第1話ソフィア喫茶店 そして今日は神保町OLの美沙

文字数 1,392文字

文化の聖地、神保町古書店街の古びた、しかし品のあるビルに、創業が明治の文明開化時という歴史を誇る「会員制」の喫茶店がある。
その店の名前は、「ソフィア喫茶店」。
カウンター席6名、テーブル席14名の小さな喫茶店で、原則として、会員の紹介あるいは、店員が認めなければ喫茶店に入れない。

出版社や本屋が多いという土地柄か、過去から、数々の文豪、文化人がひいきにしていたこともあり、色紙やサイン入りの初版本も多くある。

その、現在のマスターは、森川飛鳥、23歳。
ビルのオーナーでもある父の森川玄信が、去年までマスターを務めていたけれど、引退したことに伴い、バトンタッチされた。

他の、喫茶店従業員としては、飛鳥の姉、森川香苗(25歳)が料理担当。
また、飛鳥の従妹の藤村美鈴(23歳)がウェイトレスなので、同族経営とも言える。


さて、今日も、ソフィア喫茶店には、飛鳥目当ての客が入って来て、カウンター席に座った。

飛鳥ははんなりとしたな挨拶。
「いらっしゃいませ、杉下様」

「杉下様」と呼ばれた客は、20代後半のしっとりとした上品な美女。
椅子に座るなり、「飛鳥君・・・」と深いため息、下を向く。

飛鳥は声を低くした。
「何か、お悩みで?」
杉下は、またため息、か細い声。
「うん・・・でもね・・・名前で呼んで」
「・・・今日は」

飛鳥は、冷たいレモン水を、杉下の前に置く。
「美沙さん・・・と?」
美沙は、ようやく上を向く。
「そう呼んでもらえると、ドキドキする」
「女性に戻ったって感じ」

飛鳥は、少しだけ美沙の目を見る。
「すごくおきれいな・・・美沙さんですよ」
美沙は、顔を赤くする。
「年増をからかわないの」
「本気にしますよ」

飛鳥は、それには応えない。
「いつものコロンビアを?」
「ペーパーかフレンチのどちらに?」
美沙は、指で飛鳥の手の甲をツンとつつく。
「意地悪?」

飛鳥は、それにも応えず、珈琲豆を粗挽き。
つまり、フレンチプレスで淹れる、ということになる。

美沙は、飛鳥の、その動きを愛でて楽しむ。
「何かね、飛鳥君を見ているのが、すごく好きなの」
「嫌なことを全て忘れちゃう」
「杉下美沙でなくて、一人の女性として・・・その前に一人の人間として」

飛鳥は、フレンチプレスで淹れたコロンビアを、美沙お気に入りの珈琲カップに、ゆっくりと注ぐ。
「僕も、同じですよ、一人の人間として、美沙さんは素敵だなあと」
「だから、じっくりと、フレンチプレスで淹れたくて」
「珈琲豆の全てが出ますから」

美沙は、目を閉じて、珈琲を味わう。
「美味しい・・・なんか・・・」
「魅惑の香り・・・味、コク」
「モヤモヤがどうでもよくなった」
しかし、すぐに目を開けて、飛鳥を少しにらむ。
「目を閉じられないよ、飛鳥君も見たい」

飛鳥は、ふんわりと笑う。
「何があっても、ここに来れば、この珈琲は飲めます」
「でも、何があっても、何もなくても、いらしてください」

その飛鳥の笑顔につられたのか、美沙の顔が、本当に穏やかになった。
「ありがとう、ごめん、変な顔で入って来て」
「仕事でヘマして叱られて・・・」
「嫌いな上司に、杉下ーーーって大声で怒鳴られて」
「それで、反発して飛び出して来たの」
「でも、飛鳥君で元気になった」
「今から会社に戻って、グウの音も出ないくらいに、リカバリーして復讐する」

飛鳥は、ミルクを温めはじめた。
「少し寒い時間帯です、カフェオレサービスします」

美沙は、顔を輝かせている。
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