第1話 置手紙。著者の半生と思想について

文字数 2,584文字

 私は終わる。そう遠くない未来で死ぬ。
 明日死ぬのであれば、大切な者達に挨拶して死を迎えよう。そして、この手紙をあなたに託すのだ。
 明日、世界が終わるとしても私のやることは言葉の種を蒔き続けることしか出来ない。
 だから言葉の種を受取って欲しい。
 そもそも私は長くは生きないだろう。
 私は病で死ぬのではない。私の病は精神的なものであって肉体の死と直結していない。だが、心は死に向かっている。
 私は愚か者でどうしようもない。賢くもない、優れたところなどない。ただ黙々と仕事の傍ら聖書の研究に幾らかの日々を費やしている。
 そもそも「神がおられるなら何故我々の不条理に黙されるのか?」と言う問いを延々続けている。
 私の生を知って頂く為にこれを読まれる方々に少し御時間を頂戴したい。
 私の生とは虚無だ。凡そ子どもの頃の記憶がない。最近は記憶障害も加わって日々の出来事すら思い出せなくなっている。憶えている限りで言えば私は弱かった。家庭では父は負債を抱え、母に逆らえなかった。私は母の追従者だった。母が怖かった。父が情けなかった。そんな子供だからこそ私の中に悪の救い主と言う考え方が生まれた。愛によって人を支えるのではなく、愛を利用して恐怖と憎しみで人々を滅ぼす救い主。無論、そんなもの許される筈がない。その思想の基に私は勉学に勤しんだ。無茶をした私の肉体は不眠症になり、心も病んだ。薬なしでは生きられない生活となった。
 そんな時、いつも支えてくれたのは犬と友だった。犬は無邪気で散歩に喜んでいく。そうすると犬を飼っている人同士多少の会話をする。犬は社会と私を繋げてくれ、無邪気さ故に私を励ましてくれる良き家族だ。遠方に行った友が励ましのメールを送ってくれたのも生き甲斐だった。
 親元を離れて私はあることを試してみたいと思った。
 愛。
 そんなものが実在するのか。ニートを幾年か経て私は遠方の学校に受かった。犬との別れは恋しかったが、私は確認したかった。自分の生まれた意味と言うものを。生まれたからにはそれなりの理由がある筈だ。そう考え教会に通いだした。
 愛。
 この意味を司る教会の神こそ最も相応しい気がしたのだ。学業と並行して私は礼拝に行き、解り易そうな神学書を読んだ。歩みは遅かった。
 卒業後、とある地方の福祉関係に就き、その後も近くの教会で礼拝に参加しながら問いかけを続けていた。
 やがて、祖父が死んだ。祖父が死んだ時、私の中には迷いがあった。祖父は熱心な仏教徒だったからだ。教会の伝統に従えば信じて洗礼を受けないものは救いに与かれない。だが、そんな悩みを打ち破る様に牧師先生は「御祖父さんは天国に行ったんだよ」と声を掛けてくれた。それまで私の勉強していたのは信仰義認と自由意志の概念だ。そこに恩寵が加わった。
 私の中に幾つもの矛盾が生まれた。ある兄弟が教えてくれた。私が自由意志の問題を主張した時、「そんなもの関係ない。全ての人は救われるんだ」と言葉を頂いた。
 幾つもきっかけがあり、私は「全てに救い」と「全てに滅び」の二つの思想を持つに至った。 私は答えを知りたかった。
「お前の人生は無為ではない。お前の人生には重大な意味がある」
 そう神に言って欲しかったのかも知れない。
 私が研究した救いとは人は死後天に行くか地獄に行くかと言う問題だった。それと並行する形でこの世界の不条理についての問題を取り組み続けたのである。
 「全てに救い」について探求したのは愛犬に救われて欲しかったからだ。古来、教会の教義では動物の救済は全て異端の領域に属するものと考えられている。だからこそ私は更に悩んだ。「全てに救い」とは神の中に存在する確実な教えなのだろうか? それとも私に与えられた教えの中でも虚偽なのか? 答えは出なかった。辛うじて使徒書簡の中に万物の救済についての事柄が述べられているに過ぎない。果たしてこの箇所は原語においてどの様な意味を成すのか私には見当も付かなかった。
 世にあって愚かな私の知性はこれに答えるだけの力を備えていなかった。だから欲深い私はこの思想をネットに投稿した。教会は神の正しさを証明する為に数百年の時間を要した。私の信仰はそれ以上に時間を要するだろう。ある者は意味がないものとして受け取り、ある者は知識の一つとして吸収するだろう。受け取った方々に解釈を任せようとした訳である。
 私は待てる限りは待とうとし、学べる限りは学ぼうとした。
 だが、私は終わる。
 祖母の認知症が重たくなり、母達の生活が苦しくなっているからだ。生活支援の為にお金を送っているが福祉関係の仕事の給与では限界がある。転職しようにも私は病持ちだ。今の福祉関係にも心に限界が来て休職してしまったことがある位だ。
 弟にも酷いことをしてしまった。未だ幼い頃、弟は必死に虐待と言う不条理に闘っていたのに私には何も出来なかった。弟から奪ってばかりだった。
 そして、愛犬ももう長くはないかも知れないと言う事実だ。もう目も見えていないし、耳の聞こえていない。歩くのも億劫だ。ただ、散歩の時に尻尾を嬉しそうに振ってくれるのが僅かに救いだ。
 父も死んだ。独居だった父は発見されるまで数ヶ月を要した。「御遺体は見ない方が宜しいかと」と葬儀社の方から言われた。
 父が死んで確信した。今の時代こそファシズムそのものなのだと。一部の権力の為に貧しい労働者が歯車の様に使われる時代なのだと。
 故に私自身にも未来はない。私は失い続ける未来に疲れた。
 だから、そう遠くない未来に私は終わる。
 だから私は「全てに救い」と「全てに滅び」の種を僅かながら蒔いた。それを色々な方々が受取ってくれた。それがどんな意味を持つのか私には予想し辛い。
 私があなたに伝えるのはこの二つの種である。
 端的に言えば、「全てに救い」とは全ての存在に死が臨んだ後、全ての存在が苦痛や悩みから解放され、天にて安息を永遠に保つことを意味する。
 端的に言えば、「全てに滅び」とは現世において全てを憎しみで破壊し全ての存在を滅することを意味する。
 将来、あなたがどちらに賽を振るのか私は地獄にて眺めている。
 或いはどちらでもない新しい道をあなたが創造してくれるのを待っている。
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