第三章 三日目・絶望がくる、絶望がくる、絶望がくる(一)

文字数 4,072文字

 正宗は捻り鉢巻を外して自分の椅子にグッタリと腰掛けていた。正宗は何をするわけでもなく、自分のオフィスの窓から、外の荒野を眺めていた。
 荒野には雨が降ることが少なく、植物も生えていない。建造物もない。どこまでも焦げ茶色の地面が地平線にまで続いていた。

 星は一日が二十四時間で、日の入、日の出が存在する。が、夜が五時間と短いため、出社してから退社するまで、ずーっと明るい。そのため、出社時も退社時も、外の風景に変化がほとんどない。
 正宗の昼休みはとっくに終わり、就業時間はあと一時間ほど残っていた。だが、やる気は出ない。
 それもそのはず、仕事は確実に進み、進めば進むほど、売れそうもない〝トンデモ惑星〟としてマイナスの完成に向かっているのだ。

 だが、たとえゴミにしかならない仕事でも、現時点では、しないわけにもいなかった。
 正宗のオフィスの書棚には、作成した資料が着々と増えていった。また、整理された許可書の類も増えていった。
「今なら、まだプランの変更にも耐えられるんだがなー」

 あれから今までの星を参考に十ほどプランを考えたが、どの案も七穂の心を変えられるとは思えなかった。
「既存のものだと、七穂を納得させるのは無理だな」

 なんか、疲れたな。チラリと机の上の端末に目をやると、ディスプレイが表示している時間は、四時三十三分。退社時刻まで、あと五十七分あった。
 八時間勤務のうち七時間が過ぎても、集中力が途切れ、やる気がなくなると、時間の経過が長く感じる。

 コンコン、滅多に来客がないオフィスの灰色のドアを叩くような電子音がした。
「開いていますよ」
 ドアを開けた先には、ヒトノツラを着た源五郎が立っていた。
 源五郎は可愛らしく変換された声で返事する。
「じゃまあ、するぜ」

 源五郎は空いている椅子に座ると、可愛らしい外観を脱ぎ捨て、獣の正体を現した。源五郎は正宗を見て、傷のある顔で皮肉そうに笑った。
「おいおい、随分と楽しそうじゃないか」
「そんな風に見えるか」

「いや、でも。三分後のお前よりは、確実に楽しそうに見えるぜ」
 正宗は怪訝に思って顔をしかめた。
(三分後より? どういう意味だ?)

 源五郎は答えず、自分で勝手にオフィスの食器棚から筒と透明な椀を二つ取り出した。源五郎はグッタリしている正宗に構わずに、続いて筒からピンク色の茶葉を取り出した。
 源五郎は茶葉を円筒状の機械に入れて熱水で抽出し、椀に注ぐ。
 黙ってセルフサービスでお茶を淹れる源五郎を見ながら、正宗は訝しんだ。

 源五郎は何を言いたいんだ? 三分後がどうのと言っていたが、三分後になにが起きるんだ。
 正宗が辺りを見回しても、普段と変わらない。何も起きそうにない。誰か来客が来そうな気配もなかった。

 源五郎は何も言わず、お茶を淹れる作業に専念していた。
 やがて、できあがった湯気の立つお茶を正宗の前に置く。だいたい三分が経過していた。
 源五郎は先にお茶を一口すすってから、話を切り出した。
「惑星に推進装置を付ける話は、法務部でOKが出たそうだ」

 正宗の椀に付けかけた口が、思わずぎくっと止まった。
 最初は冗談かと思った。いや、冗談であって欲しかった。
 けれども、源五郎はそんな冗談を言う奴ではない。奴ではないが、万が一、風の吹き回しで、ということもある。

 正宗は淡い期待を寄せて、恐る恐る確認した。
「おい、嘘だろう?」
 源五郎は正宗を見ないように、茶色い湯飲みを手の中でクルクルと回しながら、
「これが実に、本当なんだな。最初は法務部の連中も『いくら何でも、それはダメだろう』と思いながらも、審査に掛けたそうだ。連中も、惑星を動かすと他の内部規則に触れるかどうか、ギリギリらしく、最初は許可しないという方向だった」

 正宗は身を乗り出し、勢い込んだ。
「当たりまえだろう。ウチは惑星開発事業部だ。宇宙を旅する惑星なんて、許されるか」
「ところが判断を下す前に、惑星開発事業部で前に同じことをやったかどうか、調べた。すると、古い資料で前例が見つかったそうだ。そしたら、法務部は『これは盲点を突かれた。前例があるなら、しかたない』と、今回だけは特別に認めようとなったらしい。まあ、前例主義というヤツだな」

「そんな! 前にやった奴がいるのか? 聞いたことないぞ。そんなの普通、ダメだろうし、昔はどうあれ、今はダメだろうー」
「まあ、次からダメということで法務部の連中が今、大急ぎで規則を改定中だ」

 正宗の心の中で、法務部の連中が和気藹々と前例があったことを驚き笑いあう姿が、浮かんだ。
 正宗の心の中では、法務部の連中は実に楽しそうに、無責任に改訂作業を行っているように思えてならなかった。

 正宗は天を仰ぎ、拳を握り締め、法務部の連中を呪った。
「バッカヤロウ。ダメならダメと、今回から禁止せんか。この無茶をお前らが止めんで、誰が止めるんだ! 俺か? 俺なのか? 大した権力もない、一チーフである俺が、停めるのか? できるわけないだろうー」

 源五郎は灰色の毛並みの肩を寄せてきて、小声で囁いた。
「ほら、三分前のお前のほうが楽しそうだ」
 そのまま正宗は、心の中にブリザードのように巻き起こる不条理と怒り、それに嘆きが加わった猛烈な嵐の中を、さ迷った。

 さ迷ったが、何をしても救いがない。周りは希望を覆い隠すような吹雪が、ただあるのみ。
 現実世界である程度の時間が過ぎた正宗は、幾分か冷静さを取り戻し、席に着いた。
「なあ、源五郎。ちなみに、この前の資料が見つかった惑星、いくらかで売れたか、わかるか?」
「前回は星が移動を開始すると、軌道を逸れて恒星に突っ込んで、丸ごと燃え尽きたそうだ」

 正宗の心の中で、機械大地が激しく燃え盛って「七穂様。万―歳―」と叫んで、灼熱の炎に包まれ、星ごと燃え尽きて滅びていく住民のパニック映像が浮かんだ。
 次に浮かんだのは薄暗い資料の倉庫に、ぽつんと一つだけ置かれた自分の机に、仕事が全然なく、ぼんやりと座っている自分の姿だった。

 源五郎はそこで一旦にやりと言葉を切り、低い声で告げた。
「そして、負債だけが残った。むふふふふ。実にミステリアスな結末だろう?」
 正宗は軽いめまいを覚えた。洒落にならん。俺にこれから起こりうるバッド・エンディングそのものの結末ではないか。

 きっと、出られなくなった洋館で、仲間が次々と消えて行き、辿りついた館の主人の部屋で『この日記を呼んでいる人へ』という書き出しで書かれた古いノートを見つけた人間の気持ちというのも、こういう状況なのだろうか。自分はヒーローではない。結末は死だ。

 正宗が椅子にぐったり沈み込むと、源五郎は立ち上がり、正宗に背を向けた。
「まあ、いいことは、そのうち何かあるさ」

 パタン。静かな部屋に、扉の閉まる無情な音がした。
 正宗は茫然自失して、しばらく何をしたか皆目わからない。
 だが、そのうちに部屋が暗くなってきた。僅かに正気が戻った正宗は、目の前のお茶をゴクリと飲んだ。

 お茶はすっかり冷め、苦味を増していた。正宗は「嫌なことは、今日中に済ませよう」と惑星用推進器の発注のために、部屋にあるクリーム色の受話器を掴み、電話を『来い来い屋』に掛けた。
 電話の向こうからは「ちーっす」という何語なのか全然わからん軽薄な挨拶が返ってきた。

 正宗が品物を注文すると、蘭孤丸は面白そうに確認する。
「その発注、マジッスか? ほんと、マジッスか? やるんス? ほんと、やるんス? マジ、凄くねえ?」
 正宗は受話器に怒鳴った。
「ウッサイわー。できるのか、できないのか、さっと答えろー」

 電話の向こうの蘭孤丸は、おどけたように答える。
「うわー、マジ。怖いッスね」
 それから次に、少し困ったように希望の言葉を吐いた。
「あれ、でも、そんなのあったかな。そんな品物、聞いたことないッスよ。ちょっと待ってください」

 そして、電話機は『エリゼーのために』の保留音が流れ出した。
 正宗の心に光明が差した。
(え、ないの? ないなら、いいんだよ、別に。やー、品物がないなら、仕方ないじゃん。不可抗力でしょ)

 品物が存在しないのなら、七穂がどう文句を言おうと、そんなの関係ない。できないのが事実だ。
 七穂がガッカリする姿を想像すると、なんだか口はしに笑みが浮かびそうだ。
 待ち時間が長くなるほど、期待が膨らんでいった。いつしか正宗の心の中でも保留音のメロディが流れ出し、正宗自身も『ちゃらららららん』と口ずさんでいた。

 しばらくして電話に蘭孤丸が戻ってきた。
「正宗さん、待たせて悪いッス。この件、ちょっと時間をくださいッス。できるだけ早く回答するッス」
 正宗の声が優しく、思わず甘くなる。
「ううん。急がないから、全然。それに、無理なら無理って言ってくれていいから」

「いやー。そう言って貰えると、すっごく助かるッス。何でも揃うがキャッチフレーズの『来い来い屋』ですけど、流石に惑星用推進機は難しいッス」
 正宗の心は躍った。『来い来い屋』で手に入らないのなら、この星系内で手に入るわけはない。つまり入手不可能、在庫なしだ。

 無論、他の星系を探せばあるかもしれない。だが、今回のプロジェクトは日数が短い。つまり、逃げ切り可能だ。

 正宗は弾む声で応じる。
「まあ、何にでも限度はあるってことだよねー。じゃあ、そういうことで」
 晴れやかに電話を切った。
「あーあ。これで美味い晩飯が食える」

 正宗はようやく確信して、椅子を回転させた。
 窓の外には、いつのまにか滅多に見られない黒雲が立ち込めていた。黒雲は電気を含んでいるせいなのか、白く光りっていた。天を覆う雷雲は、まるで悪神が含み笑いを漏らすように不気味に光っていた。
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