五次元の彼

文字数 4,971文字

 二次元、三次元にかかわらずメディアの中の人物に

夢中になる人の気持ちが分からない。そりゃあ、わたしにだって好きな芸能人はいる。でも現実の恋は全く別モノ。それこそ次元が違う。わたしはリアルな恋を絶対に(おろそ)かにはしない。

 例えばアイドル。いくら熱を上げたところで一方通行。向こうは商売。こっちは客なんだから笑顔くらい大陸からの黄砂並みにはばら撒いてくれるだろう。そこんところを(わきま)えた上での推し活ならいい。理解が及ばないのは、そんなアイドル

を頑ななまでに恋愛対象にしてしまっている人。馬鹿じゃないのって思ってしまう。

 でも、そんな馬鹿の一人を好きになってしまったわたしはもっと馬鹿だ。

 彼は

カッコ良くて、優しくて力持ち。柔道部なんていうモテない部活だから競争相手(こいがたき)もほとんどいない。何よりもTVの中ではなくすぐそこに実在する。三次元どころではない。高校時代という貴重な時間を共有する四次元の存在だ。更に数学の苦痛を同じくする五次元の同志と言っても過言ではない。

 あれは去年の春だった。諸々予定が狂って夜道を一人歩く羽目になった。暗がりを一人歩く、こんなに愛らしく幼気(いたいけ)な自称美少女を町の破落戸(ごろつき)共が見逃してくれるはずがない。わたしはガラの悪い男たちに取り囲まれ、貞操の危険を感じていた。

 神さま、助けて。

 それまで縁結びの神さまにしかお賽銭を投じたことのなかったわたしが、八百万(やおよろず)の神に祈りを捧げた。

 神は存在する。こういう体験が人を信仰へと導くのだ。それは一瞬の出来事だった。絶対絶命剣ヶ峰(けんがみね)紐無しバンジーの飛び込み台にまで追い詰められたわたしのすぐ側を、暴走機関車が走り抜けた。もしかしたらそれは厩舎(きゅうしゃ)を逃げ出した黒毛和牛の群れだったかもしれない。気づけば周囲には破落戸(ならずもの)たちの(むくろ)が転がっていた。実際には誰も命は落としておらず、連中の苦しそうな呻き声が牛蛙(うしがえる)のようであった。

 何が起こったのか。それを知る手掛かりは足元に落ちていた。同じ高校の生徒手帳。そこに五次元の同志、モテない柔道部の彼の写真があった。その瞬間、全てを悟ったわたしは恋に落ちた。

「知らないよ」

 偶々(たまたま)家にあった評判のクッキーを添えてお礼方々生徒手帳を返しに行った時、彼は必死になって関わりを否定した。けれど恋に落ちたわたしとてあっさり引き下がるわけにはいかない。「でもでもだって」と粘っているうちに理由(わけ)が分かった。事情がどうあれ部員が暴力を振るったとなると柔道部が活動停止処分などを受けるかもしれないと。

「俺は何も知らないんだぁ、勘弁してくれぇ」

 事情を呑み込んだわたしは、譫言(うわごと)のようにそう繰り返す彼にどうにか生徒手帳とクッキーを押し付けて、その場は一旦引き上げた。だが、リアルの恋を疎かにしないわたしがそのまま撤退するはずがない。撤退したと見せかけて裏で彼に関するリサーチを進め、一週間後には反転攻勢に打って出た。

 常に腹を空かせている——。その情報は正鵠(せいこく)を射ており、彼はまんまとわたしが作るおにぎりの(とりこ)になった。正確には母の手が一部加わってはいたけれど。

 あれから数か月。すっかり距離は縮まったものの、彼の方から告白してくれる気配は皆無。「勘弁してくれぇ」が「おにぎり(うめ)ぇ」に変わっただけだ。業を煮やしたわたしは満を持して、母の手が一部加わったチョコレートを得物(えもの)にバレンタインの乱に打って出た。そしてあえなく討ち死んだ。

「ごめん、他に好きな女の子がいるんだ」

 冗談良子さん。この数か月、散々わたしの(一部母の)おにぎり食べたやん! そのデカい身体の一部は確実にわたしの(一部母の)おにぎりで出来てるやん! それなのに……。

「さいってえーっ!!」

 わたしはチョコの入った袋で彼の頬を張り飛ばし、三日三晩泣いて過ごして学校を休んだ。四日後、彼から目を疑うLINEが来た。

>> 沙也加(さやか)の作ってくれたおにぎりがないと力が出ない。

 沙也加はわたしだ。母ではない。

>> 試合が近いんだ。おにぎりプリーズ!

 ざけんな。おにぎりくらいママに作ってもらわんかいっ! そんな心の声をそのまんま文字に起こして返信をしたら、また信じられない返信が来た。

>> 母は五歳の時に亡くなりました。

 ざ、ざけんじゃねえ。何でわたしが罪悪感を抱かなきゃならんのだ。

 わたしは泣き腫らした目が治まるのを待って、コンビニでおにぎりを五つ買って彼の家に向かった。けれどやっぱり顔を合わせる勇気は出ず、ドアノブに袋をぶら下げて帰ろうとした。その時だ、彼が家から飛び出して来たのは。

 わたしに気づいて飛んで来たのね! などと一瞬でもキュンとした自分を絞め殺してやりたい。いや、そんな表現は不適切か。でも気持ちは分かってもらえるはず。だって、その時の彼は他の女の名前を叫びながら、わたしには目もくれずわたしの横を駆け抜けて行ったんだから。もう大抵のことでは動じない。そんな自信が芽生えた瞬間でもあった。

「くぉらぁっ、待てやぁあ!」

 実は陸上部のわたしは全速力で追いかけた。彼は柔道は強くても足は遅い。だから案外とあっけなく追いついた。

「どういうことなのよ、説明しなさいよ!」

「あ、沙也加、久しぶり。元気?」

 元気じゃねえよ。

「……モモコって誰よ?」

 不気味なことに彼は途端にぽっと頬を紅く染めた。

「どうして沙也加が萌々子のことを?」

「あんたがさっきモモコォって叫んでたんでしょうが」

「あ、そうか。実はさ」

 彼は悪びれもせず、持っていたスマホをわたしに見せた。

>> KGYPのエース、加古川萌々子が体調不良のため活動休止

 表示されていたのはそんな芸能ニュースだった。加古川萌々子は国民的な人気を誇るアイドルグループの、中でも一二を争う人気メンバーの一人だ。

「あんた、萌々子ちゃんのファンなの?」

 儚さと力強さを併せ持った本物の美少女である彼女のことはわたしも好きだった。

「言っただろ。俺は萌々子のことしか考えられない。だから沙也加の気持ちには応えられないって」

 聞いてないし。わたしってそんな理由で振られたの? わたしの涙を返してくれ。

「で、萌々子の活動休止が悲しくて駆け出したっての?」

「違うよ。これ見て」

 彼はまたスマホの画面をわたしに向けた。今度はSNSにあがった萌々子の目撃情報だった。

>> ◯◯駅で萌々子発見。ホントに体調不良なの?

 駅舎をバックに帽子とサングラスとマスクで変装している女性の写真が添えられている。それだけ顔を隠した小さな写真でも、隠し切れないオーラがあった。間違いない。これは加古川萌々子だ。

「この駅って、すぐそこじゃない」

「そうなんだ。目撃情報からまだ何分も経っていない。萌々子がいるんだよ、この町に」

 萌々子がいるんだよ、この町に。興奮した彼がもう一度そう繰り返した時、わたしは自分の記憶の一部が欠落していることに気がついた。つまり、わたしがこの男のどこに惚れたのかという部分の記憶が。

 さて、何をどう言ってやろうかと考え始めた時、彼の表情が変わった。足を開き気味に腰を落として立ち、一度高く上げた両腕を身体の前で構えた。まるで試合開始の合図を待つかのように。

「どうしたの?」

 彼の視線を追った。向こうから男が一人、駆けて来る。そして、その後ろを追って来る女性。女性は片手に持った帽子を振りながら何かを叫んでいる。その出で立ちは先ほど見た加古川萌々子ではないか。いや、まさか。そんな——でも、彼女は体調不良ではないのか。

「誰かぁ、その男を捕まえてぇ~!」

 男は一目散に駆けて来る。モテない柔道部員とそいつに振られた女に向かって。次の瞬間、男の身体は宙を舞っていた。

 彼が男の腕を取って豪快に投げを打ったのだ。男が向かって来る力も利用したのだろう。彼は苦も無く男の身体を宙に飛ばした。わたしはと言えば、さっき失ったばかりの記憶を早速取り戻した。

 そこへ国民的アイドルが追いついて来たかと思うと、わたしや彼には目もくれず、倒れた男の元に駆け寄った。そしてわたしはまた自分の目を疑う光景を目の当たりにする。

「タカシぃ、大丈夫ぅ?」

 萌々子は(いた)わるように抱きかかえ、男の頭を自分の膝に載せた。

「大丈夫なの? 骨折れてない?」

 男は腰のあたりをさすりながら、大丈夫大丈夫と繰り返した。

 いったい何を見せられているのか。わたしの隣ではモテない彼も呆然自失としている。そしてそんな彼の方に向けられた萌々子の言葉に、わたしは自分の目に続いて耳まで疑うことになる。

「ちょっと、あなた、何してくれてるのよ。タカシが怪我でもしたらどうするの!」

 え、いや、でも、あなたが男を捕まえろと言うから彼は——。

 その彼は何も言い返せず完全にフリーズしている。最愛の人であろう萌々子に会った感動やら、その彼女から文句を言われたショックやらで機能停止状態みたいだ。

 仕方ない、代弁者になろう。

「萌々子さん、あなたね、あなたが捕まえろって言うからこっちはてっきり引ったくりか何かかと思って捕まえたんじゃないですか。文句を言う前にお礼か謝罪を述べるべきなんじゃないですか」

 萌々子が何か言おうとしたのは分かったが、わたしは感情の高ぶりを抑えることが出来なかった。

「彼はね、あなたを助けようと思ってそいつを捕まえたの! 下手に暴力を使ったら柔道部が活動停止にされる危険だってあるのに、そんなリスクを冒してまであなたを助けようとしたの! わたしだってね、あなたのせいで数か月もの間おにぎりを貢がされた挙句に振られて、それなのにまだおにぎりを作れなんて言われる羽目に陥ってんの! 分かる⁈ だから、いったい何がどうなってるのか、ちゃんと説明くらいして下さい。わたしには、彼にも、聞く権利がある!!」

 そこでフリーズが解けたのか、彼が口を挟んだ。

「沙也加、もういいよ」

「え、でも」

「ごめんなさい」

 萌々子は男を膝に抱いたまま、思いのほか素直に謝ってきた。

「彼、タカシは、わたしがアイドルになる前につき合っていた彼氏なの。オーディションに合格した後、わたし、彼に振られたんだ。わたしの友達のマイとつき合うことになったからって。アイドルになったら彼と別れなきゃいけないってのは分かってたけど、でも、別れるにしてもちゃんとお別れしたかったのに。ばっさりと振られちゃって。でも、気持ちを切り替えて、アイドルの仕事頑張って来たのよ。なのに、こないだ、ひょんなことからマイとつき合うなんて真っ赤な嘘だったってのが分かって。こいつ、わたしがアイドル活動に専念出来るようにって、わざと……」

 萌々子の声が詰まった。膝の上の男を抱き締めて泣いている。
 モテない彼はまたフリーズしたように、そんな二人を見つめていた。

「あー、やだやだ」ふいに大きな声を出したかと思うと、萌々子は乱暴に手で涙を拭った。

「こんな男の為にまた泣くなんて。わたし、今日は仕事をサボって、こいつを一発殴りに来たの。お陰様でもう恋愛感情なんてこれっぽっちも残ってないけど、でも、騙されたままなんて我慢できなかったから。だから、本当はもっと思い切り投げ飛ばしてくれちゃっても良かったんだけどさ。ごめんね、変なことに巻き込んじゃって」

「あ、いや、彼、前からずっと萌々子さんの大ファンなんで、だから一生の思い出になると思います。色んな意味で」

「なるべく推し変しないでね、なんて、こんな姿見せちゃったら無理か。ははっ」

 モテない彼は最後まで言葉を発することなく、去って行く二人を見送っていた。わたしはそんな彼と二人の背中を見比べながら、自分の感情の在処(ありか)を探していた。こんな短時間のうちに感情をぐちゃぐちゃにされたのは初めてだ。

 まあ、とりあえず、次の試合まではおにぎりを作ってやることにしよう。

 *

 彼は次の試合で初めて決勝まで進んだものの、惜しくも準優勝に終わった。

 *

 体調不良とされた加古川萌々子は一週間で活動を再開。新曲では自身三度目のセンターに抜擢され、グループとしてのセールスでも過去最高を更新した。

 *

 わたしは萌々子からライブチケットが届いたのをきっかけに、五次元のモテない彼と一緒に推し活を始めた。次のバレンタインまでに彼の方から告白させるべく、おにぎりの修行中である。




 



 
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