第二話 新入り(解説付き)

文字数 1,583文字

 そのような神戸海軍操船所に一人の男がやって来た。

 新入りの男は日焼けで色が黒く体つきはがっしりとしていたが、話すことができなかった。
 色が黒いうえに貝のようにしゃべらないためシジミと呼ばれた。
 シジミは物覚えがよく器用で体力も強かったので皆から一目置かれた。

 しかし、シジミに対し劣等感をいだく者や国では下士の者たちはシジミのことを公然と虐げ馬鹿にした。

 そんなシジミのことをかばい助ける者がいた。土佐藩士の望月亀弥太(*1)である。

 「シジミどの、お怪我はありませんか? 誠にしょうがない連中ですな。
 私も国では下士ですから上士にいびられつまらん思いをよくしますが(*2)、それを他の人を見下すことで晴らそうとは思いません。
 上士といっても関ヶ原の合戦の時に幕府側について掛川から来ただけで、昔からいる長曾我部の者たちを軽んじてよい訳でもなかろうに… 
 これはつまらん話をお聞かせして申し訳ない。世の中から士分軽輩の別や差別が無くなれば良いのですが…」

 シジミと亀弥太は親しくなり、操船の講習では席を並べ実習では協力し合い、その他の時間も共にいることが多くなった。

 1年ほど経ったある日。

 「シジミどのにお伝えせねばならぬことがあります」

 いつもと違い亀弥太の表情が曇っている。

 「私に帰国の命が下りました… 実は私は国での上士による差別根絶を志す勤皇党に加盟しています。戊午の大獄による前藩主の江戸謹慎が解かれ土佐に戻られたのですが、重用していた吉田東洋が勤皇党に討たれたことが露見し粛清を始めたのです(*3)。
 国へ帰るとあるのは投獄と拷問のみ。私は藩を抜け京都へ参ります。
 短い間でしたが、お世話になりました。それでは御達者で」

 翌日の早朝、亀弥太が旅支度を整えて宿舎を出るとシジミが待っていた。



*1 望月亀弥太は幕末の土佐藩士で、土佐勤皇党の一人。神戸海軍操練所生。兄清平は坂本龍馬の友人。
 
*2 関ヶ原の合戦後、少数の山内家・家臣(上士)が多数の長宗我部遺臣(下士)を治めていくことになった土佐では武断統治を徹底した。下士は上士に対して士分だけではなく礼儀から着るもの等に至るまで、細かく差別を設けられた。
・ 履物など 上士は下駄・日傘が使える↔下士は使えない
・ 着物など 上士は絹の着物↔下士は絹の着物禁止(綿の着物のみ)
・礼儀など  下士は上士にへ頭を下げて道を譲る•上士は下士に対して「切り捨て御免」が認められる 等々

  同じ土佐藩の武士でありながら下士は上士からの理不尽な仕打ちに耐えつつ、不満を募らせていった。そしてこの不満は変革を待ち望みながら幕末まで大きく膨れあがっていった。

*3 幕末の頃、藩主山内容堂が吉田東洋(上士)を参政役として、荒廃した藩政を立て直すため改革に乗り出した。
  この頃、尊王攘夷の大きなうねりは土佐藩にも起き、特に下士の間で浸透していった。ここに武市半平太という下士ながら上士格を持つ者が現れ、藩が一体となり尊王攘夷を推進することを目標に土佐勤皇党を結成した。が、吉田には懇願のたびに却下され武市の焦りは募り、ついに強硬手段へと。
  折しも藩主容堂は、幕政における次期将軍継承問題で敗れ、江戸で隠居謹慎に。その隙を突き武市は吉田を暗殺するという暴挙に… 結果的に藩も勤皇党勢力を無視できなくなり、武市はついに藩政を握ることとなった。
  勤皇党の主要メンバーは、そのほとんどが下士身分だったので、これを機に虐げられてきた下士がついに藩政を握り変革の希求が高まった。
  だが、勤皇党の絶頂期もここまでに。江戸の藩主容堂が隠居謹慎を解かれて権力を取り戻し土佐へ戻ったのだった。このときの吉田を殺された恨みは凄まじく、容堂は勤皇党を徹底弾圧した。武市を切腹させ、主要メンバーを片っ端から死罪とし、壊滅へと追い込んでいった。

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