松葉杖は必要だが、これからは右足を地面に着けて歩いても構わない。それからムーンブーツで踵の関節が固ってしまうのを防ぐために日に20分ほど踵を上下に動かしたり、4、5回、踵のエクササイズをするように。それから医師はさらりと言ったのだった。
「では、4週間後にまたレントゲン検査を受けてください」

「4週間後…ですか?」と思わず聞き返してしまった。

GP(オーストラリアのホームドクター)は、4週間だけ安静にしていれば自然に治る怪我だ、と言っていた。だから4週間経てば普通の生活に戻れるのだと思い込んでいたのだ。あれから2週間が経ったのに、更に4週間・・・?

「そうです、4週間後に。その結果次第ですが、それで大丈夫だという保証はありませんからね。念のため。とにかく、お大事になさってくださいね」

つまりそれは…それから更に数週間ってことも…!?

動揺しつつ、その2週間前に、救急病院で聞いた医療機器の店にシャワー用の補助椅子を借りに寄ったときのことを思い出していた。

その店は、夫の病状が悪化して入退院を繰り返していたころに介護用ベッドを借りに行った店だった。ちょうどそのベッドが家に届くとき、夫の主治医から電話で「Your husband is dying」と告げられたのだった。

その同じ店で今度は自分の医療補助器を借りる。複雑な思いで、友達と松葉杖に支えられ店に入ろうとしたら、店先を年配の夫婦が塞いでいた。二人はスタッフから医療機器の説明を受けていたのだけれど、奥さんの方がご主人の介護をされているようだった。スタッフとは奥さんばかりが話してらして、車椅子に座った旦那さんの方はただぼんやりと転寝でもしているかのように俯いてらした。

私たち夫婦も、夫がもっと長生きしていたらこんなだったのかなぁ?と、ふと思った。そのとき車椅子にプリントされた文字が飛び込んできた。
「KARMA」
カルマと、そこには書かれていたのだった。

ああ、これも自分のカルマだったのか…と、妙に納得してしまった。前日のことは不注意な事故だったと思う一方で、浄化すべき負のカルマが実ってしまったのかなぁとも感じていたから。

夫にもっとしてあげられなかったのかな…? そう思って切なくなるときがある。

だけど、してあげなかった、できなかったのは、長年の結婚生活で溜め込んでいったネガティヴな思い、負のカルマのせいだった。

結局、解決できないまま夫は亡くなってしまった。そうして私の方はそのままコロナ禍や家の洪水や、日々続いてゆく慌しい生活に追われている。

あのとき「カルマ」という言葉が天からのメッセージのようにすんなりと心に入ってきて、気持ちが少し楽になったのだった。

昨日急いで階段を駆け下りたりしなければこんなことにはならなかったのに、一瞬の不注意のせいで…。心のどこかでそんなふうに自分を責めている自分がいた。でもそれが、もっと深いところからくる問題だったとしたら…。

仕方ないかって、あきらめもつくような。この際しっかりと受け止めて問題を解決しよう、とさえ思えた。こんな気持ちさえ湧いてきたのだった。

ああ、これで、癌の末期を迎えて辛かっただろう夫の気持ちにもっと寄り添えるのかもしれないなぁ。今更、彼の助けにはならなくても。自分の癒しにもなるのかもしれないなぁ、と。

夫の癌が見つかったのもちょうどこの時期、サカダワのころだった。あれから4度目のサカダワを迎える。

そんなことを思ううち、心がす~っと静かになっていったのだった。

あのときは4週間が経てば、松葉杖や車椅子から解放されるのだと、サカダワの1週間前にはまた普通に歩けて、車の運転もできるようになるのだと思っていた。だけど蓋を開けてみればサカダワが終わってからも車椅子生活は続く。4週間のリトリートだと腹を括っていたのが6週間になってしまった。それどころか更に延長・・・なんてこともありそうだった。

子供たちのことを思えば不憫で堪らなくなるけれども、仕方ない。幸い家でできる仕事をしているし、去年コロナ禍のロックダウンでオンラインの生活にも慣れたし、なんとかなる。自然にそう思った。

シャンティディーバも、ダライラマ法王も言っているではないか。

 その問題に解決策があるのなら、
 解決すべく努めればいい。
 何もできることがないのであれば、
 思い悩むことに何の益があろうか。

そうだ、落ち込んだからと言って6週間が4週間になるわけでもなし…。とにかく自分にできることをしてゆこう。

考えてみれば功徳倍増の行の月、サカダワの時期にリトリートを延長できるのだからDharma Practitioner、仏法行者としては幸運だナ。車の運転とかいろんなことができないぶん、いつもより行の時間も多めに取れるだろう。幸いチベット仏教寺院は家から歩ける距離にあるのだから、サカダワの法要には車椅子で行けばいい。

車椅子生活になってから2階にある自分の書斎には上がれないので、1回のダイニングキッチンの隅に瞑想をしたり行をするためのささやかな祭壇をつくっていた。これからはもっとそこで過ごす時間を増やそう。

まだサカダワ入りはしていなかったけれども、翌日からDharma仏法の本を読む時間も増やすようにした。

そうそう、そのころ読んでいたLama Thubten Yeshe師の法話本『チベット仏教のエッセンス』(『THE ESSENCE OF TIBETAN BUDDHISM』)に、前回のブログで触れた「空」の用語解説があった。とても明確に記されていたので自分のつたない訳と一緒に書き留めておきます。

「Shunyata―Emptiness
The absence of all false ideas about how things exist;
specifically, the lack of apparent independent, self-existence of phenomena.」

「シュンヤタ―空
万物がいかに存在するかということに関して、とりわけ現象がそれ自体で独立し独自に存在しているというような、誤った見識が全くないこと」

ちなみにラマ・イエシェ師は、セラ寺で勉強をされて、59年インドに亡命した後、チベット大乗仏教を西欧諸国に広めた高僧。残念ながら84年に亡くなってしまったので、私はでしかお目にかかれたことはないのだけれども。

話を元に戻すと、そのころには怪我のお陰で、それまでは考え事をしながら上の空でこなしてきた日常の所作もいちいち注意深くするようになっていた。当初の目的だった「マインドフルネスな生活習慣」はまた身に付きつつあったので、「Rejoyce!」Joyous Effortに焦点を置くことにした。

Joyous Effort精進波羅蜜は、6 Perfections六波羅蜜の一つ(ちなみに残りの五つは、Generosity布施波羅蜜、Morality持戒波羅蜜、Patience忍辱波羅蜜、Meditative State禪定波羅蜜、Wisdom般若波羅蜜)。精進波羅蜜は他者や自身の良いことを喜び徳行を精進してゆく行なので、なかでも最もやり易い行だとも言われている。

足の平を骨折をしてから、シャワーを浴びるのも、料理をするのも、オーストラリアのどでかい食洗器から食器を取り出すのも、何をするのも一苦労。とにかく時間がかかってしまう。そんな自分には万事を徳行と考え実践して喜ぶJoyous Effortはまさにうってつけの行なのだった。なんであれ菩提心から行えば徳行になるのだ。いちいちストレスを感じるのではなく、できたことを喜ぶ。やり遂げた自分を褒める。

例えば床に直置きしたフロントロード式の洗濯機でもたもたと洗濯をするときには、始める前に子どもたちのためにとか利他的な動機付けして、作業中はうっかりバランスを崩して転んだりしないようにマインドフルネスな姿勢で取り組み、作業後は功徳を廻向する。そうしてできたことを喜び、続けるように努めた。

功徳を廻向するときは大乗仏教的に一斉衆生を思い、それから、夫を思った。どこにいようとも幸福であるように、と。長いこと会えずにいる日本の両親のことも。

まあ、実際には時間に追われて(というか、時間がないという慢性的な思い癖のせいで)、ついついスルーしてしまったり、忘れてしまうことも多かったけど…。

それでも続けてゆくうちにストレスは減って、心は軽くなっていった。自分や他人の行為に関していちいち批判的なエゴの心を黙らせて、もっと健全でやわらかい生活習慣に近づくことができたのだった。

加えて、右足を地面に着けて歩けるようになって、行動の幅がぐぅ~んと広がっていた。やはり1本足に松葉杖でバランスを取るのは難しかったのだ。ああ、バランスってなんて大切なんだろう。

ムーンブーツが足の平の骨折の治療にいかに重要であるかも実感した。足の平より何周りも大きな靴底がしっかりと保護してくれる。靴底のつま先部分など指先から5、6センチもあるのでうっかり何かに足をぶつけても傷つけてしまうこともない。靴の踵部分が異常に重たくなっているので、歩くときも自然地面につくのは踵の方で、指の方には負担がかからないようになっている。

このムーンブーツを履いた右足も大地に(つーか、床に)つけるようになって、洗濯や料理も以前よりぐぅんと楽にできるようになった。娘に頼んだり手伝ってもらうことも減って、徐々にまた自分でこなせるようになっていったのだった。


サカダワの満月はスーパームーンだった。

ビクトリア州ではコロナのコミュニティ感染がほぼ3か月ぶりに確認されて、ちょうど規制も始まったので、チベット仏教寺院で予定されていたサカダワ・プージャの開催も危ぶまれたけれど、無事に催された。

お天気も良かったので、子どもたちと一緒に歩いて、というか車椅子で行った。思えばこんなに近いだなんて、なんて幸運な偶然だろう。ここでも、Rejoice! 喜ぼう。

心に菩提心を灯し、サカダワ法要に参加してこよう。車椅子でも、コロナ禍でも、参加できる自らの幸運を喜んで、感謝して。最近ではJoyous Effortも生活にまた習慣化しつつあるのだった。

満月の夜空の下を、中学生の息子に車椅子を押してもらって、大学生の娘に松葉杖を持ってもらって、ゆっくりと歩いた。

「見て、すっごい満月だよ」と通りで息子が足を止めた。

屋根屋根の上にぽっかりと、大きな丸い月が浮かんでいた。墨色の夜空に、月は白光を放っているかのように輝いていた。

「今夜はスーパームーンなんだよ。11時ごろには皆既月食も見られるらしいよ」と、私。

暫く立ち止まって、家族三人、夜空に浮かぶおっきなまるい月を眺めていた。

寺院のゴンパ、瞑想場ではすっかり法要の準備も整っていた。センターはコロナ禍で1年以上閉まっていたので、久しぶりに会う人も多かった。懐かしい友人たちと、毎週のように会っている友人たちと一緒にサカダワを祝える幸運。ゲシェや僧侶、尼僧たちと法要を営める幸運を祝う。
またまた、Rejoice!だ。

サカダワ・プージャは2時間ほどだった。例年ならその後に続く社交的なイベントもなく、マスクを着用してソーシャル・ディスタンスを保っての法要だったけど、去年はコロナ禍のロックダウンで中止されたことを思えば、なんて有難いんだろう。私など、土足厳禁のゴンパでムーンブーツ履いたままだったし、五体投地もできなかった。それでも全うできたのだから、精一杯喜ぼう!

帰り道、夜空を見上げれば、既に皆既月食が始まっていた。来るときにはスーパームーンだった満月がもう半月になっていた。

その無常さ、神秘的な、宇宙的な美しさに、また立ち止まって見惚れていた。

「このままず~っと眺めていたいねぇ。なんだか今夜はず~っと歩いていたいねぇ」と、息子。

「何言ってんの、あんた明日も学校でしょ。もうこんな時間なんだから、とっとと帰って寝なくちゃだめよ」と、現実的なお姉ちゃん。

サカダワの夜―
子供たちに車椅子を押してもらって一緒に見上げた月を、きっと自分は生涯忘れることはないだろうなぁと思った。


翌日、ビクトリア州政府は新たな4人の感染を受けて1週間のロックダウンに入ることを発表した。4度目のロックダウンだ。

それでも日々は続く。

その夜も丸い月を探したけれども、見えなかった。

見えないけれどもそこにある月に、世界中の人々を苦しめているコロナの一日も早い終息を祈った。

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