第7話 ハルジのマラーイカ

文字数 5,237文字


 陽の沈みかけた公園で。

 さっきまでの楽しい気分を吹き飛ばされて、むりやりベンチに座らされている。
 ある意味カラオケボックスからは、本当に連れ去られてしまった。

 もちろん、縛られて拉致(らち)られたワケじゃない。
 けど、あまり経験したくないことに変わりはない。

「……なんで、こんなことするの」

 隣りで史菜が、にやりと笑う。
 それは学校で見せるやつより陰湿で、見ていると胃がキリキリしてきた。

 男バスの刈り込みキャプテンとその部員たちを引き連れて、再び登場した災厄の女王。
 教室で相手にされなかった時から、史菜の自尊心回復プログラムはここまで肥大化していたのだ。

「あんたは関係ないから、黙ってそこに座ってて」

 そのひとことだけでも、お腹がくだりそうなのに。

 体育館の1on1でプライドをボロボロにされたキャプテンが、バスケ部の何人かを引き連れてハルジを待ち伏せしている。
 史菜とキャプテンの怒りの矛先が、ハルジという異分子で一致してしまったのだ。
 いくら運動神経の突きぬけたハルジでも、この数の男子たちに不意打ちで囲まれたらどうしようもない。

 また、胃がキリキリと絞り上げられていく。

 ハルジの方が正しかった。
 ハルジの言う通り、あんな勝負には付き合うべきじゃなかった。
 そうすればキャプテンも、ここまで酷いことはしなかったはず。

 つまりこれは、全部あたしのせい。
 苦し紛れにハルジを巻き込んだ、あたしのせいだ。

「ねぇ、史菜」

「うるさいなぁ! あんま仲良くないんだから、気安く呼ばないでよ!」

「……ご、ごめん」

「プライドってねぇ、上の人間ほど高いの。わかんないと思うけど」

 こんな形でハルジを巻き込んでしまうことに、あの時は気づかなかった。
 こんなバカげた不良マンガみたいなこと、考えもしなかった。

「あっ、来た来た。こうでもしなきゃ話もできないなんて、ほんと屈辱よね」

「史菜……」

「ともかく。BOXで偶然クラスメイトに会ったから『あたしが勝手について来ちゃった』ってことで、いい? わかった!?」

 夕日を背にしたハルジは瞬きもせず、ゆっくりと歩いてきた。

 この状況、ハルジはどう思ってるかな。
 遙か遠い大地で10年以上も、たった1枚の写真だけを眺めて辛いことに耐えてきて。
 ようやく日本に来たら、気高い女子高生のプライドに振り回されている。

 しかも、その引き金をひいたのはあたし。
 ハルジから見たら、ほんとバカバカしいことだよね。

 でも、ごめんね。
 これがあたしの住んでる世界なんだ。

「アマネ、単独行動は心臓に悪いぞ」

「ごめんな……さい」

「無事ならいい。行くぞ」

「え?」

「次はゲーセンで、マラーイカを捜すんだろ?」

 まったく会話に絡めないどころか、存在すら否定された史菜が仁王立ちする。
 そんな史菜に目もくれないどころか、ハルジは背を向けたままだ。

「ちょっと! なにシカトしてんの!?」

「おまえに用はないからな」

 史菜の奥歯がギリギリと鳴って、トレーニングされた作り顔が歪んだ。
 人って無意識に、こんなひどい顔になることがあるんだ。

「用があるのは、私なの! この景色を見て、なにも気づかないわけ!?」

 そう言われて、あらためて周囲を見渡してみると。

 ここは通学途中にある、見慣れた小さな公園。
 色褪せた滑り台がひとつと、ブランコがひとつ。
 あとは、ベンチがひとつしかないけど――。

「……って、まさか史菜」

「そう。ここはあの写真の場所――私とハルジくんの、思い出の場所なの!」

 史菜が取り出したのは、古びた1枚の写真。
 そこには、見慣れたふたりの幼児がベンチに座らされている。
 それは間違いなく、3歳のあたしとハルジの写真。

「ちょ、なんで史菜がそれを!?」

「そんなの、決まってるじゃない。私がハルジくんの天使(マラーイカ)だからよ」

「な、なに言ってんの!?」

「どこかで見た写真だなー、とは思ってたけど。家のアルバムひっくり返したら、やっぱりあったんだよね。懐かしいわー」

「いや、それは」

「は? これ、あんたなの?」

 その冷徹な顔。

 史菜は、一瞬で表情を消すのがうまい。
 たとえ自分の知らない話を振られても、表情にさえ出さなければ、好きなようにコントロールできることをよく知っている。
 そのまま強気に会話を押し通せば、知らない話でも知っていたように聞こえる。
 時には、相手の話が間違っているように聞こえることもある。
 あたしはそれで、いつもやり込められてしまう。

 今、史菜は賭けに出ている。

 万が一の可能性――この写真に写っているのが、あたしだという可能性。
 ないわけではない、あり得る可能性。

 だから、強気に押し返してきた。

「その写真は……」

 あたしは相変わらず、言い返せない。

 事実なのに。
 絶対それ、あたしなのに。

 その一瞬のためらいで、話の流れは史菜に傾いてしまった。

「だよね。もしそうなら、なんで今まで黙ってるのって話だよね。それって意味ないっていうか、騙してるっていうか、ハルジくんに失礼だよね」

 たたみかけられると、いつも弱い心が折れてしまう。
 そしてもう、話の流れは戻らない。
 二度と言い返せない。

「そうだ、よね……」

 なんでハルジに、本当のことを言わなかったんだろう。
 なんで今も、言えないんだろう。

「でしょ? そんなの、あり得ないって」

 言えるはず、ないよね。
 だってハルジが10年以上思い続けてきた天使(マラーイカ)が、こんな自分勝手で嘘つきで卑怯な女だなんて、言えるはずない。

「……だよね」

「やっぱさ。ハルジくんの隣を歩くのは、私のような華やかな女の方が相応しいんだって。吉屋も、そう思うでしょ?」

 そうかもしれない。

 だいたいこんなドラマチックな生活なんて、あたしには似合わない。
 地味で人目につかない、いつも通りの平穏な生活に戻るべきだよ。

「そう、かもね……」

 あんな写真、なかったことにすればいい。

 ハルジは学校で史菜と知り合って、すぐにお互い気が合って。
 なんか、そういうのでいいと思う。
 過去とか事実とか、どうでもいいから。

 はやく、ここから帰りたい。
 はやく、ひとりになりたい。

 あれ?
 あたし、なんで泣いてるのかな。

 これって、自分で()いた種なのにね。

「ということでハルジくん。今日から私と――あっ!」

 すっと表情を消したハルジが、史菜から写真を奪い取った。

 そこにいたのは野生のハルジ。
 コーカサスの平原を生き抜いた、その鋭い視線。
 猛禽類のような目で、ハルジは写真を破り捨てた。


「オレの天使(マラーイカ)を泣かせた代償は、大きいぞ」


「ちょ、なにすんの! それ、あたしがハルジのマラーイカだって『証拠』なのに!」

「バカバカしい遊びに、アマネを巻き込むな。デジタルならもっと『当時の写真らしい画素』に加工するんだったな」

 チッ、と舌打ちした史菜が爆発した。

「もういい、アッタマきた! ちょっと秋人(あきと)、やっちゃって!」

 本格的な史菜の怒りは、ついに最終兵器を投入することを決めたらしい。

 どうしよう、ハルジが囲まれちゃう。
 こんなの、もう耐えられないよ。

「なにやってんの、秋人ッ!!」

 沈黙が続くだけで。
 どこからも、バスケ部が出て来る様子はなかった。

「もしかしてトイレの裏に隠れてた、あのキャプテンと愉快な仲間たちのことか?」

「えっ!?」

「泣きながら帰ったぞ」

「なッ――」

 首を回しながら悠然と史菜を見下ろし、ハルジが冷たくつぶやいた。

「男と女では代償の払い方が違うが」

「ま、待って! 私は――」

「今日のオレは機嫌がいいから、特別に選ばせてやろう」

「――ちょ、なにマジになってんの!? バッカじゃない!?」

「さっきまで真剣にやってたのはおまえだし、バカなのもおまえだ」

「こ、こんなの冗談(ジョーク)に決まってるでしょ!? わかんないかな!?」

「笑えないジョークに意味はないし、理解もできない」

「バカじゃないの!? 日本の文化を勉強してから来なさいっての!」

 青ざめた史菜は脇目もふらず、あっという間に姿を消した。

「……ヤレヤレ」

 涙で歪んだ向こう側で、ハルジはあきれ顔のまま溜め息をついていた。

 かける言葉が見つからない。
 全部が情けなくて、恥ずかしくて、消えてしまいたい。


 ――オレの天使(マラーイカ)


 つまり、最初からハルジは知ってたってことで。
 知った上で、あたしに付き合ってくれてたってことで。

「どうした、アマネ。ケガでもしてるのか?」

 ハルジのまっすぐな瞳が近づいて、節くれ立った指で涙を拭ってくれた。

「なんで……どうしてわかったの……あたしが、あの写真の子だって」

「初めから気づいてたよ。最初に会った、あの日からな」

「うそ……」

 涙は流さないよう必死になるほど、止められない。
 あたし、なにやってんだろ。

「10年以上も微笑んでくれたこの瞳に、オレが気づかないわけないだろ」

「……そんなの嘘だよ!」

 ハルジの温かい両手が、頬をそっと包み込んだ。
 それは間違いなく、誰よりも優しかった。

「人は嘘をつく。でもその瞳だけは、決して嘘をつかないものだ」

 急に近づいたハルジの吐息が天寧をくすぐり、ふたりの唇が優しく触れあった。

「――っ!」

「すまん。ずっと、キスしたいと思ってたから」

 返す言葉も見当たらないし、体も動かない。
 世界は逆転して、足元がふらついてる。

「どうしたんだ?」

 ケラケラ愉快に笑うハルジが夕日に映えると、ようやく縛られていた緊張がとけた。
 でも、頭には「?」マークが回り続けるばかり。

「なんで、キスとか……」

「いや、可愛いなと思って」

 追い打ちの言葉に、つま先から耳まで熱くなった。
 と同時に、涙で世界が歪み始めた。

「……意味、わかんない」

「お、おいおい! 泣くほど嫌だったのかよ!?」

「そうじゃ、なくて……」

 なんで今、あたしにキスするの?
 なにこれ、どういう意味なの?

 これが海外の軽い挨拶なら、はっきりそう言って欲しい。
 こういうの、日本では重いんだから。

「ほら、行くぞ。もうここに用はない」

 すっと差し出されたこの手を取っていいのかも、わからない。
 世界を止めてしまうのは、一瞬でできるらしかった。

「腰、抜けたのか?」

「ち、違うよ!」

「じゃ、なんだよ」

「……あたし、なんだよ?」

「アマネは、アマネだ」

「そうじゃなくて!」

「だから、なんなんだよ」

「あの写真――10年以上もハルジが大事にしてた写真の子、あたしなんだよ?」

「そうだな」

「ハルジは知らない国で……ひとりぼっちでがんばって生きてきたのに、あたしなんて……学校ですら、うまくやっていけないやつなのに……」

 ゴシゴシっと、節くれ立った手が涙を拭ってくれた。
 見あげたハルジの顔は、真剣だった。

「オレはあっちの世界で、自分にできることをやってた。アマネはこっちの世界で、できることやってた。なにも違わないぞ」

「そんなわけ」

「ある。自分のいる環境に合わせて生きていくことが、最も優れた環境適応能力だ」

「……わかんない」

「海を泳げる魚と、空を飛べる鳥。どっちが強いか偉いかじゃなく、その環境に適応しただけってことだ」

 ハルジは慰めるわけでもなく、ただ淡々とそう言った。

 そんなこと、今まで誰にも言われたことがない。
 あたしのやってたことは、自分の身を守る卑怯なやり方だと思ってたけど。

「……ハルジの天使(マラーイカ)が、あたしみたいな女でいいの?」

「もちろん」

「想像と違って、ブスでデブで暗くて色気がなくて」

「めんどくせぇなぁ」

「ちょ――」

 言い終わる前に、ぐいっとハルジの胸に引き寄せられた。

「これがオレの答え。伝わってる?」

 顔を埋めたハルジの胸は厚く、そしてあたしと同じように高鳴っていた。

「ドキドキしてる……けど」

「おそろいの気持ち、ってことだな」

「……ハルジ」

 そしてハルジは、子供のような悪戯っぽい笑顔を浮かべて覗き込んできた。

「ところでアマネ。チーフが帰ってくるまであと3日しかないけど、どこに行けばオレの天使(マラーイカ)は見つかるかな?」

「えっ?」

「海かな? 山かな? もしかして動物園? ディズニーランドとかにいたりしてな!」

 無邪気に、もの凄く楽しそうな笑顔を浮かべているけど。
 なに言っているのか、まったく理解できない。

「アマネは、どこだと思う?」

「どこって……なに言ってんの?」

 待って、そういうこと?
 最初から、やり直すってこと?
 今までのこと、なかったことにしてくれるの?

 ようやく言葉の意味が理解できると。
 ぐるぐると目が回り、ついでに止まっていた世界も回り始めた。

 思わず、腰に回されたハルジの腕をぎゅっと掴んでしまう。

「……う、海の方に行けば、見つかるかもよ?」

「だな、オレもそう思ってた。明日は海に行ってみよう」

「あ、でも学校……」

「そんなことじゃ、いつまでたってもオレの天使(マラーイカ)は見つからないかもなぁ」

 そしてハルジは、無邪気な笑顔を浮かべた。


 いつか本当の意味で、ハルジの天使(マラーイカ)になりたい。
 それ以外のことを、今は考えられなかった。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み