第30話
文字数 2,858文字
右腕を上げると彼女の薔薇のマークの施された包帯が目に入る。彼女のおかげでミカロの呼吸も落ち着きを取り戻していた。回復薬は実際味がひどい。今回は苦しまなくて済むことがどんなにうれしいことか。
いや、少し失礼だな。
彼女は自分の心を押さえつけるように、両手を胸前で握った。
首を縦に振る。何より彼女に恩返しができることに腕を振り上げたいぐらいだ。負傷者に向かってそんな興奮めいた事は出来ないけれど。
エイビスさんは彼らに捕らえられるまでは1人でクエスターをしていた。楽しく過ごしていたようだけれど、彼らの人数差には勝てず僕たちと出会うことになったのだという。
砂男と氷の武器を使う2人は倒したというのがすごい。僕は戦っていないからわからないが、おそらく彼らも生半可な強さではないだろう。やっぱり1人の方が責任で強くなれるのか?
彼女は目を輝かせて僕に意思を告げる。その勢いにうなずかないわけにはいかない。彼女の治療技術やさっきの話での力量はきっと僕たちにとって何かの変化を起こしてくれるはずだ。
冷や汗が頬を流れる。
彼女は身体ごと僕に飛び込む。距離が近い。僕はソファーから立ち上がりミカロのことを彼女に任せた。
雲が広がるばかりで景色の変化が難しい。どうやって場所を見分けているんだろう。そんなことを考えていたらファイスたち3人と出くわした。
また論争が始まってしまった。話し倒すことが大切だとは思ったものの、終わりの見えないものほど恐ろしいものはない。僕は彼らの間に無理やり押し入り提案を始める。
けれどそれは話がほぼ終結したころだった。息が痛い。リラーシアさんとの日々に影が見え始める。
ファイスの印象が変わる。そうか、だから彼はミカロを心配していたのか。てっきり彼女のことを好いているのものかと。もしかしたら感情が変化することもあり得なくはないけど。
僕は彼にエイビスさんを連れてくるよう言われ、その後にミカロの体調確認を彼女から任された。そうだ、彼女への言葉を忘れるところだった。
彼女は髪を整える最中だったのか、全てを毛布の上に置き、机には櫛が置かれていた。彼女は窓を向く。嫌われるのも無理ない。
椅子に座り彼女の体調を訪ねる。言葉は帰ってこない。寝ていると思いたいが、彼女に限ってそんなことはあり得ないだろう。彼女は窓の雲のない場所の景色を楽しんでいるように見えた。
僕に気が付くと彼女は身体を固まらせた。どうやら気づいていなかったらしい。僕は苦笑して彼女から目を逸らす。気づいてもらえたところで僕は上半身を彼女にもたれる。
沈黙。当然だ。恩人に失礼なことをしてしまった。僕に彼女の言葉は必要ない。大切なのは向上心だ。言えただけでも後悔はない。
頭が揺れる。いつものお手つき(チョップ)だ。けれど羽毛に包まれていたように柔らかい感触がした。
彼女は答えをくれなかった。逃げるようにベッドの中に隠れ休養を取り始める。おとなしくここから去ろう。
彼女のことを気持ちが悪いと思ったのはこれが初めてだ。心の中に雲が浮かんでゆく。そんな彼女に僕は言葉を失っていた。
僕のベッドに飛び込み目を閉じる。さっきの彼女のことが頭から離れない。いったい何があったんだ。知りたい。一緒に戦っていたのはアスタロトさんか。探してみるか。