33・荒野で一人、40日

文字数 4,229文字

「それそれー、ひゃっほーう!」
「きゃーっ、ちょっとシモン、やめて下さいー」
「もー、冷たいのだー!」

弟子達の、ふざけ戯れる声が辺りに響く。
今日は、たまにはみんなで羽を伸ばそうと弟子達を連れ安息日にガリラヤ湖の
人けのない湖岸に来たところだ。

「…冷たくって、気持ちいい…」
「せやねぇ。今日は、ええ天気やしなぁ」
「本当、今日は暑いですね」

水際でお互いに水をかけあったりしてふざけ合い、
みんな楽しそうだ。

「ほらトマスー、お前も来いよ!」
「じ、自分は水が苦手でありまして…」
「本当にー?にっひひ…。ヤコブ手伝って!」
「わわっ、引っ張るのはやめて欲しいでありますー!」
「おやおやトマスサーン、うかつな事を言ってしまいましたネー?」

俺はそんな弟子達を眺め、
湖岸でのんびり日向ぼっこをしていた。

「イエスしゃんは来ないのだー?」
「ん?ああ、俺はこうやってのんびりしてるよ」
「イエスさんは、水に入ろうとすると上に立っちまうからなー」
「うーん、難儀やねー」

みんな楽しそうだし、来て良かった。
ただ、一つ…。

「あっはは、それー!」
「ひゃっ、つ、冷たいでありますー!」
「やったなーシモン、ほら仕返しだー!」
「きゃーっ、ちょっともー、ヤコブもー」

くっ…この時代に水着があれば、
みんなの水着姿が拝めたものを…。

「はぁー、もう服がビショビショですぅー」
「どーせすぐに乾くよ、ペテロ」
「今日はいいお天気だもんねー」
「…それに、この方が涼しい…」
「もー、勘弁して欲しいでありますー」

まあ、けどみんなずぶ濡れになって服がうっすら透けて、
それはそれで…
ぬふふ…来て良かった…

「はー、もうビショビショ…皆さん、少しはしゃぎ過ぎですよ?」

とくにバルトロマイは、年のわりに発達してて…
ぬふ、ぬふふ…

「やらしい目ーして。けどどう?僕が1番でしょ?」
「ぶっ、な、何の事かな?」

そう言ってユダがポーズを取る。
やばいやばい、ユダにはバレて…。

「イエスさん、イエスさんも来なよー!」
「そーだよイエスー、涼しいよー?」
「ん?ああ俺はここでいいや」

まったく、水のかけっこなんて。
子供じゃあるまいし、それよりもこうしてこの眺めを目に焼き付ける作業に忙し…

「…ふふっ」
「にひひ…」

その時、ヤコブとアンデレが顔を見合わせてニヤニヤした。

「そーれー!」
「イエスも、涼しくなれー!」
「ぷわっ、冷た!」

二人とも、
俺に思いっきり水を浴びせかけてきた。

「…ヤコブにアンデレ、やったなー!」
「ひゃー、冷たっ!」
「よーし、負けないからねイエスー!」

俺は膝までガリラヤ湖につかり、弟子達と水の掛け合いに興じた。

「うふふ、イエスさま水の上に立つの忘れてるねー」
「ふふっ、イエスはん、子供みたいやねぇ」

「それそれ、どうだ降参か?」
「くっ…よし、行くぞアンデレ!」
「りょーかい!」
「な、な?」

一瞬のスキを突かれ、
俺はヤコブとアンデレに両腕にしがみつかれてしまった。

「今だみんな、イエスさんに思いっきり水をかけろー!」
「イエスをずぶ濡れにしちゃえー!」
「おーっ!それー」
「おっしゃあ、行くよイエッさん!」
「行くでありますよイエス殿ー!」
「…ばしゃばしゃ…」
「わっわっ、冷た、冷た!」

「あっ、逃げるなイエスさん!」
「イエス、逃げようったって無駄だよー?みんな、抑えるの手伝って!」
「おーっ!行くよー?」
「任せとけ!」
「行きますヨー?」
「ちょ、バランス崩れる、バランス…わっ」
「きゃっ、イエス様危な…」

弟子達にしがみつかれ、俺はバランスを失い
みんなもろともザブーンと水に沈んでしまった。

「ぷはっ、はぁ、はぁ…こら、まったく、お前らと来たら…」
「もー、みんな!」
「ぷぷっ…」
「くくく…」
「あっはっはっは!」
「イエス先生、私がお体を暖めて差し上げ…」
「バルトロマイはんも、ブレないお人やね…」

みんな、頭の先から全身ずぶ濡れだ。
まったく、ほんとに、しょうがないな…。



「ふー…」

弟子達と、さんざんふざけ回ったその日の夕方。
俺は、いつものように一人ポツンと誰も居ない家で一息ついていた。

楽しかった分、一人でいると家中がシン…と静まり返った雰囲気に
包まれているのがよけいに気になる。

はぁ…
イエスキリストの生涯を辿り終えない内は、
俺は未来への影響を気にして、こうやって一人で…。

けど、もし辿り終えたら未来がどうなるとか関係なしに
もう俺は自由なんだよな。

今のように俺のせいで未来が変わっちまわないかとか、
異教に染まらないよう人々を教え導かなくてはとか
そういった事に気を使わなくても良くなるんだ。

もちろん、恋愛や結婚だって自由だ。
いや、別に弟子の誰かとそうなりたいって訳じゃないけれど。
けど自由になったら、弟子達とのんびり世界旅行もいいな。
スフィンクスとか、パルテノン神殿とか見てみたいし。

…それに、このままウダウダやってたら、いつか目茶目茶タイプの美人が
目の前に現れてもチャンスを逃してしまうかも知れない。

…よーし、そうだな。
しばらく止まったままだったけれど
これからはイエスキリストのエピソードをじゃんじゃんこなしていこう。
それが全部終わったら、俺は自由…!

さてと、そうなったらどのエピソードからこないして行こう。
そうだな、それじゃ大変そうだからと前にすっ飛ばしてたこれを…。


「え?」
「イエス、1週間後に荒野で断食を始めるって?」
「一人で、40日も?」
「ああ」

「40日も、イエス様一人だけで過ごすんですか?」
「えー?その間会えないの?寂しいよイエスさまー」
「イエス、ずい分急だね?」
「イエスさん、何かあったの?」
「いや、少し自分に試練を与えて己を見つめ直そうかと思って」
「さすがはイエス先生です、立派なお心がけ…」

正直に言うと、俺も40日も弟子達と離れ離れになるのは少し寂しい。
けどこれを乗り越えなくては、自由は得られないんだ。
みんなとももっと遊んでやれるから、少しの間だけ我慢してくれ…。

「そう、なんですねー…」
「イエスしゃーん、その間タダイたちは何をしてたらいいのだ?」
「40日っていったら、けっこうな期間でありますよ?」
「そうだな、まあみんなも休暇だと思って。たまに家の手伝いをしたりとか」

「俺の居ない間宜しく頼んだぞ?」
「は、はい…」
「まーまー、ペテロはんそう気を落とさんと」
「…寂しいのは私も同じ…」
「皆で協力し合って、イェース様の留守を守りマショー」
「イエスの居ない間、病人にはよーく説明して救護所の方に回って貰わないとねー」
「真面目だよなー、イエスさんって」

「ちなみにイエス先生、一体どの辺りで一人お過ごしに…」
「…それを知って、どうする気ですかバルトロマイ」
「イェース様、無理はし過ぎないようにネー?」
「…体には気をつけて…」
「修行頑張ってな、イエッさん!」
「ああ。みんな俺の居ない間、仲良くな」

俺は弟子達にしばらくの間の活動休止を告げると、一週間後に
イエスキリストが荒野で一人断食し40日過ごしたエピソードを再現すべく
人の来なさそうな荒野で40日間過ごす準備に取り掛かった。

それは、俺に少しの休暇をもたらすような形にもなった。
そうだ、この機会を利用して久々に父さんと母さんに会いに行こう。
行こう行こうと思いながら、忙しくて伸ばし伸ばしになってもう半年にもなるし。
俺は、久々に故郷のナザレへと足を向けた。


ナザレに到着し、俺の育った家が近づいてくる。
すると、玄関の近くに何やらよく見知った背中が…

「ただいま、父さん」
「ん…?おおー、イエスか!」

後ろからヨセフ父さんに声をかけると、
父さんはびっくりしたような声をあげた。

「いやー驚いたよ!久しぶりだなーイエス」

父さんは、そう言って俺の肩を抱きしめた。

「ごめん、行こう行こうと思って、半年も経っちゃって…」
「なーに、いいんだよ。元気そうで何よりだよイエス」
「父さんも元気そうで…。母さんは?」
「ああ、中に居るよ。おーいマリア、イエスが帰ってきたぞ」

そう言いながら父さんは家の中に入っていった。
俺も父さんに続いて家に入る。

「ああ、イエス、久しぶり…」

マリア母さんも、父さんと同じく
俺の肩を抱きしめる。

「もう、すっかり立派になっちゃって。噂は聞いてるわよ?」
「ああ。病人を癒したり、多くの人を教え導いたりってな」
「い、いや、別にそんな大したものじゃないって」

…そうだよな。
俺は全然そんな意識はないけれど、ハタから見たら
多くの人を教え導く宗教的指導者そのものだもんな…。

「大した人気らしいじゃない、イエス」
「そうだな。やっぱり、昔に救いの御子と言われた通りだったんだよ」
「フフ…。小さい頃はやんちゃばかりだったのに」
「別に何も変わってないよ、父さんに母さん」

「今夜は、泊まって行くんだろう?」
「ああ、その積り」
「じゃあ、うんとご馳走用意しなきゃね」
「ううん、いつも通りで…ん?」

俺はその時、母さんの異変に気が付いた。

「か、母さん?そ、そのお腹どうしたの?」
「え?ああ、これはね」

マリア母さんのお腹が、
目に見えて大きくなってる。

「何かの病気?見ようか?何とかできるか、わからないけど…」
「ううん、病気じゃなくって。子供ができたのよ」
「ああ、いつかガブリエル様が言った通りだ」
「え?」

「こ、子供って…母さんに?」
「ええ、そうよ」
「はは…。驚いたか?」

俺はそれを聞いた瞬間、
思わず二人に背を向けた。

「イエス…?」
「どうしたんだイエス?」
「く、くく…」

「やったーあっ!」
「ひゃ!」
「い、イエス?」

「おめでとう、父さん、母さん!くぅーっ!」
「まぁまぁ、イエス…」
「そんなに嬉しいか?」

こんなに仲良し夫婦なのに、子供が居ないのが
前からずっと気になってたんだ。
ガブリエル様のお陰で、なんて照れ隠しなんかしなくっていいのに。
俺は嬉しさのあまり、思わず父さんと母さんを抱きしめた。

「前に、ガブリエル様に告げられた通りに不思議に子供が宿ってね」
「そんな、照れ隠しなんかしなくていいって。本当におめでとう、父さん母さん!はぁー、良かった…」
「あら、本当なのよイエス」
「まぁ、イエスにも喜んで貰えて嬉しいよ、ハハハ…」

「いつ頃?いつ頃生まれそう?」
「え、ええ、4ヶ月後くらいかしら…」
「母さん、どっか具合悪いとこはない?体調には十分気をつけて…」
「おいおいイエス、少し気にし過ぎじゃないか?」

何があったかはわからないけど、こんなに嬉しい事はない。
よーし、この勢いで、イエスキリストが荒野で一人断食したエピソード、
乗り切ってやろうじゃないか…!
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