異世界転生ビジネス始めました
文字数 3,037文字
若さと技術力が自慢だったウチの社長が完全にバグった。突然「異世界に転生する方法がわかった」と言い出したのだ。もう電車やトラックに飛び込む必要はない。そもそも死ななくていい。これは画期的だ。本当に異世界にいける。希望者を募って異世界に送り届ける「異世界転生ビジネス」を始めよう。お金の匂いしかしない、と。
この社長、元々が天才肌のIT起業家って感じで、普段の言動からして変人というか、どこか頭のネジが飛んでる空気はあったが…IT系のスタートアップを創業するような若手エンジニアなんてどこかそんなものだろうとも思っていた。しかし、まさか異世界とか転生ビジネスとか意味不明なことを言い出すとは…。
「社長…少し落ち着いてください」
机が4つだけ置かれた狭い事務所。そのうち二つはもう使ってない。いや、PC置き場として使ってるので、"使ってる人はいない”というのが正確な表現か。サーバーもあるので低めに設定された室温であったが、人が少ないとさらに冷え込む感じがする。
今度は出版業でも始めるつもりですか?と嫌味の一つでも言おうかと思ったが、そこは控えた。大学生バイトの身ながらも、この会社が業績が悪いことは十分すぎるぐらい感じてる。ソフトウェア開発のための人員を確保する予算もなくなり、今はこのおかしな社長がほぼ一人で設計からソースコードまで全てを作ってる状態だ。私は事務も兼ねたデバッグ要員として技術的にはほんの手伝い程度のことしかできていない。
「森下みさきさん、ちょっと僕の話を聞いてもらえるかな?」
社長は唯一となった部下である私のことをフルネームの”さん”付けで呼ぶ。いや、私だけでなく誰に対してもそうだ。これだけのことなのに、なんだか人当たりだけはいい男のようにも感じる。たかだか呼び方一つのことなのに。
以前、常にフルネームで呼ぶ理由を聞いたところ「名前は重要なので常に正確に呼ぶべき」という技術者としてのポリシーらしい。こういったことがあるたびに「これだから変人は」と思うのだが、最近はすっかり毒されたのか感覚が鈍ってしまった。むしろちょっと面白く感じてきている自分がいる。
「えーと、社長?異世界転生でしたっけ?それってチート能力とか設定できるんですか?」
せっかくなのでこのバカみたいな話に乗っかることにした。が、どうも思ったより転生とは地味なものらしい。基本そのままの能力で別の世界に送り込む形なので、特別な能力の付加とかはできないそうだ。ある程度の記憶は持っていける可能性が高いとは言うけど、素の私では特殊能力でもなければ新しい世界でうまくやってける気なんてしない…なんだか真面目に聞いて損した気分だ。
ついつい正直に言ってしまった。
「え?それってつまんなくないですか?」
「そうかなぁ。新しい文化への慣れもあるけど相性がよければ、まぁまぁ楽しめると思うよ」
それにね、と社長が続ける。
「別に能力がそのままでも異世界に転生したい人っていっぱいいると思うんだよね。森下みさきさんはそういうこと考えたりしないの?」
変人のくせして結構痛いところ突いてくるなぁ、この社長。うん、正直言えば前まではそう思ってる時もあった。というかメッチャあった。なんかこのまま大学卒業して社会出るのかーって考えると色々嫌になっちゃう時もあったし。友人関係もゴタゴタしちゃったりで、ちょっと大学もサボりがちになってたしね。ただね、なんだかこの会社でバイト始めてからは、あまり思わなくなったなー。なんかシャクだから言わないけど。
そうだ、そんなことより一番大事なこと聞かないと。
「そもそも、異世界転生ってどういう仕組みなんですか?」
社長は待ってましたとばかりにノートPCを取り出し、説明を始める。
「うーん、簡単にいうとパラレルワールドみたいに分岐した世界線が複数存在していて、、、あ、僕は分岐した世界線を”枝”って呼んでるんだけど、その別れた “枝”に人間の情報を移し替える感じなんだよね。転生って。情報を移すことで、まるで以前からそこにその人間がいたような状態にできるってわけ」
「すみません、枝?分岐?情報?あの??ちょっとよくわからなくて…」
「ITの開発でもソースコードに大きな変更が入って別物になるとき、分岐するためにソースコードをブランチすることあるでしょ?」
真面目に通ってるとは言い難いが、一応大学は情報系の学科なのでブランチの概念はわかる。ソフトウェア開発ではソースコードを複製して枝分かれさせることができて、他の枝に影響を与えないようにそれぞれ平行して変更を可能にすることができるって感じだったけ?
「そうだね。だいたいあってる。ありそうなケースで補足するとね、例えばドラゴンの誕生って、”世界の情報”にとって相当影響の大きい出来事だと思うんだよね。人類が滅ぶ可能性があるぐらい。なので念のためにドラゴンの誕生前に情報を枝分かれさせたんじゃないかな。だから『ドラゴンのいる世界』と『ドラゴンのいない世界』で世界の情報が分岐して存在してると」
情報を枝分かれさせた?って誰が???ダメだ。完全についていけない。
社長はこちらの理解が追いついていないことなどお構いなしにノートPCから目を逸らすことなく話し続ける。
「ただね、まだわからないこともあって、別の世界に情報を移し替えることはできるんだけど、情報を元に戻すことができないんだ。すなわち世界線への情報変更は不可逆。戻すことができない理由は”世界の情報”の管理者でもないかぎりわからないと思う」
わからないって…社長の話のほうが意味わからないよ。この話、どこまで本気にしていのかわからないけど、ただ一つ理解できたことは、それって片道切符の異世界転生ってことじゃん。
「あのー、社長?…さすがに戻ってこれる可能性がなくては、転生する人いないんじゃないですかねー。ほら、異世界が合う合わないとかもあると思いますし。それに片道切符の転生なんて危険すぎますよ。なによりそれじゃ転生が成功したとかどうやって判断するんですか?見に行って確認することもできないですよねー」
笑顔で対応しているが足元が冷えてきた。
サーバーのこともあるのであまり室温を上げすぎるわけにはいかないが、エアコンの設定温度を上げようとリモコンに手を伸ばした。同時に社長がPCの画面から顔を上げてこちらを見る。
「異世界転生を希望する人が…元の世界に戻る気なんてあると思う?」
事務所の室温がまた少し下がった気がする。リモコンを操作し、温度を上げる。しかし…エアコンの風はまだ冷たいままだ。ダメだ、もう帰りたい。社長はまだこちらをじっと見ている。私は動揺を見せないよう、素知らぬ顔で話を続ける。
そ、そうかもしれませんが、転生すると現世からはいなくなっちゃうんですよね?
そんなうまくいったかどうかわからない危険なことテストしないで運用できるわけありませんよ。それどころか誰かを転生させたとしても、現世から人が消えたら自殺幇助みたいな扱いになったりして捕まったりしません?社長は技術者ですよね?ちゃんと動作検証しなくていいんですか?一気にまくし立てる。
社長の回答はシンプルだった。
いや、もう検証は終わってるし、成功してる。
─────僕がここにいるんだから。
了
この社長、元々が天才肌のIT起業家って感じで、普段の言動からして変人というか、どこか頭のネジが飛んでる空気はあったが…IT系のスタートアップを創業するような若手エンジニアなんてどこかそんなものだろうとも思っていた。しかし、まさか異世界とか転生ビジネスとか意味不明なことを言い出すとは…。
「社長…少し落ち着いてください」
机が4つだけ置かれた狭い事務所。そのうち二つはもう使ってない。いや、PC置き場として使ってるので、"使ってる人はいない”というのが正確な表現か。サーバーもあるので低めに設定された室温であったが、人が少ないとさらに冷え込む感じがする。
今度は出版業でも始めるつもりですか?と嫌味の一つでも言おうかと思ったが、そこは控えた。大学生バイトの身ながらも、この会社が業績が悪いことは十分すぎるぐらい感じてる。ソフトウェア開発のための人員を確保する予算もなくなり、今はこのおかしな社長がほぼ一人で設計からソースコードまで全てを作ってる状態だ。私は事務も兼ねたデバッグ要員として技術的にはほんの手伝い程度のことしかできていない。
「森下みさきさん、ちょっと僕の話を聞いてもらえるかな?」
社長は唯一となった部下である私のことをフルネームの”さん”付けで呼ぶ。いや、私だけでなく誰に対してもそうだ。これだけのことなのに、なんだか人当たりだけはいい男のようにも感じる。たかだか呼び方一つのことなのに。
以前、常にフルネームで呼ぶ理由を聞いたところ「名前は重要なので常に正確に呼ぶべき」という技術者としてのポリシーらしい。こういったことがあるたびに「これだから変人は」と思うのだが、最近はすっかり毒されたのか感覚が鈍ってしまった。むしろちょっと面白く感じてきている自分がいる。
「えーと、社長?異世界転生でしたっけ?それってチート能力とか設定できるんですか?」
せっかくなのでこのバカみたいな話に乗っかることにした。が、どうも思ったより転生とは地味なものらしい。基本そのままの能力で別の世界に送り込む形なので、特別な能力の付加とかはできないそうだ。ある程度の記憶は持っていける可能性が高いとは言うけど、素の私では特殊能力でもなければ新しい世界でうまくやってける気なんてしない…なんだか真面目に聞いて損した気分だ。
ついつい正直に言ってしまった。
「え?それってつまんなくないですか?」
「そうかなぁ。新しい文化への慣れもあるけど相性がよければ、まぁまぁ楽しめると思うよ」
それにね、と社長が続ける。
「別に能力がそのままでも異世界に転生したい人っていっぱいいると思うんだよね。森下みさきさんはそういうこと考えたりしないの?」
変人のくせして結構痛いところ突いてくるなぁ、この社長。うん、正直言えば前まではそう思ってる時もあった。というかメッチャあった。なんかこのまま大学卒業して社会出るのかーって考えると色々嫌になっちゃう時もあったし。友人関係もゴタゴタしちゃったりで、ちょっと大学もサボりがちになってたしね。ただね、なんだかこの会社でバイト始めてからは、あまり思わなくなったなー。なんかシャクだから言わないけど。
そうだ、そんなことより一番大事なこと聞かないと。
「そもそも、異世界転生ってどういう仕組みなんですか?」
社長は待ってましたとばかりにノートPCを取り出し、説明を始める。
「うーん、簡単にいうとパラレルワールドみたいに分岐した世界線が複数存在していて、、、あ、僕は分岐した世界線を”枝”って呼んでるんだけど、その別れた “枝”に人間の情報を移し替える感じなんだよね。転生って。情報を移すことで、まるで以前からそこにその人間がいたような状態にできるってわけ」
「すみません、枝?分岐?情報?あの??ちょっとよくわからなくて…」
「ITの開発でもソースコードに大きな変更が入って別物になるとき、分岐するためにソースコードをブランチすることあるでしょ?」
真面目に通ってるとは言い難いが、一応大学は情報系の学科なのでブランチの概念はわかる。ソフトウェア開発ではソースコードを複製して枝分かれさせることができて、他の枝に影響を与えないようにそれぞれ平行して変更を可能にすることができるって感じだったけ?
「そうだね。だいたいあってる。ありそうなケースで補足するとね、例えばドラゴンの誕生って、”世界の情報”にとって相当影響の大きい出来事だと思うんだよね。人類が滅ぶ可能性があるぐらい。なので念のためにドラゴンの誕生前に情報を枝分かれさせたんじゃないかな。だから『ドラゴンのいる世界』と『ドラゴンのいない世界』で世界の情報が分岐して存在してると」
情報を枝分かれさせた?って誰が???ダメだ。完全についていけない。
社長はこちらの理解が追いついていないことなどお構いなしにノートPCから目を逸らすことなく話し続ける。
「ただね、まだわからないこともあって、別の世界に情報を移し替えることはできるんだけど、情報を元に戻すことができないんだ。すなわち世界線への情報変更は不可逆。戻すことができない理由は”世界の情報”の管理者でもないかぎりわからないと思う」
わからないって…社長の話のほうが意味わからないよ。この話、どこまで本気にしていのかわからないけど、ただ一つ理解できたことは、それって片道切符の異世界転生ってことじゃん。
「あのー、社長?…さすがに戻ってこれる可能性がなくては、転生する人いないんじゃないですかねー。ほら、異世界が合う合わないとかもあると思いますし。それに片道切符の転生なんて危険すぎますよ。なによりそれじゃ転生が成功したとかどうやって判断するんですか?見に行って確認することもできないですよねー」
笑顔で対応しているが足元が冷えてきた。
サーバーのこともあるのであまり室温を上げすぎるわけにはいかないが、エアコンの設定温度を上げようとリモコンに手を伸ばした。同時に社長がPCの画面から顔を上げてこちらを見る。
「異世界転生を希望する人が…元の世界に戻る気なんてあると思う?」
事務所の室温がまた少し下がった気がする。リモコンを操作し、温度を上げる。しかし…エアコンの風はまだ冷たいままだ。ダメだ、もう帰りたい。社長はまだこちらをじっと見ている。私は動揺を見せないよう、素知らぬ顔で話を続ける。
そ、そうかもしれませんが、転生すると現世からはいなくなっちゃうんですよね?
そんなうまくいったかどうかわからない危険なことテストしないで運用できるわけありませんよ。それどころか誰かを転生させたとしても、現世から人が消えたら自殺幇助みたいな扱いになったりして捕まったりしません?社長は技術者ですよね?ちゃんと動作検証しなくていいんですか?一気にまくし立てる。
社長の回答はシンプルだった。
いや、もう検証は終わってるし、成功してる。
─────僕がここにいるんだから。
了