第一話

文字数 759文字

 熱帯夜。酔っ払い。色混ざり合う蛍光灯。
 そんな下北沢を歩いていると、おしゃべりに夢中なバンドマンと肩がぶつかってぐらりと揺れる。死んでも生きているふりをさせられているドライフラワーみたいな僕は、「生き方に芯がない」だの「人として薄っぺらい」だの「体幹がまるでない」だのどうでもいいようなよくないようなことを言われながら、ふらふらとした足取りで人生を歩んでいた。
 そういえば自分も夢をつめたケースを背負って我が物顔でこの街を歩いていた時代があったと失笑する。信じる力が大切だって誰かが言ったせい。でもそもそも「信じる力が大切だ」って言葉を信じるために「信じる力」が必要な時点でそんなものは終わっている。
「相変わらずいい香りですね。フワフワする」
 雑踏の隙間、右斜め後ろからなんとなく聞き覚えのある声がして、僕は歩みを止めないまま緩慢な動作で後ろに目をやった。すると、背後を取ったことを誇るかのような笑みを浮かべるショートボブの女と視線がぶつかって、僕はその声と瞳と記憶とを一致させる。
「なんだ、ミーコか」
 つまらないふうに呟く僕に、
「もうちょっと驚くとか喜ぶとか慌てるとかなんかないんですか! ほら、知人との偶然の再会ですよ? それも大都会東京で!」
と口を尖らせる彼女。
「シモキタはそんな広くないよ」
 僕は「知人」という彼女なりにいつかの日々に気を遣ったのであろう(が、むしろどこか不自然に浮いている)ワードチョイスに小さく苦笑いしつつ後ろ歩きに切り替える。
「今日も練習?」
「いえ、今日はバイトです。大学生は社会人と違っていつでもお金がないんです」
 そう言って笑う彼女を見ていると思わず笑顔が溢(こぼ)れてしまいそうになるのだけれど、ふとそんな僕を見て嘲っている月末の夜空に気がついて、僕はそっと作り笑いに差し替えた。
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