3章―1
文字数 3,596文字
新たな[家族]、ラウロが加入した翌日。彼は宣言通り、謎に包まれた出稼ぎに出発した。『仕事』は一日かかる、と言われていたこともあり、その日は帰って来なかった。不安は募り、いつも騒がしいモレノや双子でさえ無口になる。
そして翌日の早朝。朝食の準備中、突然ドアが開いた。
「……ただいま」
アース達は驚愕する。全身泥塗れのラウロが、ドアの淵に寄りかかっていたのだ。彼は懐から札束を取り出そうとして体勢を崩し、その場に倒れてしまった。
「ラ、ラウロッ⁉」
ノレインはラウロを優しく抱き起こす。彼は僅かに苦笑しつつ、椅子に腰を下ろした。
「すみません。ここでぶっ倒れるなんて、俺もまだまだか」
「ラウロ、いったい何があった?」
「ちょっと油断しただけですよ。大丈夫、もう何ともねぇですから」
何ともなくはない、とアースは思う。倒れるまでぼろぼろになる『仕事』だとしたら、命を落とす可能性だってあるのだ。案の定、メイラが恐る恐る訊ねた。
「あなたの仕事って、そんなに危険なものなの?」
「っ、違いますよメイラさん。事故に巻きこまれたんです」
ラウロは一瞬声を詰まらせ、力なく笑った。彼は右手の甲をこちらに差し出す。その肌には傷ひとつないが、よく見ると、袖辺りには血がついていた。
「工事現場を通りかかった時、鉄骨が降ってきて右手が潰れたはずでした。でも、退かしてみたら何ともなかった」
ラウロの[潜在能力]は、『治癒能力が高い』こと。どのような重傷でも元通りになる、というのは本当だったらしい。
「この[
「……分かった」
ノレインは苦々しく了承する。メイラはすかさず反発し、夫に詰め寄った。
「ちょっとルイン、今日みたいなことがあったらどうするのよ!」
「私だって本当は行かせたくない! だが、私達が止めても、彼はきっと行くだろう」
ラウロは否定することなく黙りこんでいる。彼とは[家族]になったばかりだが、頑固な性格だということはアースにも伝わっていた。ラウロは相変わらず『仕事』の内容を言おうとしない。きっとメイラの言う通り、危険な現場なのだろう。
ノレインは両手でラウロの肩を掴み、窘めるように労った。
「仕事に行く時は充分気をつけてくれ。あと、[家族]全員が君を心配していること、絶対に忘れるんじゃないぞ」
ラウロは目を潤ませ、深々と俯いた。
「ルインさん、皆、……ありがとう」
感謝の言葉であるにも関わらず、その声には何故か辛さが混ざっていた。もしかすると、ラウロは『仕事』を続けたくないのかもしれない。アースは無意識に思ったが、「朝ご飯にしよう!」というノレインの一声で、場の雰囲気は一気に明るくなった。
ラウロも勢い良く顔を上げる。彼の目は輝いており、朝食のことで頭がいっぱいのようだった。
資金問題はとりあえず解決し、[家族]は近くの町でラウロの服やら食材やらの調達を済ませた。
ラウロの稼ぎは予想以上に良く、国を跨いだ長距離移動も可能なほどだった。彼は遠くに行ってみたいと希望し、モレノや双子も一緒になって騒ぎ出す。よって出立前に、再びこの荒地で公演することになった。
「とりあえず今日は練習。明日はテント設営とリハーサル。そして明後日が本番だ!」
ノレインが計画を発表すると、[家族]は大いに盛り上がる。だがラウロはひとり戸惑っており、ゆるゆると手を挙げた。
「あのー、俺は何をすればいいですか?」
「あっ、忘れてた! でも何とかなるでしょ!」
メイラは開き直って笑い出し、ラウロは床にずっこける。すると、モレノが質問を返した。
「ラウロさん、何かやりたいことはあるんすか?」
ラウロは「特にねぇけど……」と悩んでいたが、何かを閃いたようだ。体を揺すってくるモレノと双子を振り払い、彼は恥ずかしげに顔を赤らめた。
「俺、道化師になってみたい。かも」
――
本番当日。乾いた風景に佇む赤と黄色のテントに、次々と客が流れてゆく。彼らを煽動するのは赤と黄色の『道化師』。衣装を身に纏ったラウロだ。
「さぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! このサーカスはなんとタダ! 皆さん、タダはお好きでしょう?」
ラウロは元気良く、陽気な笑顔でくるくる回る。彼に目を奪われた人々は車の進路を変え、テント近くに次々と停車しているようだ。
アースもラウロと共に、テント前で呼びこみをしていた。出番は最後であり、呼びこみが済んだ後に着替えても間に合う。という理由だったが、この様子だとラウロ一人でも大丈夫だったのではないか。と薄々思っていた。
アースは彼を見上げる。黄色地に赤いワッペンが散りばめられた、奇抜な帽子とジャケット。足の部分が膨らんだ赤と黄色のズボン。顔の派手なペイントは、彼の美しい顔立ちを見事に隠している。
だが、薄茶色の長い髪は帽子に仕舞いきれず、ツインテールにしている。そのせいもあり、どの位置から見ても女性道化師にしか見えなかった。その証拠に、彼の周囲にはナンパ目的の男性が群がっている。
アースは衣装作成に取りかかる前のメイラの言動を思い出す。確か『おもいっきり可愛いデザインにするから覚悟しなさい!』だったか。
ラウロは「俺は男だ!」と叫びながら彼らを振り払っている。アースはその様子を見て溜息をついた。ラウロの主張は残念ながら全て流されており、もはや健気な女性のように見えてきた。
銀色のキャンピングカーに視線を移すと、モレノと双子のにやけ顔が窓に映っていた。すると、ようやく解放されたらしいラウロがアースの目線に気づいてしまった。
「あっ、あいつらめ……!」
白くペイントされた顔が心なしか赤く見える。アースが止める間もなく、ラウロは怒声を上げて駆け出した。
彼が戻って来たのは数分後であり、その表情は実に晴れやかだった。アースは恐る恐る窓を確認するが、そこにいたのは変わり果てた三人だった。
「ラウロさん、いったい何やってきたんですか……?」
ラウロも窓を一瞥する。しかしすぐに目を逸らし、意地の悪い笑顔を見せた。
「あぁ、あいつらをボコボコにしてやっただけだよ」
少々やり過ぎでは、と思う半面、モレノと双子は最近事あるごとにラウロを弄り倒している。彼らの背後にいるメイラでさえ、呆れたように首を横に振っている。これに懲りてくれたら良いのだが、顔の腫れ上がった三人はまだこちらを見ていた。
「あいつらは放っとこう。それより今は呼びこみだ」
アースはラウロに促され、窓から目を離した。開演までまだ時間がある。アースは精一杯声を張り上げ、ラウロも再び沿道に出た。
「さぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃ……」
だが突然、ラウロの動きが止まった。その目は前方にある何かを捉えているようだ。アースもその方向を見る。ラウロの視線は、犬と猿を従えた金髪の少年を追っていた。
――
テント中にスウィートの断末魔が轟く。「火の輪くぐり、今日もだめだったか」とぼんやり思いながら、アースは舞台裏で体を慣らしていた。
「アース……おい、アース? どうしたんだよ?」
「あっ。ごめん、ぼーっとしてた」
アースはモレノの呼びかけで我に返る。心配そうなモレノの顔は、相変わらず腫れ上がっていた。今の彼が舞台に出たら、客席は大騒ぎどころではなくなるだろう。
「しっかりしろよ。演技の途中で寝たらみんなに笑われるぜ!」
モレノはアースの頭をぐりぐりと撫で、舞台袖に向かった。アースは腕の筋肉を伸ばしながら、呼びこみ中の出来事について考えていた。
あの金髪の少年は、よく見ると少女だった。彼女の背はアースより高く、ラウロより低い。モレノよりも年上に見えたことから、十代後半だと思われる。赤い半袖Tシャツと黄色の短パン、そして右耳に赤いイヤリングを着けていた。
また、一緒にいた犬は険しい顔をしたブルドッグで、猿は黄色の毛と長い尻尾が目立つ見たことのない種だった。彼女らは呼びこみをする自分達の横をすり抜け、テントの中へ姿を消した。きっと今も公演を観ているはずだ。
だがアースは少女逹のことよりもむしろ、ラウロの様子が気になっていた。彼の目線は完全に彼女を追っており、しかも「何でここにいるんだ?」と言わんばかりに困惑していたのだ。
ラウロと少女は知り合いなのか。問いただしたかったが、彼は慌てたように『道化師』の役割に戻ってしまい、聞くことは叶わなかった。
アースは更に思いつめるが、突如聞こえた観客の笑い声に驚き飛び上がった。
舞台袖から覗くと、観客は皆何かを指差して笑いこけている。アースは大体予想がついていたが、念のため舞台を確認する。『原因』はやはり、モレノだった。
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