Episode01: 常夜の街
文字数 2,333文字
約一ヶ月前のことだ。
俺と、数年来の友人――神崎隆弘 は、下層地区を訪れていた。
訪問の目的は、”水没予定地区”の視察だ。
足元を電灯で照らしながら歩いていると、ここに来るまで黙り込んでいた隆弘が口を開いた。
「なあ玲二、下層民を救う方法はないの?」
「あると言えばある」
「じゃあ、なんで」
なぜ下層民を見捨てるような政策をとるのか――。
隆弘の疑問は誰もが考えることだろう。だが、そう上手く事は運ばないのだ。
俺――如月玲二 は”クロノス”と呼ばれる、このフロントを管理している統治機構に引き抜かれた人間だ。
本来は易々と部外者 に経緯を話すわけにはいかないのだが、ここは友人のよしみ、なにより今日こうして同行してくれた土産に話してやることにした。
「隆弘、下層民の人口は何人だ」
「たしか五千人くらいじゃなかったかな」
「正解だ。ただし、公式の統計では な」
ここ第十三区地中都市、通称”ブルート”は、元々は三十階層のジオフロントだった。地中深くの螺旋構造体 で、形としてはコイルバネを思い浮かべてもらえばいい。
螺旋状に上層から下層へと下る延々の坂 と、その両脇に並んだ居住地区。この基本構造は、上層から中層、下層まで変わらない。
そして、この居住区の上下はそのまま身分の上下でもある。
上層は、一番安全とされている初層~六層の区画だ。浸水、落盤、なにかしらの緊急時に一番生存率が高い。それに、人の上に立つ――尤もこれは物理的、精神的の両面においてだが――その欲望を満たせる場所でもある。富裕層と統治機構の人間のみが住むことを許された区画だ。
中層以下は一般衆の居住区だが、なかでも下層と呼ばれる十八層以下は酷い惨状となっている。
特にここ、浸水予定の第二十二層区画は下水配管が十年ほど前から破損したままになっており、あたり一帯には汚泥の臭いが充満している。電灯を備える家はなく、メインストリートでさえ、ほとんど明りが灯っていない。
――常夜の街、なんて言えば耳あたりはいいが、要するに活気の無い、死んだ街なのだ。組織も手におえず放置を決め込んだ結果、罪人や孤児たちの流れ着くスラムのようになってしまった。
故に、ここで先程の話につながるのだ。
「組織 は、下層の人口調査ができていない」
俺のその言葉に、隆弘が唖然とする。上層住まいの隆弘 にとっては、下層 で見るもの、聞くもの全てが初めてだろう。
まさかここまで酷い惨状だったとは夢にも思うまい。下層は治安が悪いこともあって、他の階層との行き来が容易にはできないよう検問体制が取られているうえ、いわばこのフロントの闇の部分だ。現地にいたことのある人間か、クロノスの人間しか真相を知るものは居ない。
「さっきの五千人って数字、あれは概算だ。それも、根拠としたのは簡単な聞き取りだけ」
「それじゃあ玲二、統計には……意味がないじゃないか」
「ああ、そうだな。だが調査できない理由はきちんとあるんだ」
「それは……?」
「まあ見てなって。じきに分かるから」
どういうことかと首を捻る隆弘だったが、答えはすぐにわかるはずだ。
先程から、廃屋と化した住宅のいくつかから視線を感じる。
それがマトモなもんじゃないことを、俺は直感で理解していた。
十数歩と歩いた頃だろうか。
(ピィィーーーーッ!)
突如、あたりに笛の音 が鳴り響く。
次の瞬間、俺たち二人の周りを十~十五といかない歳のガキどもが七人、揃いも揃って獲物を狩るような目つきで包囲していた。何人かの手には得物 が見える。
「な……なっ…………」
すぐ隣では、隆弘が腰を抜かしていた。しかし残念だが、手を差し伸べる余裕は無い。
「おい、カネ。持ってんだろ?」
「バッグも、上着も、持ってるやつ全部置いていけ」
ガキどもが、手に持った得物を見せつけながら金品を要求する。
ああ、やはり下層は変わっていない 。
仕方なしに、俺は懐からベレッタ 92――自動拳銃を取り出した。
「ガキ。今すぐ立ち去れ。尤 も、躰 に孔 を増やしたいなら話は別だがな」
拳銃 を見たガキどもが四散していく。
もしナイフでもって近接応戦されたら、或いは俺に勝ち目はなかったかもしれないが、あいつらもバカじゃない。
金品目当てに集団で集 ることで生きているあいつらとしては一人の負傷も避けたいだろうから、そこに賭けたのだ。
「おい、立てるか」
青い顔で腰を抜かしている隆弘に、手を差し伸べる。
「ありがとう……」
「これでわかったろ。この辺は迂闊に立ち入れる場所じゃねえんだ」
「うん……。それで――さっきの子たちは?」
「全員孤児だろうね。こうやって、金品を強奪して生きているのさ」
「…………」
今度こそ、隆弘は言葉を失っていた。
「下層民を救うってことはな、こいつらをより上層階に引き込むことになるんだ」
特に此処 、下層の中でも現在最下層となる水没予定地区――第二十二層は治安が悪い。
来月、ここは水没するというのに。
それなのに組織がそれをまだ公表しないのは、先程のようなやつらを確実に葬るためでもあったのだ。
第十三区地中都市 の闇――第二十二層区画。
そこは十年前 、俺が見捨てた 、死んだ街である。
俺と、数年来の友人――
訪問の目的は、”水没予定地区”の視察だ。
足元を電灯で照らしながら歩いていると、ここに来るまで黙り込んでいた隆弘が口を開いた。
「なあ玲二、下層民を救う方法はないの?」
「あると言えばある」
「じゃあ、なんで」
なぜ下層民を見捨てるような政策をとるのか――。
隆弘の疑問は誰もが考えることだろう。だが、そう上手く事は運ばないのだ。
俺――
本来は易々と
「隆弘、下層民の人口は何人だ」
「たしか五千人くらいじゃなかったかな」
「正解だ。ただし、
ここ第十三区地中都市、通称”ブルート”は、元々は三十階層のジオフロントだった。地中深くの
螺旋状に上層から下層へと下る
そして、この居住区の上下はそのまま身分の上下でもある。
上層は、一番安全とされている初層~六層の区画だ。浸水、落盤、なにかしらの緊急時に一番生存率が高い。それに、人の上に立つ――尤もこれは物理的、精神的の両面においてだが――その欲望を満たせる場所でもある。富裕層と統治機構の人間のみが住むことを許された区画だ。
中層以下は一般衆の居住区だが、なかでも下層と呼ばれる十八層以下は酷い惨状となっている。
特にここ、浸水予定の第二十二層区画は下水配管が十年ほど前から破損したままになっており、あたり一帯には汚泥の臭いが充満している。電灯を備える家はなく、メインストリートでさえ、ほとんど明りが灯っていない。
――常夜の街、なんて言えば耳あたりはいいが、要するに活気の無い、死んだ街なのだ。組織も手におえず放置を決め込んだ結果、罪人や孤児たちの流れ着くスラムのようになってしまった。
故に、ここで先程の話につながるのだ。
「
俺のその言葉に、隆弘が唖然とする。上層住まいの
まさかここまで酷い惨状だったとは夢にも思うまい。下層は治安が悪いこともあって、他の階層との行き来が容易にはできないよう検問体制が取られているうえ、いわばこのフロントの闇の部分だ。現地にいたことのある人間か、クロノスの人間しか真相を知るものは居ない。
「さっきの五千人って数字、あれは概算だ。それも、根拠としたのは簡単な聞き取りだけ」
「それじゃあ玲二、統計には……意味がないじゃないか」
「ああ、そうだな。だが調査できない理由はきちんとあるんだ」
「それは……?」
「まあ見てなって。じきに分かるから」
どういうことかと首を捻る隆弘だったが、答えはすぐにわかるはずだ。
先程から、廃屋と化した住宅のいくつかから視線を感じる。
それがマトモなもんじゃないことを、俺は直感で理解していた。
十数歩と歩いた頃だろうか。
(ピィィーーーーッ!)
突如、あたりに笛の
次の瞬間、俺たち二人の周りを十~十五といかない歳のガキどもが七人、揃いも揃って獲物を狩るような目つきで包囲していた。何人かの手には
「な……なっ…………」
すぐ隣では、隆弘が腰を抜かしていた。しかし残念だが、手を差し伸べる余裕は無い。
「おい、カネ。持ってんだろ?」
「バッグも、上着も、持ってるやつ全部置いていけ」
ガキどもが、手に持った得物を見せつけながら金品を要求する。
ああ、
仕方なしに、俺は懐からベレッタ 92――自動拳銃を取り出した。
「ガキ。今すぐ立ち去れ。
もしナイフでもって近接応戦されたら、或いは俺に勝ち目はなかったかもしれないが、あいつらもバカじゃない。
金品目当てに集団で
「おい、立てるか」
青い顔で腰を抜かしている隆弘に、手を差し伸べる。
「ありがとう……」
「これでわかったろ。この辺は迂闊に立ち入れる場所じゃねえんだ」
「うん……。それで――さっきの子たちは?」
「全員孤児だろうね。こうやって、金品を強奪して生きているのさ」
「…………」
今度こそ、隆弘は言葉を失っていた。
「下層民を救うってことはな、こいつらをより上層階に引き込むことになるんだ」
特に
来月、ここは水没するというのに。
それなのに組織がそれをまだ公表しないのは、先程のようなやつらを確実に葬るためでもあったのだ。
そこは