受付嬢と真紅の戦乙女
文字数 3,346文字
◇◇
サラマンダーの群れから逃げ伸びた俺とクリスティナ。
その後、彼女は徐々に笑顔を見せてくれるようになっていった。
ヘレニウスの森のはじで、見たこともない木の実を食べた俺が、辛さのあまりに火を吹きそうなくらい顔を真っ赤にさせた時も。
グレーンルンド大滝近くの川で、巨大な魚を釣り上げた俺が、腰を抜かしてしまった時も。
レヴェーン洞窟で足元を滑らせた俺が、盛大な音を立てて尻もちをついた時も。
ペルガメント山で一輪だけ咲く美しい花を採取した俺が、顔中を泥だらけにして戻ってきた時も……。
彼女は笑顔を向けてくれた。
――はははっ! なに? その顔! 泥だらけじゃない! はははっ!
無邪気に笑う顔は眩し過ぎて、とてもじゃないが直視できない。
しかし、なぜだろうか……。
彼女が笑顔を作るたびに胸が躍っちまうのは……。
そして次はもっと大きな笑顔を作ってやろうと、やっきになっている自分がいるのだ。
いい歳こいて情けねえって思われても仕方ないが、こればっかりはどうしようもなかった。
そこで手にした花を彼女に手渡しながら問いかけた。
「地図が完成したら、今よりももっと大きな笑顔を作ってくれるかい?」
彼女は泥だらけの俺の顔が少しだけ真面目になったのを見て、口元を引き締めた。
そして笑い過ぎで浮かんだ涙をふきながら、軽い調子で答えた。
「そうね。嬉しくて、ぴょんぴょん跳ねながら大笑いしちゃうかもしれないわ」
「そっかぁ。そいつはますます頑張なきゃなんねえな」
「ふふっ、なにそれ? そうじゃなくても頑張ってよ」
「ああ、そうだったな」
そこまで会話が続いたところで、彼女は背を向けた。
先ほどまでの春の日のような暖かな空気に、少しばかりひんやりとした沈黙が流れる。
すると彼女はぼそりとつぶやいた。
「でも……地図が完成したら……おわかれだよね」
その言葉はまるで大きな槌のように、胸をドンと強く打つと、息が止まり、しばらく言葉を失ってしまった。
……と、その時だった。
急に彼女は振り返ったかと思うと、俺の左手にあったタブレットを奪い取ったのだ。
そして、お茶目な笑顔を見せた彼女は、
――カシャッ!
と、茫然とした表情の俺に向けてシャッターを切ったのだった。
「ちょっと、なにするんだ」
顔を赤くして彼女のもとに詰め寄ると、彼女は笑顔ままひらりとかわす。
――カシャッ!
今度は怒った顔を写真に収めた。
「だからやめろって!」
「はははっ! この前の仕返しよ! 悔しかったら、捕まえてみなさい!」
こうしておっさんとエルフの壮絶な追いかけっこが、山頂で始まった。
それは音をあげたおっさんが、舌を出しながら「もう降参だ」と両手を上げる様子を、笑顔のエルフがシャッターを切るまで続けられたのだった――
◇◇
地図づくりはいよいよ三分の一程度を残すばかりとなった。
エンフェルド村を出てから西側へと進路をとって進んできたのだが、残りを写真に収めるには、一度村の方へ戻って、東へと進路をとらなくてはならないことが分かった。
そこで一度村に帰り、長老のカイサに進捗を報告してから旅を再開することにしたのだった。
それは俺が王国を出てから、ちょうど十日がたった頃であった。
◇◇
一方、その頃王国では再び『真紅の戦乙女(ワルキューレ)』こと、リーサ・ルーベンソンが快挙を達成していた。
――『名誉冒険者号』として勲章が授与されるそうだ!
――なんでもルーペルト国王との謁見を許されて、国王から直接手渡されるそうだぞ!
ついに彼女は、冒険者として登りつめられる場所まで、登りつめようとしていたのだ。
ギルド内がそんな熱気に包まれていた最中のことだった――
なんと滅多にギルドには姿を見せない彼女が、颯爽と現れたのだから、人々が大騒ぎになったのは言うまでもないだろう。
――うおぉぉぉぉぉっ!
――どんな『モンスター』かと思っていたが、かなりの美人じゃねえか!
――天は彼女に二物を与えたか!
男たちの熱狂的な歓声を横目に、真紅の鎧の上から同じ色のマントを羽織った彼女は、つかつかと早足で歩いていく。
すらりと伸びた背に小さな顔。切れ長の目に小さな唇の持ち主で、女性であっても見惚れてしまうほどの美貌だ。
そして彼女は周囲の喧噪などものともせずに、とある場所でピタリと足を止めた。
そこは最低ランクの冒険者たちがクエストを受けるカウンター……。
つまりカタリーナの目の前であった。
だが、どんな相手にも分け隔てなく無表情で接する彼女は、今や『生きる伝説』となったリーサに対しても対応は同じであった。
「ご用件はなんでしょうか。クエストの御相談でしたら、リーサさんのランクですと、あちらのカウンターへ足をお運びください」
あくまで『規則』通りに案内する彼女に対して、リーサはニコリと笑顔になって問いかけた。
「Fランクの冒険者について聞きたいのだけど、ここでいいかしら?」
カタリーナは丸メガネの向こう側から、リーサの顔をちらりと覗き込んだが、すぐに視線を元に戻して答えた。
「残念ですが、『規則』により冒険者の個人情報をお教えするわけにはいきません。どうぞお引き取りを」
「ふふ、相変わらず『固い』のね。姉さんは」
リーサが目を細めてカタリーナに微笑むと、カタリーナは再びちらりと彼女を見上げて口を開いた。
「リーサ。少し有名になったくらいで、あまり調子に乗らないことね」
「はいはい、分かってるって。姉さんの説教は長いからやめてちょうだい」
なんと彼女らは実の姉妹だったのだ。
もちろんこの時点でフィトが知るはずもない事実だ。
ただ綺麗な顔立ちをしているところは共通してるが、性格は正反対らしい。
『型にはまるのが嫌い』なリーサは、姉に向けて手を合わせながら頼みこんだ。
「別に個人情報が知りたいわけじゃないの! ちょっとだけ教えて欲しいことがあるのよ! ねっ! こんなに可愛い妹が頼みこんでいるんだから、少しくらい教えてくれてもいいでしょ!」
すると『型にはまらないと気がすまない』カタリーナは、ふぅと大きなため息をついて肩を落とした。
「まったく……『規則』に反しない範囲であれば答えてあげてもいいわよ」
リーサは手を叩きながら満面の笑顔で飛び跳ねた。
「やったぁ! さっすがは私の姉さんね!」
「リーサ。はしたないからやめなさい。それに私は忙しいの。早く用件を言いなさい」
「はぁい……」
ばしゃりと冷水を浴びせられたかのように大人しくなってしまったリーサは、肩をすくめながら問いかけた。
「とある冒険者のクエストの様子を知りたいの」
「とある冒険者? 誰なの?」
カタリーナの質問に、先ほどまで堂々としていたリーサが急に小さくなってもじもじとし出す。
そして、小さな声で答えたのだった。
「……フィトさまの」
その名を聞いて、無表情だったカタリーナの目が大きく見開かれる。
すると妹ですら今まで一度も聞いたこともないほどの大声をあげた。
「フィトさんですって!?」
「ちょっと姉さん! 声が大きい!」
リーサが慌ててカタリーナの口をふさごうとする。
カタリーナは、はっと我に返って、咳払いをした。
「……取り乱したわ。ごめんなさい。ところで、なんでリーサがフィトさんを知っているの?」
その問いにリーサは頬を赤らめながら遠い目をして答えたのだった。
「十年前からフィトさまは、わたしにとっての『王子様』だから……」
と……。
『十年前』と言えば、フィトがまだ駆け出しの冒険者の頃だ。
そしてその頃は、夢と希望に燃えていた彼が、一人の少女を森で救いだした頃でもある。
そう、つまり……。
リーサはフィトが助けたあの美少女なのであった――
サラマンダーの群れから逃げ伸びた俺とクリスティナ。
その後、彼女は徐々に笑顔を見せてくれるようになっていった。
ヘレニウスの森のはじで、見たこともない木の実を食べた俺が、辛さのあまりに火を吹きそうなくらい顔を真っ赤にさせた時も。
グレーンルンド大滝近くの川で、巨大な魚を釣り上げた俺が、腰を抜かしてしまった時も。
レヴェーン洞窟で足元を滑らせた俺が、盛大な音を立てて尻もちをついた時も。
ペルガメント山で一輪だけ咲く美しい花を採取した俺が、顔中を泥だらけにして戻ってきた時も……。
彼女は笑顔を向けてくれた。
――はははっ! なに? その顔! 泥だらけじゃない! はははっ!
無邪気に笑う顔は眩し過ぎて、とてもじゃないが直視できない。
しかし、なぜだろうか……。
彼女が笑顔を作るたびに胸が躍っちまうのは……。
そして次はもっと大きな笑顔を作ってやろうと、やっきになっている自分がいるのだ。
いい歳こいて情けねえって思われても仕方ないが、こればっかりはどうしようもなかった。
そこで手にした花を彼女に手渡しながら問いかけた。
「地図が完成したら、今よりももっと大きな笑顔を作ってくれるかい?」
彼女は泥だらけの俺の顔が少しだけ真面目になったのを見て、口元を引き締めた。
そして笑い過ぎで浮かんだ涙をふきながら、軽い調子で答えた。
「そうね。嬉しくて、ぴょんぴょん跳ねながら大笑いしちゃうかもしれないわ」
「そっかぁ。そいつはますます頑張なきゃなんねえな」
「ふふっ、なにそれ? そうじゃなくても頑張ってよ」
「ああ、そうだったな」
そこまで会話が続いたところで、彼女は背を向けた。
先ほどまでの春の日のような暖かな空気に、少しばかりひんやりとした沈黙が流れる。
すると彼女はぼそりとつぶやいた。
「でも……地図が完成したら……おわかれだよね」
その言葉はまるで大きな槌のように、胸をドンと強く打つと、息が止まり、しばらく言葉を失ってしまった。
……と、その時だった。
急に彼女は振り返ったかと思うと、俺の左手にあったタブレットを奪い取ったのだ。
そして、お茶目な笑顔を見せた彼女は、
――カシャッ!
と、茫然とした表情の俺に向けてシャッターを切ったのだった。
「ちょっと、なにするんだ」
顔を赤くして彼女のもとに詰め寄ると、彼女は笑顔ままひらりとかわす。
――カシャッ!
今度は怒った顔を写真に収めた。
「だからやめろって!」
「はははっ! この前の仕返しよ! 悔しかったら、捕まえてみなさい!」
こうしておっさんとエルフの壮絶な追いかけっこが、山頂で始まった。
それは音をあげたおっさんが、舌を出しながら「もう降参だ」と両手を上げる様子を、笑顔のエルフがシャッターを切るまで続けられたのだった――
◇◇
地図づくりはいよいよ三分の一程度を残すばかりとなった。
エンフェルド村を出てから西側へと進路をとって進んできたのだが、残りを写真に収めるには、一度村の方へ戻って、東へと進路をとらなくてはならないことが分かった。
そこで一度村に帰り、長老のカイサに進捗を報告してから旅を再開することにしたのだった。
それは俺が王国を出てから、ちょうど十日がたった頃であった。
◇◇
一方、その頃王国では再び『真紅の戦乙女(ワルキューレ)』こと、リーサ・ルーベンソンが快挙を達成していた。
――『名誉冒険者号』として勲章が授与されるそうだ!
――なんでもルーペルト国王との謁見を許されて、国王から直接手渡されるそうだぞ!
ついに彼女は、冒険者として登りつめられる場所まで、登りつめようとしていたのだ。
ギルド内がそんな熱気に包まれていた最中のことだった――
なんと滅多にギルドには姿を見せない彼女が、颯爽と現れたのだから、人々が大騒ぎになったのは言うまでもないだろう。
――うおぉぉぉぉぉっ!
――どんな『モンスター』かと思っていたが、かなりの美人じゃねえか!
――天は彼女に二物を与えたか!
男たちの熱狂的な歓声を横目に、真紅の鎧の上から同じ色のマントを羽織った彼女は、つかつかと早足で歩いていく。
すらりと伸びた背に小さな顔。切れ長の目に小さな唇の持ち主で、女性であっても見惚れてしまうほどの美貌だ。
そして彼女は周囲の喧噪などものともせずに、とある場所でピタリと足を止めた。
そこは最低ランクの冒険者たちがクエストを受けるカウンター……。
つまりカタリーナの目の前であった。
だが、どんな相手にも分け隔てなく無表情で接する彼女は、今や『生きる伝説』となったリーサに対しても対応は同じであった。
「ご用件はなんでしょうか。クエストの御相談でしたら、リーサさんのランクですと、あちらのカウンターへ足をお運びください」
あくまで『規則』通りに案内する彼女に対して、リーサはニコリと笑顔になって問いかけた。
「Fランクの冒険者について聞きたいのだけど、ここでいいかしら?」
カタリーナは丸メガネの向こう側から、リーサの顔をちらりと覗き込んだが、すぐに視線を元に戻して答えた。
「残念ですが、『規則』により冒険者の個人情報をお教えするわけにはいきません。どうぞお引き取りを」
「ふふ、相変わらず『固い』のね。姉さんは」
リーサが目を細めてカタリーナに微笑むと、カタリーナは再びちらりと彼女を見上げて口を開いた。
「リーサ。少し有名になったくらいで、あまり調子に乗らないことね」
「はいはい、分かってるって。姉さんの説教は長いからやめてちょうだい」
なんと彼女らは実の姉妹だったのだ。
もちろんこの時点でフィトが知るはずもない事実だ。
ただ綺麗な顔立ちをしているところは共通してるが、性格は正反対らしい。
『型にはまるのが嫌い』なリーサは、姉に向けて手を合わせながら頼みこんだ。
「別に個人情報が知りたいわけじゃないの! ちょっとだけ教えて欲しいことがあるのよ! ねっ! こんなに可愛い妹が頼みこんでいるんだから、少しくらい教えてくれてもいいでしょ!」
すると『型にはまらないと気がすまない』カタリーナは、ふぅと大きなため息をついて肩を落とした。
「まったく……『規則』に反しない範囲であれば答えてあげてもいいわよ」
リーサは手を叩きながら満面の笑顔で飛び跳ねた。
「やったぁ! さっすがは私の姉さんね!」
「リーサ。はしたないからやめなさい。それに私は忙しいの。早く用件を言いなさい」
「はぁい……」
ばしゃりと冷水を浴びせられたかのように大人しくなってしまったリーサは、肩をすくめながら問いかけた。
「とある冒険者のクエストの様子を知りたいの」
「とある冒険者? 誰なの?」
カタリーナの質問に、先ほどまで堂々としていたリーサが急に小さくなってもじもじとし出す。
そして、小さな声で答えたのだった。
「……フィトさまの」
その名を聞いて、無表情だったカタリーナの目が大きく見開かれる。
すると妹ですら今まで一度も聞いたこともないほどの大声をあげた。
「フィトさんですって!?」
「ちょっと姉さん! 声が大きい!」
リーサが慌ててカタリーナの口をふさごうとする。
カタリーナは、はっと我に返って、咳払いをした。
「……取り乱したわ。ごめんなさい。ところで、なんでリーサがフィトさんを知っているの?」
その問いにリーサは頬を赤らめながら遠い目をして答えたのだった。
「十年前からフィトさまは、わたしにとっての『王子様』だから……」
と……。
『十年前』と言えば、フィトがまだ駆け出しの冒険者の頃だ。
そしてその頃は、夢と希望に燃えていた彼が、一人の少女を森で救いだした頃でもある。
そう、つまり……。
リーサはフィトが助けたあの美少女なのであった――