〈ハーメルン〉

文字数 1,771文字

 生まれたときから私にとって、〈ファッション〉は身近にあった。
 クラスメイト達の関心の的が、常にアニメや漫画、アイドルにお笑いなどのテレビ番組にあったとき、かくいう自分は、奇抜な服やメイクをして颯爽とランウェイを歩く、スーパーモデルに心を奪われていた。同じ人間とは思えないほど完璧なスタイルを持つ彼女たちの姿は、私の心を心底ときめかせた。
 そんなスーパーモデルたちも、高いヒールでバランスを崩して派手に転んでしまうこともあると知ったときは、彼女たちも自分と同じれっきとした人間なのかと、珍妙な感想を持ったものだ。
 短大を一年で中退し、その後、多くのデザイナーを輩出する〈ファッション〉の専門学校に進む。卒業後は、憧れのラグジュアリーブランドに就職するものの、業績不振でリストラされてしまった。
 むかしから家族に弱音を吐いたり、相談事を持ちかけたりする性格ではなかったが、この時ばかりは母親に泣きついてしまった。
「……頑張っても幸せって、なれないものなんだね」
 すると、母親は心身ともに弱っている私に、励ましの言葉をかけるどころか、傷口に塩を塗るような一言を投げてきた。
「世の中には、自分で自分を幸せにできない人間と、誰かを幸せにしてあげられる人間のふたパターンしかいないのよ。もちろん、あんたは自分を幸せにできない不幸なタイプなんだから、中途半端な夢なんてさっさと捨てて結婚しなさい! 苗字を変えることでしか、運気は上げられないわよ」
 母親は、いつだって私の目を見て話さない。人は、後ろめたいことがあると、相手の目を見て話せないと、刑事をやっているおじさんが言っていたっけ。
 その後も、自分が働きたいアパレル会社の面接にはことごとく落とされ、満足のいくような就職先を見つけられずにいた。それでも、着飾る習慣だけは止められず、リボ払いを繰り返してまで、ファッションに情熱を燃やし続けた。「そろそろ、ブレーキを踏まないと破滅する!」とわかっていても、あの頃の私から着飾ることを取ってしまえば、それこそ何も残らない気がしていた。
 愛情に飢えていた私には、文字通りファッションこそが拠り所だったのだ。
 その後、ツクモと付き合い、別れたあとも、ずっと書店員として有楽町で働いている。

 仕事の休憩中、トミちゃんからスカイプがきた。
「先週の千代田公園、楽しかったわね。今日のてんびん座は三位だって! 何か趣味や好きなことに没頭してみよう。そうすれば、明るい未来が開けそう!」
 トミちゃんから占いの結果が送られてくるときは、いつも私の星座は上位だった。
 レモンスカッシュに入った細かい氷をストローの先端でザクザクと砕きながら、心の中で「何か趣味や好きなこと、何か趣味や好きなこと……」と呪文のようにつぶやく。
 ふと、脳裏に懐かしい歌詞とメロディが浮かび上がってきた。

 僕が千代田区でしか歌わない理由を、キミたちは知ってるかな~♪
 ちょっと地図をひらいてごらん♪
 千代田区の形をよく見てごらん♪
 誰もが持っているものに、とっても似てないか?
 そうさ、千代田区は心臓の形をしているのさ~♪
 偶然か必然か~心臓の形をしているのさ~♪
 え? その前にココ秋葉原は千代田区だっけって?
 そうさ、カオスな秋葉原こそ、立派な千代田区さ~♪

 一時、毎日のように口ずさんでいた〈ハーメルン〉の「自己紹介ソング」だ。
 彼は、数年前から千代田区を拠点として路上ライブを行っていた。十代から四十代と、実に幅広い年齢層からの支持があり、誰の耳にもすっと入り込む癖のない声と、独特な歌詞が特徴だ。
 でも、〝生歌にこそ意味がある〟という〈ハーメルン〉のセオリーにより、インディーズでもCDは一枚も出ていない。
 それどころか、以前ラップを通して、
「万が一、CDが発売されることがあれば、それはぼくが死んだときだと思って欲しい」
 と、独自の想いを歌っていた。
 しかし、〈ハーメルン〉は去年の春以降、沈黙を貫いている。
 あれ以来、夢中になれるものが見つからず、気持ちが宙ぶらりんになっていたことを思い出した。それでも、休憩中は控室にあるソファーに横になって、〈ハーメルン〉の曲をいくつか思い出せただけで気持ちが軽くなった。
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登場人物紹介

志村九龍(シムラカオルン)

【カオルン】


悩み多き女性書店員。

ひょんなことから日向とみ子と出会い、友情が芽生える。

かつて〈ハーメルン〉に心惹かれていた。

日向とみ子(ヒュウガトミコ)

【トミちゃん】


グレイヘアの婦人。

駄洒落が好き。

マンションの最上階に住む。

カオルンの良き相談相手。

最近はまっていることがあるようだが……。

マキシム(旧名:志村真紀)


カオルンの飼い猫。

ロシアンブルー。

甘えっ子。

美しい。

井上


カオルンの婚活デートの相手。

第一印象はいいが性格に難あり。

ツクモ


ドレッドヘアの男。

自称画家として気ままに生きる。

偶然会ったカオルンと意気投合し交際するが……。

〈ハーメルン〉


千代田区を拠点として路上ライブを行う。

十代から四十代の幅広い年齢層のファンが支持している。

CDは出さない主義。

しばらく消息を絶っていた。

近藤


日向とみ子の『お友達』。

大学生。

ヲタク。金欠。

宮本一紗(ミヤモトカズサ)


精神に疾患のある兄を持つ。

絵が得意。

訳ありでバニーガールの仕事をするが……。

一紗の兄


精神に疾患がある。

祖父母の家から施設へと預けられた。

妹のおかげで心を開いていく。

賢太郎(ケンタロウ)


北国生まれ。

シンガーソングライター。

一紗とは運命的な再会を果たす。

昇太郎(ショウタロウ)


青森生まれ。

賢太郎とは瓜二つで、出会い鼻から

意気投合する。

一紗の夢を応援している。

正彦(マサヒコ)


ホームレス。

物語の重要な局面に登場する……。

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