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 噂の神社までは歩いて30分以上かかった。距離で言えば公園から1kmほどなのだが、大通りから鳥居まで延びる桜並木が勾配のきつい上り坂となっていて、それがアオイにはこたえたのだ。

「ごめん……」

 数歩上るたびに、アオイは息切れして足を止めた。彼女に前を歩いてもらい、僕が背中を押すような形で進んでも同じだった。

 結局、最後の100mくらいは僕がアオイを背負って上った。彼女は初めそれを拒んだが、「このままだと日が暮れてしまう」と説得すると、しぶしぶ乗っかった。

「こんなとこ、知り合いにでも見られたらどうすんのさ」

「知り合いなら、みんな事情は知ってるよ」

「……」

 アオイは何も言い返さず、僕の肩を握る手に力を込めた。

 神社に着くころには日も半分落ち、夕方といっても差し支えない茜色の空になっていた。

 鳥居をくぐって、まっすぐ池まで向かおうとするアオイを引き留める。

「お参りしてからいこう」

「あ、うん、そだね」

 手水舎で手と口を清め、拝殿の鈴を鳴らした。お金は持ってきていなかったが、神様はそんなこと気にしないはずだ。

「最近はこういうとき、なんてお願いしたらいいのか迷っちゃう」

 アオイはそう言って短く笑う。僕が返事を迷っている間に、彼女は二度の拍手を終えてしまった。

 参拝を終えた僕らは、いよいよ境内の外れにある池へ向かった。まだ日が残っているとはいえ、表参道や本殿を離れると木々が生い茂った境内は薄暗く、ひとりだったら怖気付いて諦めていたかもしれない。

「妖怪とか出てきそうな雰囲気……」

 アオイが僕の腕にしがみつく。これから幽霊を呼び出そうとしている人間の言動とは思えない。

「幽霊と妖怪は違うじゃん! 幽霊はもともと人間なんだから、話せばわかるはずだもん」

「動物の幽霊だっているかもしれない」

 アオイは猫のような目で僕をにらんだが、しがみついた腕を離さなかった。

 この神社には何度も遊びに来ているから、池の存在は知っていたものの、あまり印象には残っていなかった。魚が泳いでいたり橋が架かっていたりするわけでもなく、拝殿の後方、摂末社へ続く細い参道の途中にぽつんとあるその小さな池は、完全に背景と同化してしまっている。

「池ってこれのことだよね」

「たぶん……キョウスケ、ほかに知ってる?」

 僕は首を横に振った。

「わたしも。じゃあ、試してみようか」

 アオイが一握りの花びらを、そっと池の上にまいた。花びらは風に舞い、まばらに水面へ落ちる。

 屈んでのぞき込むと、小さく波打つ水面には、ぼんやりと僕らの顔だけが映っていた。波が落ち着くまでそうしていたが、もともと映っていたものがやや鮮明になるだけだった。

「花びらが足りないのかも」

 僕が苦し紛れにそう言うと、アオイはもう一度、袋から花びらをつかみ取って水面に浮かべた。しかし、結果は変わらない。袋が空っぽになるまで繰り返しても同じだった。

「やっぱり、幽霊なんていないのかな」

 立ち上がったアオイは肩を落とす。

「噂が間違ってたってだけで、幽霊がいないと決まったわけじゃない」

「……うん」

 また別の方法を試してみよう、僕はその言葉を口にすることができなかった。代わりに、「遅くなる前に帰ろう」と言った。しかしアオイは食い入るように水面を見つめたまま、微動だにしない。もう一度声をかけようとしたとき、アオイが口を開いた。

「人間って死んだあと、また生まれ変わるんだって」

 アオイは視線を動かさずに続ける。

「そうなったらもう、わたしはわたしじゃなくなるんだよね。違うお父さんとお母さんがいて、何なら男の子かもしれなくて、隣の家には女の子が暮らしてたりして」

 嫌だなあ、アオイは震える声でそうつぶやいた。

「わたしはお父さんとお母さんの子供で、キョウスケの幼馴染でいたいのに」

 僕は言葉が見つからず、彼女と同じようにただじっと水面を見つめた。

 アオイの心臓が近い将来、正常な機能を失うということが分かったのは1年前、小学4年生の冬だった。それからは入退院を繰り返し、学校にもほとんど通えていない。そして推定される近い将来というのがこの年の冬にあたっていて、それが正しければアオイは来年の桜を見ることができない。

 首から上が固まってしまったようだった。何か言わなきゃと思うのだけど、考えることを体が拒絶している。心臓が波打ち、呼吸が浅くなる。鼻の奥が痛み、のどが震えて上を向いた。まだ青さが残る空の彼方に、真っ赤な太陽が沈みかけている。オレンジ色と紫色の部分に分かれていた雲は徐々に輪郭を失い、滲んで混ざっていった。

「ありがと、キョウスケ。今日は久しぶりに遊べて楽しかったよ」

 アオイは明るい声で言った。そのまま「じゃあ帰ろう」と一歩踏み出して、「あ!」と振り返る。

「今日のこと、わたしがいなくなったあとにも試してみてよ。わたしが幽霊になれたら、会いにきてあげる。もし会えなくても、わたしを思い出すことくらいはできるでしょ」

 けど春しか無理か──アオイの声が遠ざかっていく。胸が苦しくなって、手足が震える。僕は男で、辛い思いをしているのはアオイなのに。いくら自分にそう言い聞かせても、堪えることができなかった。(せき)を切ったように涙が溢れてきて、声が漏れた。立っていることさえままならなくなり、しゃがみこんだ。

 もうどうにもならなかった。涙も声も止まらず、体から押し出されていく。どうしてこんなことになってしまったのだろう。ほんの2年前までは、一緒にこの境内を走り回っていたのに。これまで直面してきた困難には、いつもそれなりの原因と手立てがあって、こんなにも理不尽でどうしようもないことなんて一度もなかった。自分が何を捧げ、どれほど拒もうとも、状況を打開することができない。

「いやだ」と繰り返す嗚咽に混ざって、「ごめん」というアオイの声が聞こえた。どうしてアオイが謝るんだと思ったけれど、やっぱり顔を上げることはできなかった。
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