第二話 森へ

エピソード文字数 3,804文字

森の中は、雨のせいもあってか、いっそう湿度が高く感じられた。風はなく、むっとした空気が身体にまとわりついてくる。その湿度の影響もあってか、手にしている松明の灯りは、家の前で見た時より心細く、陰りを見せている。
(そろそろあっても良いと思うんだけど)
オリビアは森に入ってから、ある植物を探していた。その植物はこのチェルネツの森だけでなく、この国にある多くの森に自生している植物で、灯りのない場所でよく重宝されているものだった。
(あった!)
オリビアは、目線の少し先に、陽だまりのように明るく照らされている場所を見つけると、ぬかるんだ地面に足を滑らせないよう、ゆっくりとその場所へ向かった。
その陽だまりは無数の光る花達によって造られているものだった。一輪一輪、花の中心が大きなホタルのように輝き、その花の光に誘われて、蛾をはじめとした小さな昆虫達が辺りを飛び交っている。それはまるで、仕事を終えて酒場に集まる人々を思わせ、とても賑わいのある光景だった。勿論、こんな辺境の地に住むオリビアは、実際にそのような光景を見たことがなく、あくまで人伝から聞いた憶測のものでしかないのだが。
オリビアは、手にしていた松明を地面に押し付け火を消すと、まだ咲きたてでひと際輝いて見える花を一輪探し出し、それを根元からちぎると、腕にかけていたあのランタンの壺のような部分に挿した。
【輝きの花】と呼ばれるその花は、受粉の季節になると、親指ほどの白く小さな花を咲かせる。名前にもあるように、その花の中心、めしべの部分を夜な夜な光らせ、昆虫達をおびき寄せて受粉し、種を作り繁殖する。
春が終わり、もう少しすれば夏が来るだろう頃に花をつけるこの植物は、ちょうど時期的に町から町へ物を売りに移動する商人や旅人達を中心に、灯りとしてとても重宝されていた。松明の灯りとは違い、熱がないのもあって火事の心配もなく、そして風で灯りが消えてしまうこともない。とても利便性が高く、この国では名の知られた存在だった。
幸い、オリビアがチェルネツの森に向かったのは、ちょうど春が終わり肌寒さもなくなってきた頃で、咲いている輝きの花はどれも若々しく力強い光を放つものばかりだった。このまま順調に育てば、その輝きは二、三ヶ月は悠に持つだろう。
オリビアは目的のものを見つけ少し安堵すると、輝きの花の灯りを頼りに、より森の奥へと足を進ませた。


しばらく、森の奥へ進む最中、火の消えた松明に、取っ手をぶら下げるようにしてランタンを使っていたのだが、やはり途中で手が疲れてきてしまった。
(どうしよう……ここに松明を置いていこうかな。帰る時の目印にもなるし)
木々の多い森の奥に来たのもあって、降りそそぐ雨も樹葉に防がれ、傘もいらなくなってきていた。オリビアは、近くに生えている大きな木の根元に、そっと松明と傘を置いた。
オリビアに“帰る時の事”という考えを取り戻させたのは、目の前の覆っていた霧が段々と濃くなってきて、少しずつ魔女に対する現実味が薄れ始めてしまったからであった。
この森の霧は、ただの水蒸気というより、まるで幾重にも重なった白い布に覆われているようだ。輝きの花でもほんの少し先までしか照らせていない。
幼少の頃、母の教えを聞かず、好奇心だけでこのチェルネツの森へ足を踏み入れた事が一度だけあったのだが、ちょうどこの霧が濃くなってきた辺りで、怖くなって急いで走って帰ってきた事を思い出した。その時はまだ昼間だったのだが、この白い霧のせいか、夜になる少し前くらいの明るさしかなかったのが、やけに不気味だったのをはっきりと覚えている。
少し先しか把握できないこの状況は、本能的に恐怖心を強く煽る。森の奥には獰猛な獣が住んでいる、と古くから言い伝えられているが、もし本当にそのような獣たちがいるのならば、この日の光も通さない濃い霧の環境に慣れていて、外の明るい場所には適応できず、この森から出ることが出来ないのではないだろうか、と思った。
足元に伸びている木の根は、地面から半分むき出し、大きなうねりを見せている。霧の向こうから伸びてくる木の枝は、人の手に見えてきた。この霧の向こうから顔が覗いて来るかもしれない……いくら母の存在が心にあるとはいえ、そんな事を考えてしまうと足が竦む。
(やっぱりこんなところにいるはずがない)
一世紀以上前の話である。グリンデの伝説は、人々が創ったまやかしだったのだ。そう自分の中で納得し、踵を返そうとした時の事だった。目の前に予想だにしない、奇妙なものが姿を現した。
それは赤い球体をしており、顔くらいの高さで宙に浮かび、ときおり炎が揺らめくように、なびくような動きを見せつける。
生き物が亡くなると、魂が抜けてこの世を彷徨うという話を聞いたことがあるが、人の顔程の大きさの物だったら、まさにそれを連想させ、大声を上げて逃げ出していただろう。しかしその球体は、手の平ほどの大きさしかない。オリビアは、とっさに草むらに身を隠すように低くしゃがみこんだ。   
この森には光を使う生き物が多く生息している。もしかしたら、自分の知らない昆虫などの生き物が、ただ宙を飛んでいるだけかもしれないと思ったのだ。
しかし、暫くそのまま草むらにしゃがみ込み、息を殺してじっとそれを見つめていたが、全く動く気配を見せない。それは意思を持っているようには思えず、ただ空中に浮かんでいるだけだった。
得体のしれない存在を前に、心の中は戸惑いで満たされていた。
どうしたらいいものか。ゆっくりこのまま後ろを向いて来た道を帰ろうか。ただ、もしこれが生き物だったらどうしようか。まして凶暴な生き物だったら……。こちらの存在に気づいていないが故に、ただ宙を飛んでいるだけかもしれない。気付いた瞬間にこちらに襲い掛かってくるかもしれない。
頭の中で様々な思考が巡った。しかし、このままじっとしている訳にはいかない。やはり不意をついて、怯んだ所を見計らい、全力で逃げるのが一番かもしれない。そう思ったオリビアは、足元に落ちていた少し大きな石を手に取ると、意を決し、それに向かって投げた。
石を投げると同時に、肩をすくめて赤い球体を見つめる。石は上手に放物線を描いた。ちょうどそれの真ん中に当たり、大きな怯みを見せ、その隙に来た道を全力で駆け戻る……はずだった。
なんと小石はそれをすり抜け、後ろにあった木の幹にゴツンと当たっただけだったのだ。相変わらずその赤い炎のようなものは、何の変化も見せずに宙に浮かんでいる。
(……え?)
オリビアは再び何度も石を投げたが、どれも結果は同じで、背面にある木が音を立てるだけだった。
オリビアは先の長い折れた枝を見つけ手にすると、ゆっくりとその炎のような物に近づいてみた。枝が届くくらいの距離まで行き、恐る恐るその枝でその球体をつつく。枝は何の感触もなくその球体をすり抜けた。ときおり靡きを見せるくらいで、やはり何も変わらず宙に浮いている。突いた枝先を見ても何の変化もない。
オリビアは意を決し、その球体に指先で触れてみた。熱さどころか何も感じない。両手で身体中に触れてみる。自分の身にも何も起きていないようだった。
不思議そうに何度かその球体に手を出し入れしていると、ある事に気がついた。霧にかすんで森の奥にもうひとつ、赤い球体が浮かんでいたのだ。その赤い球体もこの球体と同様に、自分の顔くらいの高さで浮かび、揺らめいている。
オリビアはゆっくりとそのもう一つの球体に近づいた。先ほどのように枝で突いても、同じようにすり抜けるだけで何の変化もない。
(え?)
なんと、目線を周囲に配ると、この球体の奥にまたもう一つ、新たな球体が浮かんでいる事に気がついたのだ。その新たな球体に近づくと、再びその奥に新たな球体がうっすらと姿を現した。
(これって……)
それは道案内をするかのごとく、間隔を空けながら森の奥へと続いていたのだった。山に登る際、再び同じ出口に出られるようにと、歩いて来た道に生えていた木の幹や枝に、布を巻くなどして目印をつけておくという話を聞いた事があるのだが、まさにそれに近い雰囲気を感じた。
(まさか……)
この目印の奥に本当にグリンデがいるとでもいうのだろうか。普通の人間にこのような摩訶不思議な目印をつけられる訳がない。それともこの森のなんかしらの影響で、自分の頭がおかしくなってしまって、訳のわからない幻覚でも見ているのだろうか。
オリビアはふいに自分の頬をつねった。じわりと痛みがはしる。
このまま引き返すべきか、それとも先へ進んでみるべきか。
普段なら間違えなく引き返しただろう。しかしあの白き女性が、この森の奥にグリンデがいると言っていた事、そしてその森の中で見つけた赤い球体が、更に奥へと導いている事は偶然だと思えなかった。
もしかしたら本当にグリンデがいるかもしれない。そしてお母さんを……。
もし、この先進んでどうしようもないほど恐怖を感じたら、この赤い球体を辿ってくればいい。そこからは、足跡や踏まれた植物の痕跡を辿れば、また森の入口に戻って来れるだろう。
(……行ける所まで行ってみよう)
オリビアは、目の前に霞んで見える赤い球体に向けて、足を踏み出す決意をした。
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