第3話:魔法が無い世界から来た。

文字数 4,719文字

 魔女コリンは、漸く椅子に腰かけ、茶を飲み始めた。しかし、その視線は変わらずテーブル上に並べてある工具へと向けられていた。
 このままミザリイと三人で、この魔導具化した工具の調査に入るのだろうと、おれは思っていたのだが……。茶を飲み終えたミザリイは、すうっと音もなく立ち上がり、棚からローブを取り出し静かに纏った。そして、鍔の広い帽子を手に取る。
「あれ、ミザリイ、何処かに出掛けるのかい?」
 そう訊ねると彼女はこくりと頷き「これからマグナラタンへ行ってくる」と言い、扉まで床を滑る様に歩いた。
 スケートの様に滑っている訳では無い。しっかりと足を上げて歩いている、けれど滑っている様に見える。不思議な歩き方だった。
「マグナラタンに……?それって、もしかして、おれ絡みの件でかい?」
「ああ、そうだな。貴様絡みの件でだ。異世界から来た貴様が何故魔力疎通が出来るのか。貴様の所持品が全て魔導具化してしまっていて、それがどの様な効果を有しておるのか報告に来いと、師匠から引っ切り無しに催促が来ておる」
 ミザリイはそう言い、おれには背を向けたまま、溜息を吐いている様だった。
 魔女は支配域の管理や勉強で忙しいと聞いているだけに、申し訳なく胸が苦しい。

「報告に来いって言ってもさ、今からコリンが調査するんだから、効果とかはまだ分からないだろう?」
「そうだな。それ故に私はその旨をありのまま師匠に告げにゆく訳だ。それ以外にもありとあらゆることを根掘り葉掘り問い質して来るであろう。いっそ、貴様を連れて行った方が楽だと思えるくらいにな。さて、では、私は出掛ける。コリンは暫くはそこから動かんだろうから、貴様は適当に相手をしてやってくれ。夕暮れ前には戻って来れる、筈だ――」
 そう言うと、ミザリイは帽子を目深に被り家を出て行ってしまった。
 部屋は静寂に包まれた。時折、隣りに座る栗毛の魔女がぶつぶつ呟く音と、外から小鳥の囀りが聞こえるくらいの静けさ。
 暫く、コミュニケーションを取らずに放っておいた方が良いのだろうか?
 彼女が何か喋りかけてくるまで、おれはじっとここで待っていればいい?
 恐らく百歳オーバーで些か変人っぽいとは言え、美人な女性と二人きりでいるのだから、もう少しテンションが上がってもいい筈だが、中々気分がハイにならない。
 いや、気分がハイどころか、若干心は曇天模様だ。
 これなら表情が希薄でも話し相手にはなってくれるミザリイと一緒にいた方が百億倍はマシだなと思えてしまう。いなくなってから、金髪美少女魔女の尊さに気が付いてしまった。そしてまたおれは改めて、ミザリイに召喚されて本当に良かったと思うのだった。

 ミザリイが出掛けてから三十分が経過した。
 その間コリンは完全に自分の世界へと入り長考状態。おれは彼女が話しかけてくるのを待ちくたびれてしまったので、部屋にある茸や薬草の類を手に取り匂いを嗅いだりしていた。
 一時間待って何もなければ、家の周りを散策でもしてみようかなと思い窓の外を眺めていると、漸くコリンが声を掛けてきた。
「――少し、聞きたいことがあるのだけれど、いいかな?」 
 彼女は依然工具をガン見した状態。おれには一瞥(いちべつ)もくれない。が、声を掛けられ、おれはそれだけで嬉しい気分になってしまっていた。
「ああ、いいよ、なんでも聞いてくれて」おれはそう言い、彼女の隣りの椅子へと腰掛けた。
「まず、この道具をここに並べたのはキミかい?」
「いや、おれじゃない。目を覚ましたら並んでいた。ミザリイが並べてくれたんだと思う」
「そうか。キミはこちらの世界に来てから、これらの道具に触れたことがある?」
「いや、まだない。赤い工具箱には触れたけど。その時に工具箱が勝手に開いて、中から火が溢れて爆発したみたいになって……」
 今思い出しただけでも背筋が凍るような、鮮明な火の映像が脳裏に浮かび上がる。
 おれは思わず身震いをした。

「では、私が、これらの道具に触れることを許可してくれるかい?」
「勿論、それに関しては、コリンが調査しやすい様に取り扱ってくれて構わないよ」
「そうか、では、失敬するよ……」
 コリンはそう言って、テーブル上へと手を伸ばし、一番右端にあるコンビハンマーを手に取った。
 打撃部の片方が白い樹脂製でもう片方が鉄製。使い勝手が良く、同じ物をおれも自前で持っていた。
「これはさ、釘を打つ道具じゃないか?あと鍛冶屋にも似た様な道具があったな」
「ああ、そうそう!コンビハンマーって名前なんだけど、恐らく金槌って言った方が上手く伝わると思う」
「そうか、異世界でも似た様な用途という訳だね。しかし、こちらの白い素材……これは一体なに?」
 彼女は白い樹脂側を手に触れてそう言った。
 そうか、こちらの世界にはまだ合成樹脂……プラスチックがまだ生み出されてないのか。
「その白い部分は、プラスチックっていうんだけど。石油を原料にして作られた物で……」
「んん?すまないけど、もう少し分かりやすく説明できるかい?」
「ああ、そうか、石油じゃ伝わらないのか。えーっと確か、昔の人は……あ、燃える水!この世界にもさ、地面から溢れ出てる黒くてドロドロした火が点きやすい水があるんじゃないか?」
 その説明で、彼女はぴんと来た様子で、久しぶりにおれの方へ顔を向けてくれた。
 化粧っ気も飾り気も全くないが、すっぴんでも美人は美人だ。見詰められると気分が浮かれてしまう。

「ちょっと待って。この白い部分の原料が燃える水?それって、錬金術か何かで錬成するってことかい?」
「うーん、なんて言うか錬金術を発展させた技術って感じなのかなあ?ごめん、この世界の錬金術がどういった技術なのか分からないから、断言は出来ない。おれもそこまで詳しくは分からないけれど、燃える水を蒸留したり分溜して、他の物質と掛け合わせて、最終的には熱で柔らかくして型にはめ込んで成型すると思うんだけど……」
 暇な時にネットで見た知識程度の説明しか出来ない自分を苦々しく思う。
 異世界に来てまで、もっと色々勉強しておけば良かったと思い知らされるとは……。
「燃える水を蒸留、分溜して……か。なるほどね、その話を聞く限り、やはり錬金術の応用と言ったところかな。しかし、キミがいた世界は実に興味深いね。この鉄にしても、これ程美しく仕上げてある物は見た事が無いよ。その他の道具も、皆一様に素晴らしい出来栄えだし。一体、私たちの世界はあとどの程度時を経れば、ここまでの技術を有するに至るのだろうか?」
 コリンは少し寂し気な表情を浮かべている様に見えた。
 この技術の差は、正直な話、百年二百年で埋まるものでは無い。産業革命や様々な技術の発見と革新が無ければ千年経とうが一万年経とうが、どうなるものでは無いから。

「コリン?これは、おれの世界の話なんだけれど。参考程度に聞いて欲しい」おれがそう告げると、彼女は顔だけではなく、身体もこちら側へと向けた。
 そして、真剣な眼差しを湛え、一度頷く。
「この世界に、暦ってあるかな?」
「暦?あるよ。現在は聖歴七六二年の八の月。魔女はあまり使わないけれどね。一般的には聖歴を用いている」
「そうか。おれの世界にも西暦ってのがあってね。こちらの世界に召喚された時は西暦二〇一九年だった。おれがこの世界に来てからまだ幾何も経って無いけれど、ミザリイやコリンと会話をして感じた文化水準からすると、恐らく、早くてもあと千年は掛かるだろうと推察するよ。ここに並べてある工具類と同等の物を生み出すに至るまではね」
 それを聞き、コリンは大きく目を見開いた。何百年を生きる魔女でも千年という時間は、あまりにも長いということか。
「早くて、千年……ということは、現実的に見ればもっと多くの時間を要するという事かな?」
「そうだね。そうだと思う。この世界には魔法っていう便利な技術があるから。おれのいた世界には、魔法が無いからね。人間が自然に抗い生きて行くには、日々技術を革新するしか道が無かったんだよ。多くの優秀な人材がそのために人生を捧げてきた。しかし、この世界はそうじゃないだろう?魔法とか錬金術とか便利な技術があるから、優秀な人材はそこに流れるし、自然の驚異に対する抗い方も、おれがいた世界とは全く違う筈。それを考えると、この世界の千年後は、おれがいた世界とは全く違う風になっていると思うから……」
 
 元いた世界で、何を成しえた訳でもないおれが、只々能書きを垂れる。それを俯瞰で見て、おれは自らに辟易としてしまった。
 例えば、これが異世界召喚や転生では無くて、過去へのタイムスリップだったとしても、おれはご先祖様たちに対して似た様な能書きを垂れていたと思う。
 それを、魔女コリンは真剣な眼差しで固唾を飲み聞いてくれていた。
 彼女は恐らく、ミザリイよりもこの世界とおれの世界の差を認識しているのだろう。
「――たしかに。それはキミがいう通りだと、私は思う。そうか、魔法が無い世界から来たのか。魔女である私からすれば、魔法の無い世界を想像するのは少し難しいことだよ。と、この件に関してはいずれまた語るとして。今はこの金槌について私の検知を述べても良いだろうか?」
 そう言い、コリンは一旦テーブルに置いていたコンビハンマーを手に取った。
「え、もう何か分かった事があるのかい?」
「ああ、そうだね。少し調べてみた結果なのだけれど。この金槌には、光と闇の属性が共存してるんだよ。魔法の無い世界から来たキミに、この意味、分かるかな?」
 そう、おれは魔法の無い世界から来た。しかし、魔法に関する知識は有してしまっているのだ、ゲームや小説や漫画やアニメなどから。
「意味は大体分かるよ。もしかして、だけど、光と闇は反属性だから、ひとつの魔導具に共存しているのは珍しいってことかい?」
「え!?すごい!ご名答!ちょっと、なんでそれ分かっちゃうのさ?」
 コリンのテンションが明らかに上がった。漸くおれにも興味を抱いてくれた様な感じがする。

「ああ、なんて言うか、おれの世界には魔法はないけど、その概念を記した本は沢山あるんだ。だから、大昔は魔法があったのかもしれないね。おれが生きていた時代には廃れてしまっただけなのかもしれない」と、今はそう答えてみた。
 おれの世界のファンタジー文化について説明し始めると、無駄に時を過ごしてしまうことになるだろうから。
「へえ、そうなんだね。そうなると益々キミの世界は興味深い。魔法が廃れてしまった原因を、私たち魔女は知るべきだと思うからさ。と、それはさて置き、今はこの光と闇の金槌。反属性をひとつの魔導具に付与するのは極めて高等な技術なんだ。正直な話、現代では不可能な技術。極々稀に太古の遺跡などから発掘されるだけの代物なんだよ。有名なところではアンヌヴンの塔とかね。そこですらも、かなり希少な代物……」
 彼女はそう言い、コンビハンマーをおれへと差し出してきた。
「え、何?おれが触れていいのかい?魔力制御とか全然出来ないんだけど?」
「うん、それはミザリイから聞いてるよ。だから手に取るのでは無くて、指先で少し触れてみて欲しい。何か異常を来した時は……いや、流石にこれを室内で行うのは不味いかな。よし、少し外に出てみようか?」
 コリンはそういうと、ばっと勢い良く立ち上がり、バタバタと外へと飛び出て行った。


 
 
 
 
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