神剣【雷煥・張華】

文字数 3,033文字

 世の中には神が宿る剣がある。
 人が魂を削って鍛えた剣には神が宿るのだ。

 私は雷華(らいか)という。州の従事をしている。
 亡き父は豊城(ほうじょう)の県令をしていた折に2振りの剣を見つけた。父は1振りを人に送り、もう1振りは自分のものとした。それは水面のような紋の浮き出た美しい剣だった。
 父が死んで私は剣を受け継いだ。あるときその1振りを携えて延平(えんぺい)の渡し場で船を待っていた時のことだった。突然その剣が鞘から抜け出て川に落ちたのだ。これは父の形見でもあるがとても貴重な剣だ。慌てて人夫に命じて探させた。

「お役人様、大変です!」
「どうした、剣は見つかったか?」
「それどころじゃありませんよ! 川底に龍が2匹絡み合っておりました。これは吉兆でしょうか凶兆でしょうか」

 何を馬鹿なと思って水面をみると、ふわふわと輪のような光が水底から立ち上ってきた。驚いて見ていると突然波がざわめき間欠泉のように沸き上がった後、ふっと光が天まで届き、そのあと水が引いてしんと静かになった。

 私も人夫も動けず驚き戸惑いしばらく見ていたが、水面が再び盛り上がることはなかった。小一時間ほどたった後、嫌がる人夫に命じて再び潜らせると、そこにはすでに剣も龍も姿は見当たらなかった。

「これが『離れがたきが合わさり、化して去る』ということか。なるほどな」
「お役人様、なんのことです?」
「凶兆でも吉兆でもなく、自然のことわりということだよ」

 人夫は私をぽかんと見ている。

「そうだな、手持無沙汰に面白い話をしてやろう。私の父は天文博士だったんだ」

 舟が来るまではまだ時間がかかる。水底を探したために乗り過ごしてしまったのだ。
 私は父を思い起こす。

◇◇◇

 父は目立たない私と違ってとても華やかな人だった。
 隆盛を誇っていた()の国が滅んだ後、張華(ちょうか)という人が父を訪ねてきた。政権の中央にいる人が何故父を訪ねるのかと思ったが、どうやら天文について詳しく、父と語らいに訪れたらしい。これは父と張華が星降の塔に上った時だ。

雷煥(らいかん)先生、南斗六星と牛飼い座の間に紫色の気が立ち上っているのが随分前から気にかかっているのです。これは凶兆なのでしょうか」
「ああ、張華先生、私も同じですよ。けれどもあれは宝剣が天に帰りたがっている兆しでしょう」
「宝剣ですか。宝剣といえば私は幼少のころ、還暦に至る頃には地位を上りつめ宝剣を手にするようになると占い師に言われていたのを思い出しました」
「さようですか。得難きことですね」
「私はその宝剣を手にできますでしょうか。あの方向はどこにあたるのでしょう」
「あれは豫章(よしょう)の豊城のあたりですなぁ。さて、宝剣というものは宝なのですよ。神に属するものであればどこに納まるかは宝剣の意思次第でしょう。私も宝剣は目にしたいものですな」
「雷煥先生を豊城の県令に任命いたします。お探し頂けないでしょうか」

 父は豊城に赴くとすぐに獄舎を調べて掘り進めた。周囲からなんの意味があるのかと随分不審に思われたようだが、13メートルほど掘った先に石函があり、そこから溢れるような光が漏れ出ていた。開くと2振りの剣が納められていた。父はこれが天に帰りたがっていた剣だと直感したそうだ。
 研磨として名高い南昌(なんしょう)の土で剣を拭い、水を張った盆で洗うと、その光輝は見るものが慄くほどになった。
 その夜、天の紫気が途絶えた。このままでは地上に出た宝剣は2振りともそのまま天に帰ってしまう。そこで父はその1振りを張華に送った。

 ある人が父に尋ねた。

「張華殿は先生に剣を探させるために県令に任命したのでしょう? 1振りしか送らないのは不義理ではないですか?」
「いや、これでよいのだよ。この2振りの剣は天に帰りたがっていた。2振りを一緒に置くとすぐにでも帰ってしまうだろう。張華先生は今大変なお立場にある。だからその身をお守りするために1振りだけお送りしたのだ。もし張華先生がお亡くなりになった時には私に残した剣もお供えして天に返そうと思っている」

 張華は政権の中枢で政変に巻き込まれ危うい立場にいた。
 その人は父に重ねて尋ねた。

「亡くなられてしまえばもう無用でしょう」
「それは違う。この剣は張華先生のものだよ。呉の季札(きさつ)徐君(じょくん)の話のように、亡くなったかどうかは関係なく、その心に従うのが正しい行いというものだ。それにこれは神剣だ。本当の神剣というものは人の手に残るものではなく、いずれ姿を変えて去りゆくものでもある」

 張華は父の気持ちを理解していたのだろう。
 その後張華は父に『この剣の紋を見て驚いたよ。物凄い神剣だ。でも片割れはやってこないようだね。まぁ神剣というものはいずれ出会うものさ』という手紙とともに、南昌の土より質のいいといわれる華陰(かいん)の土を送った。父はその土で剣を拭うと、その剣の光はより増したという。

 その後政争の果に張華が処刑されると、張華が有した剣の所在はいずこともなく失われた。父は一度は季札のように手元に残る剣を張華の墓に供えようとした。けれどもその際に剣が戦いたように感じたそうだ。これは神剣でありどこにあっても世を乱すと考え、それよりはと手元に置くことにしたそうだ。

 その父も亡くなり、今は私がその剣を受け継いだ。
 ところが剣は日増しに光を失っていった。やはり神剣というものはその所在を自ら選ぶのだろう。父が所有していたことは鞘からも光が溢れるような様子だったのに、今では普通の剣と変わらなかった。
 そして今日、不相応な私の手元を離れて片割れと一緒にようやく天へ帰っていったというわけさ。



-補足(季札挂剣)
季札が使者の途中で(じょ)の国に立ち寄った時、口には出されなかったが徐の君主が季札の剣を欲していることに気がついた。けれども季札は役目の途中でだったから、帰りに差し上げようと思っていた。
季札が役目を終えて帰途についた時には既に徐君は亡くなっていた。だからその墓に剣を捧げた。
その際に従者に「亡くなったのに誰に与えるのですか」と問う従者に、季札は『徐君に差し上げる予定の剣を亡くなったからといって差し上げないことがありましょうか。私はすでにお渡しすると心に決めていたのだから』と述べた。

◇◇◇

 茶を傾けて見渡すと、いつのまにか人が集まり、私の話に耳を傾けていた。
 潜水の駄賃をはずむと人夫は喜び、酒を買って私の隣で飲んでいた。

「へぇ、珍しいこともあるもんですね。そんなに凄い剣だったんだなぁ。勿体ねぇなぁ」
「そうだな、だがやはり人の手に負えるものではなかったのだろうよ。残念だがこれも天のご意志だ。私には剣を持つ資格がなかったのだろう」
「そういうもんですかねぇ。お役人様ってだけで立派だと思うのにな」

 人のいい人夫は延平から出たことがないのだろう。まだ若い。呉が滅び国が統一される前のことは思いもしないのだろうな。

「それじゃぁお役人様。お役人様の持っていた剣はさぞ名のある剣だったんでしょうね?」
「そうなんだ。その剣の名前はね」

 干将と莫邪。神の剣。

ー付言
原典:晋書 巻三十六列伝第六 張華伝
書く書く詐欺をしている【干将莫耶】の予告編です。干渉と莫耶の夫婦(ということにした)が神剣を作るに至るお話で、一応『呉越春秋』の闔閭内伝をベースにしている。なお、この短編集の表紙に2振りの剣が書いてあるのだけど、亀裂紋様があるのが干将で水波文様があるのが莫耶です。
鋳造剣なのでこんな形です。よくみたら亀裂紋様がうまくでていないな……。まあいいか。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み