第36話
文字数 2,890文字
地下鉄を降りると、いつもの平和なピントレスの風景が広がっていた。
走り回る子供たちを見ると、なんだか安心する。
さてと、ミカロにはいろいろと話を聞いておかないと。みんなに迷惑をかけているわけだし、それくらいは教えてくれるだろう。
扇を持っていかなかった、か。確かに彼女はクエストをしないときも、買い物をするときでも、まるで親しい友達のように常に扇と行動を共にしていた。
それを持っていかなかったってことはまさか温泉? いやいやそんなわけないだろう。だったら僕はともかくとして、わざわざエイビスを断る必要はないじゃないか。
いつもケンカしているのが原因、と言われれば文句はないのだけれど。
大丈夫かな。また前みたいに知らない男の人に絡まれているんじゃないか。いや、ミカロならいざというときは星を使うだろう。そこは問題なさそうだ。
どうしよう。結構心配になってきた。ファイスはよくあることだと言っていたけれど、あまりに遅い。足を動かさずにはいられない。
その考えが浮び、僕が小動物ぐらいでしか通れないような、幅の狭いレンガの建物の隙間をふと見ると、そこには光に煌めく銀髪が映り込んだ。間違いない。ミカロのものだ。
彼女の顔は見えなくても、僕にはそう思えた。
彼女のような白っぽくも見えるけれど、光に煌めきを見せる銀髪は、すごく珍しいのに加えてあまり見かけない。
自信はないけど行ってみよう。もしかしたら彼女に会えるだろうし。
エイビスは僕の言葉を聞いて顔を僕の背中の方向から飛び出たせ、隙間を覗く。左腕に伝わる柔らかい感触が頭から離れない。いやいや気にしちゃいけない! 彼女はそれに気づいていないのだからっ!
エイビスは僕の右隣りの位置に戻り、歩き始めた。
僕たちは奥の曲がり角へと走り、彼女の姿を探す。けれど彼女の姿も煌めく銀髪も見えない。どこかへ行ってしまったのか。それとも考えのつかないところに移動しているんじゃ。
とにかく、今はホテルに戻ろう。もしかしたら戻っているかもしれないし。
僕の力のこもっている右手に柔らかい感触が走る。僕が見たときには、エイビスが僕の手を包んでいた。
そうだ。彼女の言うように、まだミカロがどんな状況にあるのか決まったわけじゃない。きっと帰って来た僕たちにいつもの勢いの強い言葉をかけてくるに違いない。
けれど僕がワクワクしながら扉を開けた先には、誰の人影もなかった。
いつもと何一つ見え方の変わらない部屋のはずなのに、なぜか僕の心は鉄でも入れられたかのように重たくなった。
エイビスは僕の異変に気が付いたのか、目を震わせ動揺を隠しきれていない僕のことを見つめる。いやいや落ち着け。彼女まで不安にさせてどうする。ここはとりあえず彼女の紅茶でも飲んで、気分転換をして考えよう。話をするのはそれからでも遅くない。
エイビスはドリンクボトルが大量に入っている布袋を彼女のベッドに置くと、いそいでお湯やティーカップの準備を始めた。
僕は手を洗い、彼女の邪魔にならないようテーブルの窓際の位置に座った。
鳥たちが昼日を見て喜ぶように鳴いている。悪くない景色だ。
ミカロ、今どこにいるのだろう。
エイビスは両手で赤く染まった頬を押さえ、首を何度も横に振って僕に考えを伝えてくれた。
そんな僕の褒め言葉に喜びを得ている彼女の顔を見て話すことなど、僕にはできない。けれど、彼女の赤く染まった頬の見える笑顔は、とても綺麗で見ていて僕も自然と笑顔になれた。
エイビスはお風呂場に行き、着替えに移動した。そういえば、以前はいろいろと彼女の着替えに関して事件に巻き込まれてしまったことを思い出す。
1回間違えて彼女がお風呂に入っているときに、お風呂場にやってきてしまったことがあった。エイビスはある意味で歓迎してくれていたけど、ミカロにはすごく怒られたなぁ。おまけにチョップを10発ぐらいくらわされたっけ。記憶に懐かしい。
ごくりっ。美味しい。気持ちが安らぎ身体から無駄な力が抜けていく。
ジリリリリ、と電話が着信を告げる音が部屋中に鳴り響く。誰だろう。もしかしてミカロかな?
僕が声を発したとき、帰って来たのは気持ちの弾む彼女の声ではなく、呑気にも能天気にも聞こえる赤髪の彼の声だった。
同じチームなのに、いちいち呼び出さなきゃいけないのは少し不便に思う。ロビーで会うって手もあるけど、それは移動が面倒だし。
僕は電話を切り、もといた席に戻った。どこに行ってしまったんだ、ミカロ。彼女がここにいないだけで、こんなにも不安で体におもりを背負っているような気持ちになる。
なぜだろう。やっぱりミカロのあの言葉が気にかかっているからだろうか。
“最後に困ったら私がシオンのパートナーになってあげるから”
簡単に言えることじゃない。そういう意味で言えば、ミカロは僕よりもずっと大人で年上のようにも思え、ずっと心の中に残り続けていた。