文字数 2,026文字

 ちょっとムッとした。
「そうだね、『癒し』を挙る人は結構いたかな」
 筆圧はダントツだった、と笑いながら言われた。
「やる気の現れなんじゃないの?」
「いやいや、それを言うなら必死さでしょ」
 採用ご担当のみなさんは、こんな話をなさっていたかもしれない。だって、ワタシが採用する立場なら、そう思うし。実際、筆記試験は散々だった。百人が百人考えるような、しょうもない答えしか書けなかったんだ。

問題1と問題2のいずれかを選び、答えなさい。
問題1:「広辞苑」に掲載されていない言葉をできるだけ多く挙げなさい。
問題2:「誰にもわからないこと」を一つ挙げなさい。

 できるだけ多く。一つだけ。できるだけ多くの方が簡単そうに思えた。だって、たくさんの候補の中から一つを選ぶのは大変でしょ。しかも誰かを納得させなきゃいけないんだぜ。ワタシに考えられるのか。多分、無理。でも、できるだけ多くなら、とりあえず数を稼げれば、どうにかなるかもしれない。状況を考えると、数でごまかせ作戦しかないと思ったんだよね。
 でも、広辞苑か。ヤバイな。実家にはあった。あったにはあったけど、触ったことは数えるほどしかない。触っていても、いなくても、載っていない言葉、載っていない言葉……。そうだ、とりあえず、あ行だ。頭の中でキーを叩く。叩く。叩く。あ、まじヤバイ、「あげぽよ」しか出てこない。さらに連打する。「アウェイ」「アド変」「アラサー」ほんと、ヤバイよ。こんなのしか思いつかない。
『気分が昂揚し、テンションが上がっている状態などを指す若者言葉。女子高生などを中心に使われる。このネイル人気高めであげぽよー。逆の意味を示す「さげぽよ」もある』
 なんじゃこりゃ。こんなんでいいのか。いいわけないけど、ワタシはこのまま突っ走るしかない。歩けもしないのに、走ろうとした……って、誰の歌だっけ。あぁ、もう、バカッ!そんなこと考えてる場合じゃないの!とにかく足がもつれて倒れこむまで突っ走れ!で、た行「ツンデレ」までがんばったのよ。選考後のデレと表現される、好意的な通知をわずかに期待しながら、力尽きたの。
 I couldn’t walk and I tried to run……。やれることはやった。とりあえず、そういうことにして脳内PCをシャットダウンしたのよ。
 ワタシはアホである。でも、悪あがきはこんなに得意だったんだ、とつくづく思った。

 それじゃ、ワタシは筆圧で入社できたってことですか?確かにキーはバチバチ叩きましたけどね……。
「そんなことあるわけないじゃないか。ボクたちはね、こうしてキミを迎えられたことをうれしく思ってるんだから」
 この人がOJT指導員か。みなさんチノなのに、この人はプレスに効いた細身のパンツを穿いている。おまけにビットモカシン。清潔な感じは好感が持てるけど、ちょっと嫌みな感じがしないでもない。

 広辞苑は、ぶ厚く、ほぼ立方体と思えるくらいだ。
 筆記試験を終え、やるせない気持ちのまま書店に向かった。もちろん最新版の広辞苑を買うためよ。自分にチクショーッだ。そんな気持ちを乗せて、ドスンとレジに置いた。
 ずっしりと重い。膝の広辞苑をにらみながら電車に揺られ、帰路についた。これが言葉の重みってやつなのか。こんなセンセイ面した辞書に載ってない言葉って、いったいどんな言葉よ。普段から、吹けば飛ぶような言葉で生活してるワタシには、全然わかんないよ。  
 でもさ、へ、どうせお試しで受けたんだから、わかんなくたってどうってことないけどね。と、負け惜しみを言う。人生を左右するような場面でコテンパンな目にあっても、なお、自分のアホさを棚に上げる。そして帰宅し、一人になったら、どうせワタシなんかといじける。ワタシはその程度なのだ。なーにが、あげぽよだ。でも、ワタシにはこんな言葉がお似合いなんだよ。
 でもでも、でも、正直に言うと地団太くらいは踏みたいんだ。でもでも、でも、踏むに値する努力をしてきたかというと、わかってるのよ。ほうら、してこなかったじゃん。あぁ、もぅ、ワタシって……、ホント、ダメダメじゃん……。

「割り切りというか、居直りというか……。面白かったよ、キミの解答。親切で説明もしっかりしてたし。何よりもね、分かりやすかったんだ。そのまま新明解に載せられるくらいだったよ。あ行から始めるなんて、キミに興味を持った人事も多かったらしいよ」
 割り切り……。居直り……。今のお言葉、もしかしたら、軽くバカにしてませんか?実際、アホなんだから仕方ないですけど。少々不本意ではありますが、励ましとして受け取っておきます。あ、わざとらしく口角を上げた。ワタシも魅惑の微笑みで応えたかったけれど、頬が引きつって笑えなかった。チェッ。
「ご迷惑をおかけするかと思いますが、ご指導の程、よろしくお願いいたします」
と頭を下げる。いまの挨拶、きっと棒読みの台詞みたいだったろうな。チェッ。

 

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