第四章(三) まずは生徒を集めるところから

文字数 2,344文字

「とりあえず中へ」と竜宝が家の中に入れてくれた。
 家の中は、ゴミ屋敷ではなかったが、やたら物があった。規則正しく並んでいるが、用途のわからない物は、(ほこり)を被っていた。
 部屋にできている狭い通路を歩いてソファーに座った。付近の古道具に監視されているようで、どうにも落ち着かない。

 竜宝が手挽きのコーヒー・ミルを出して、豆を挽き始めた。豆を挽く音が、ゆっくりとリビングに流れた。竜宝からは話しかけて来なかった。
 少し危険かもと思ったが、親に関する話題を振ってみた。
「広い家に住んでいるんだね。御両親は不在ですか?」
「はい、留守にしています」

 いたって普通に嘘を吐いた。身上調書によれば、両親は竜宝に消されている。消した自覚がないのかもしれない。もう少し、突っ込んで聞いた。
「お父さんは、今日は、どちらに」
 竜宝が「え」「あ」と困ったように吃(ども)ってから「山へ竹を取りに」と真面目に答えた。

「お母さんは?」と聞くと、「うん」「えーと」と吃ってから「姉とお城の舞踏会に」と返ってきた。
 ここまで杜撰(ずさん)な嘘も珍しい。嘘にも、隠し立てにも、なっていない。竜宝は都合の悪い内容に関しては平気で嘘を()く。その場、その場で生きている人間だ。
 やっかいな生徒ではあるが、ある意味、わかりやすい生徒とも言える。
 コーヒー豆を()き終わると、竜宝から質問が来た。

「どうして誰にも必要とされていない、私の元に、先生は訪問に来たんですか。来るだけ時間の無駄ですよ」
「教師として、竜宝が心配だからだよ」
 竜宝が険しい顔で睨みつけて「嘘ですよね」と発言した。
 竜宝は、自らの嘘にはどこまでも寛容でも、他人の嘘は建前でも許せない性格だった。

「いきなり決め付けるなよ」
 竜宝が頭を抱え、病的な口調で早口に捲(まく)し立てた。
「お父さんも、お母さんも、先生も、陸くんも、早苗ちゃんも、大切だ、心配だといって、私を置いて、皆、姿を消した。私に近づいてくる存在は、みんな嘘吐きだ。消えて。今すぐ消えて」

 最後は絶叫になっていた。竜宝の足元から、水面を進む(わに)のような存在が近づいてきた。
 逃げようにも場所が悪かった。部屋にやたら物があるので、逃げ場がなかった。物を倒せば道はできるが、倒せば物を壊す。数秒の躊躇(ためら)いが仇となった。
 近づいてきた存在が跳ねた。跳ねた相手は鰐ではなく、輪郭が辛うじて見える透明な巨大な鯰(なまず)だった。

 鯰が、口を開けた。鯰の口は、(ひぐま)でも飲み込めるほどに大きく広がった。開いた鯰の口の向こうに、大きな闇があった。鯰にひと呑みにされた。
 鯰の口に飲み込まれた先には、透明な空間がどこまでも広がっていた。明な空間の中には、これまで鯰が呑み込んだ物体が浮いていた。

 体を動かそうとしても、固まっているかの如く、動かなかった。体に流れる力の流れを意識すると、全てが停まっていた。死んではいないが、生きてもいない状態だった。
 どうにか動こうと、二時間は努力した。指先が僅かに動いた。努力を続ければ、動けるらしい。
 コツがわかれば、早く動けるようになった。

 だが、普通に動ける状態になるには、どれほどの時間が掛かるのか不明だった。もっとも、不老不死なので、時間だけは豊富にある。
 眼球を動かすだけでも大変だが、広い範囲で見渡そうと努力した。視線を動かすと、男性が見えた。
 天笠と同じく、竜宝の鯰に飲み込まれた人間だ。生存は絶望かと暗い気分になった。最後に鯰が飲み込んだ人間だとしても、一年は経過している。普通の人間は、飲まず喰わずで一年は生きられない。

 時間が気になったので、時計に目をやった。デジタル時計が一秒だけ進む光景が見えた。
 時計は一秒を刻んだだけで、動かなくなった。もしやと思って、時計を見続けると、二十分ほどで、次の一秒が動いた。
 動けない仕組みを理解した。体が動きづらくなっているのではない。鯰の体内では、時間の流れが極端に遅くなっている。動作に関する時間が遅くなっているのに、意識に関する時間が変わらない。なので、動けなかったと誤認していた。

 仙人の歩き方を応用して、鯰の体内を泳ぐように移動してみようと試みた。
 中々、上手くいかず、体感で一日を費やした。それでも、ゆっくりだが、泳げるようになった。時計で時刻を確認した。
 時刻は一分と少しか進んでいない。考えが正しければ、現実で三年が経過しても、鯰の体内では一日と経っていない。

 だとしたら、竜宝が消した人間を助けられるかも知れない。
「問題は、ここからどうやって出るか、だな。どこかに出口があるといいんだけど」
 空間を犬掻きで泳ぎながら、出口を探した。
 冥府と現世を繋いでいる物と同じ、空間の歪みがあった。外に出られるかもと思って、顔を出すと、実家の仏壇の前に出た。

 なんで、実家の仏壇の前と鯰の体内が繋がっているのか、不明。だが、出られる状況は理解した。
 後は、鯰の体内に取り残された人間の救助。果たして、鯰の体内にいる人間を腕尽くで引っ張り出していいか、迷った。

 時間が遅くなっている空間では、普通の速度で触れたつもりが、高速でぶつかったために、相手には怪我をさせるかもしれない。下手に救助しに行ったがために死亡したとなれば、本末転倒だ。
 仙人だからこそ、現世と冥府を行き来し、異空間から帰ってこられる。単純に引っ張り出したとして、人間は鯰の体内から出てこられるだろうか。
「助かる人間を救助時に殺したら、最悪だな。ここは一つ、秋風道人に考えを聞いてからにしよう」
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