第7話【ウミウシの歌】

文字数 1,984文字

 久し振りに外出した僕は、すっかり変わり果てた世の中に戸惑い、僅か数分で立ち尽くしてしまった。街並みも空気も音も匂いも、五感で感じるもの全てが違っていたのだ。そんな僕に、二足歩行のシュナウザーが葉巻を咥えたまま近付き、煙を吹きかけるようにドイツ語で何やら話し掛けてきた。
 しかし、ドイツ語に明るくない僕には、彼が何を言っているのかサッパリ分からず、途方に暮れるしかない。彼が、酷く怒っていることだけは分かる。喜怒哀楽の表現は、言語の壁を越えて伝達されるものだ。今の僕にとっては、なぜシュナウザーが喋るんだ?ってことよりも、ドイツ語で叱られる理不尽が先に立つ。いや、本当のところは、それ以上に気障な葉巻も癪に触った。
 シュナウザーを無視していると、カマキリにハーネスを付けて散歩させているミーアキャットがやってきて、僕を指差しては、「あーっ!こいつ、人だ!しかも日本人のオスだ!うわー、最悪だ!日本人だ!」と大声で叫んだ。ミーアキャットの不快な甲高い金切り声が僕の居た路地に鳴り響き、どこからともなく杖をついた蛸や年老いたペンギン、サングラスのトカゲ、銀歯の三毛猫が集まってきた。そして、皆が大声で叫び出したからたまったもんじゃない。どうやら、みんな僕に敵意を持っている。
 彼等の叫びは、徐々に「日本人は出て行け!」「人は消えろ!」といったシュプレヒコールへと発展した。違う、僕は何もしていない、ただ散歩していただけ……そんな僕の主張は怒号と罵声に封殺され、動物達は今にも暴力を振るわんばかりに激しく罵り、叫び続けた。

 あれよあれよ何十匹もの様々な動物が集まり、僕は完全に取り囲まれていた。命の危険さえ感じた僕は、とにかくその場を離れることにした。更に増え続ける動物達の群れを掻き分け、ヨロヨロと歩き出した。勿論、目的地などない。向かう先も思い付かないが、そこから離れないといけないのだ。
 キリンの股下を潜り、カタツムリやヤドカリを踏まない様に気を配りながら、僕は歩き始めた。しかし、僕の後ろから、更に激しさを増したシュプレヒコールを上げながら、動物の群れが一糸乱れぬ隊列を組んで付いてくる。傍目には、隊長に続く鼓笛隊のようにも映るだろうが、絶望的に違うのだ。走ろうが歩こうが、一定の距離を保ちながら、剥き出しの敵意を隠すことなく、どこまでも付いてくる。

 やがて、痺れを切らして軽く攻撃を仕掛けてくる動物が現れた。まずは、ウサギのホーランドロップだ。隊列から離れ急に全速力で駆け出すと、一気に僕を追い抜き、振り返るなり大きくジャンプして、僕の太腿にドロップキックを食らわせた。自慢の脚力と鋭利な爪のコラボは強力で、僕のジーンズは真一文字に切り裂かれ、内腿から激しく出血。ウサギは、すぐ様走り去り、隊列に吸収される。動物達の間に、一斉に笑いが起きる。冷ややかな嘲笑と見下した歓声が入り混じる。僕は、痛みを堪えながら歩き続けた。
 しかし、ホーランドロップの攻撃が合図だったかのように、様々な動物達が暴力に訴えだした。キツツキに頭を突つかれ、ミヤマクワガタに指を挟まれ、ドジョウが背中をくすぐり、マイマイカブリが僕の耳朶を齧った。
 それでも、僕は歩みを止めなかった。足も腕も腹も背も胸も頭も顔も首も、身体の至る所が激しく痛む。立っているのも辛い状態だが、足を引き摺り、嘔吐し、血を垂れ流し、よろめきながらも、立ち止まってはいけないのだ。最悪なことに、動物達の攻撃は一向に収まる様子はない。
 しかし、ついにカンガルーの右ストレートをまともに食らった僕は、仰向けに倒れ込んだ。このまま、起き上がれそうにない。動物達が一斉に駆け寄り、輪になって僕を覗き込む。誰かが手足に噛み付いたが、別の誰かがそいつらを引き離す。もう、痛みすら感じない。軽蔑と敵意に満ちた眼差しで、動物達は静かに僕を覗き込んでいる。いつの間にかシュプレヒコールは止んでいた。

 薄れていく意識の中、ボンヤリと見上げた空に、シュモクザメの群れが飛び交っていた。樹齢千年は超えるであろう土筆の大木に、色鮮やかなウミウシが沢山連なり、澄んだコロラトゥーラの鳴声を響かせる。上空から、ポツリポツリと、しめじや舞茸が降ってきた。これはスコールになるぞ!誰かがそう呟くと、動物達は一斉に姿を消した。あまりにもアッサリといなくなり、拍子抜けした。ともあれ、どうにか理不尽な攻撃からは解放されたようだ。
 一人残された僕は、仰向けに寝転がったまま身動き出来ずにいた。身体中が麻痺し、意識が朦朧とする。激しく降り注ぐ茸に打たれながら、入院していた僅か数年で、すっかり様変わりした世の中を恨めしく思った。もう、ここには、僕の知る世界はないのだろうか?
 それでも、ウミウシの美しい歌声だけは、いつまでも聴いていたいと願った。
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