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文字数 1,005文字
煤けた赤煉瓦の建物群が、通りに沿って、僅かな隙間さえ埋め尽くすように軒を連ねている。じわりと闇に滲むガス燈の光と、建ち並ぶ店のランプの灯りが、混じり合い、重なり合い、夜の底へと滴り落ちていく。数多の人々が行き交う、喧騒が飽和した初冬の空気は、夜が深まるとともに濃縮し、ゆるやかに吹き抜ける風に攪拌された睦言や嬌声が、甘く、温く、まとわりつくように流れていく。
首都オリュンポスに隣接する歓楽特区アフロディテ。その末端に位置する小さな街区の片隅に、子供が一人、蹲っていた。穴のあいた靴、薄汚れた上着に、ぼさぼさの髪。年は十五に届いていないだろう小柄な少年だった。道行く人々は、子供に一瞥を投げかけこそすれ、声をかけることはなかった。この界隈で働く誰かの子供かもしれない。親の仕事が終わるのを、じっと待っているのかもしれない。いずれにしても、ここは子供が来るべき街区ではない。そのうち巡回中の警備隊が見つけて、しかるべき場所へ連れていくだろう。そんな共通認識で、人々は見て見ぬふりをつづけていた。
「迷子かな?」
ひとりの男が足を止めた。上等な外套に身を包み、女と腕を組んでいた。店から出てきたばかりなのだろう。緩く巻いたマフラの隙間から、寛げた襟元が覗いている。上気した頬。吐く息には、甘いアルコールの匂いが溶けている。女は露出の多いワンピースの上に、フェイクファの上着を羽織っていた。子供を見て、少し眉を顰めたものの、客である男を止めることはなかった。ただ先を急ぐよう促すように、組んだ男の腕を軽く引き寄せた。
「……ア……」
子供の肩が、びくりと震えた。伏せていた顔が、ゆっくりと上がる。ゆらめくガス燈の炎の下、苦しげに歪んだ子供の面持ちが、あらわになる。
――タスケテ。
フッと空気が波打った。子供の口から放たれた、絞り出すような掠れた声を、男が聞くことはなかった。耳に届く前に、男の頭は首から切り離されていた。傍らの女と共に。
辺りは一瞬、水を打ったように静まり返った。一秒、二秒、三秒……やがて、街区を満たしていた喧騒が、嬌声が、一斉に悲鳴へと置換されていく。
波紋のように広がる、硝子の割れる鋭い音。煉瓦の砕ける鈍い音。その下を、まるでメトロノームのように刻む、軋む機械の歯車の音。
そしてそれも、すぐに止んだ。
ガス燈の光も、店の灯りも、人々の声も、消えて、後には、引き裂かれた死体の残骸だけが残った。
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