帰ってきた少女5
文字数 1,732文字
「ウォーミングアップは終わりよ」
などとはったりをかました楓は、意外と冷静に自分の身体の状態を把握していた。
なぜか知らぬが、首のつけ根に激痛が走り、右手が痺れて動かないこと。
側頭部にも痛みがあり、どうやらそれが原因で『意識』がしばらくの間、失われていたらしいこと。
ハイキックくらった、かすかな記憶が、楓の脳裏に残っていたことが幸いしたようだ。
それでも、完全にクリアーな意識に戻るまでは、かなりの時間が必要であることは明白だった。
失われた記憶は仕方ないとして、右半身の痺れの回復のための時間を稼がなければならなくなった。
ま、それもこの相手が許してくれればの話である。
美奈子はそれほど甘い選手ではないはずだ。
獲物の弱っている度合いを慎重に窺う猫科の肉食獣よろしく楓に迫りつつあった。
おそらく、少しでも弱みを見せれば、かさにかかって攻めてくるはずだ。
ここからが楓の腕の見せどころであった。
美奈子は左手をかざすようにして、楓に右手を組んでこいと、無言の圧力をかけてきた。
最終的には両手を組んで、いわゆる力くらべをやろうというのだ。
通常、試合のオープニングによく見られる光景だが、その行為が楓のダメージをはかる絶好の機会であることは、はっきりしていた。
しかも、流れ的にも、試合が振り出しに戻ったのだからなんら不自然なところがない、というのが実に巧妙でしたたかな美奈子の策略だった。
とても新人とは思えない試合運びである。
この試合のペースを支配しているのは、依然として美奈子であった。
ゆっくりと右手を頭上に差し出してから、楓は美奈子の誘いに乗ることにして、組みに行こうとしていた。
力くらべを拒否したところで、いつかは楓が痛めた場所はばれてしまうのだ。
いっそのこと、組む仕草をしながら、慎重に時間をかけていけば回復のための時間が稼げそうである。
そう思った。
いかにも組むのに細心の注意を払っているように見せかけて何度も組みかけては、手を放す。
これを繰り返してみる。
結構、こういう細かい演出は客席に受けがよく、振り出しに戻った試合を徐々に盛り上げていくために効果的であった。
楓が組みに行って手を放す度に、
「ほう」
という観客のため息が所々から聞こえてきた。
調子に乗った楓は、両手を高々と上げて手拍子を始めた。
観客たちもそれには思わず乗せられて、手拍子の輪が広がっいった。
「いいぞ、柳沢!!」
という掛け声まで飛ぶ始末だ。おそらく、昔の楓のファンであろう。
楓も投げキッスを返す。
リングの上は楓の一人舞台のような状況になってきた。
楓は観客を味方に引き込みつつあった。
リングの中で、ふたりは左回りに回転しながら間合いをはかっていた。
回りながら、美奈子は嫌そうな表情をちらりと見せた。
傾きかけたペースを楓に戻されて、まんまと回復のための時間稼ぎまでされている。
美奈子の心の中では楓に対する憎悪が渦巻いているだろう。
が、それも一瞬で、次の瞬間、満面の笑顔を浮かべると、楓と同様に手を鳴らし始めた。
ふたりの手拍子が観客たちを魅了し、会場がひとつになろうとしていた。
会場の雰囲気を味方につけることは、レスラーにとって思った以上に大切なことであった。
相手を圧倒するだけでなく、観客の応援から『目に見えないエネルギー』のようなものをもらうことができる。
それがレスラーに普段以上の力を出させて、名勝負を生む原動力となるのだ。
楓は観客と対戦相手、そして、自分自身の力を120パーセント引き出した舞台で戦いたかった。
右手の感触を確かめながら、回復具合を確認する。
拳をぐっと握りしめた。
「そろそろ行かせてもらうわよ」
楓は、美奈子にだけ聞こえる声でそっと語りかけた。
美奈子は不敵な笑みを無言で返してきた。
などとはったりをかました楓は、意外と冷静に自分の身体の状態を把握していた。
なぜか知らぬが、首のつけ根に激痛が走り、右手が痺れて動かないこと。
側頭部にも痛みがあり、どうやらそれが原因で『意識』がしばらくの間、失われていたらしいこと。
ハイキックくらった、かすかな記憶が、楓の脳裏に残っていたことが幸いしたようだ。
それでも、完全にクリアーな意識に戻るまでは、かなりの時間が必要であることは明白だった。
失われた記憶は仕方ないとして、右半身の痺れの回復のための時間を稼がなければならなくなった。
ま、それもこの相手が許してくれればの話である。
美奈子はそれほど甘い選手ではないはずだ。
獲物の弱っている度合いを慎重に窺う猫科の肉食獣よろしく楓に迫りつつあった。
おそらく、少しでも弱みを見せれば、かさにかかって攻めてくるはずだ。
ここからが楓の腕の見せどころであった。
美奈子は左手をかざすようにして、楓に右手を組んでこいと、無言の圧力をかけてきた。
最終的には両手を組んで、いわゆる力くらべをやろうというのだ。
通常、試合のオープニングによく見られる光景だが、その行為が楓のダメージをはかる絶好の機会であることは、はっきりしていた。
しかも、流れ的にも、試合が振り出しに戻ったのだからなんら不自然なところがない、というのが実に巧妙でしたたかな美奈子の策略だった。
とても新人とは思えない試合運びである。
この試合のペースを支配しているのは、依然として美奈子であった。
ゆっくりと右手を頭上に差し出してから、楓は美奈子の誘いに乗ることにして、組みに行こうとしていた。
力くらべを拒否したところで、いつかは楓が痛めた場所はばれてしまうのだ。
いっそのこと、組む仕草をしながら、慎重に時間をかけていけば回復のための時間が稼げそうである。
そう思った。
いかにも組むのに細心の注意を払っているように見せかけて何度も組みかけては、手を放す。
これを繰り返してみる。
結構、こういう細かい演出は客席に受けがよく、振り出しに戻った試合を徐々に盛り上げていくために効果的であった。
楓が組みに行って手を放す度に、
「ほう」
という観客のため息が所々から聞こえてきた。
調子に乗った楓は、両手を高々と上げて手拍子を始めた。
観客たちもそれには思わず乗せられて、手拍子の輪が広がっいった。
「いいぞ、柳沢!!」
という掛け声まで飛ぶ始末だ。おそらく、昔の楓のファンであろう。
楓も投げキッスを返す。
リングの上は楓の一人舞台のような状況になってきた。
楓は観客を味方に引き込みつつあった。
リングの中で、ふたりは左回りに回転しながら間合いをはかっていた。
回りながら、美奈子は嫌そうな表情をちらりと見せた。
傾きかけたペースを楓に戻されて、まんまと回復のための時間稼ぎまでされている。
美奈子の心の中では楓に対する憎悪が渦巻いているだろう。
が、それも一瞬で、次の瞬間、満面の笑顔を浮かべると、楓と同様に手を鳴らし始めた。
ふたりの手拍子が観客たちを魅了し、会場がひとつになろうとしていた。
会場の雰囲気を味方につけることは、レスラーにとって思った以上に大切なことであった。
相手を圧倒するだけでなく、観客の応援から『目に見えないエネルギー』のようなものをもらうことができる。
それがレスラーに普段以上の力を出させて、名勝負を生む原動力となるのだ。
楓は観客と対戦相手、そして、自分自身の力を120パーセント引き出した舞台で戦いたかった。
右手の感触を確かめながら、回復具合を確認する。
拳をぐっと握りしめた。
「そろそろ行かせてもらうわよ」
楓は、美奈子にだけ聞こえる声でそっと語りかけた。
美奈子は不敵な笑みを無言で返してきた。