第5話 告白

文字数 2,992文字

 靖穂(やすほ)恋志穂(こしほ)が囲む食卓には出来合いの食事がいつも並んでいる。
どこそこのこだわった食材を使った、どういった有名店のものか、何度も何度もきかされていたが恋志穂(こしほ)は覚える気になれなかった。
それはいつものことだ。いつものことだったが、恋志穂(こしほ)は、いつもよりか幾分か軽く思える頭で口を開いた。

「お母さん。つくってくれたご飯が食べたい。前みたいに」

期待をこめて恋志穂(こしほ)靖穂(やすほ)へ目を向けた。

「何、言ってるの? もう、あんな生活しなくていいんだから」

彼女の母は何の興味も示さず、当然のようにこたえると続けた。薬を飲みなさい、と。
恋志穂(こしほ)はうなずくと黙ってのみこんだ。発せなかった言葉は胸のあたりに重く残った。
早々に食事をすませ、晴れていることはわかるが、それ以外は何も感じない道を図書館に向かって歩く。
相変わらず透明な板が目の前にあるようで世界が遠い。

「こんにちは」

道の向こうからやってきた菖蒲(あやめ)に声をかけられ恋志穂(こしほ)は小さくあいさつを返した。
不思議だな、と彼女は思う。厚みがなく見える世界が菖蒲(あやめ)の周りでは、くっきりと縁どられるからだ。
彼の整った容姿のせいだろう、と彼女は考えた。
ふと気がつくと自分が黙ったままだったことに幾ばくか焦りを感じ、恋志穂(こしほ)は声を発する。

「働かなくていいの?」

言って、何をきいているのか、と自分でもあきれたが菖蒲(あやめ)も顔をしかめている。

「働いていますよ?」
「妹から罵倒されるって言ってたから」
「そうですね、妹って生意気なものですから」

菖蒲(あやめ)はくすくすと笑う。その様子に恋志穂(こしほ)は、ほっとした。

「ここではなんですから。少し、いいですか?」

もっと話したい、というよりは彼の周りではなぜか世界が厚みを失わない。そういった理由から恋志穂(こしほ)は彼の申し出を承諾した。

 ごく普通のファミレスで席に着くと、恋志穂(こしほ)は困ったように菖蒲(あやめ)を見る。
 
「こういうお店ってわからない。いっつも母は高いところばっかり」
「程度低いって言わないでくださいね。僕、安月給ですから」
「それって、彼女から?」
「いいえ。父からです。プライドばっかり高いんですよ。自分と食事するのに、こんな店なのか、とかね」

菖蒲(あやめ)はため息交じりに伏せていた目線をあげるとほほえんだ。

牛天寺(ぎゅうてんじ)さん。会話をしましょう。質問は会話じゃありませんよ」

菖蒲(あやめ)の言葉がぐさり、と恋志穂(こしほ)の胸に突き刺さった。
彼はくすくすと笑いながら続ける。

「まあ、これ伯父さんの口説き文句なんですけどね」
「え?」
「僕はこれでめろめろです」

菖蒲(あやめ)はおどけた調子で言うと穏やかに続ける。

「ある意味で職業病ですよね。牛天寺(ぎゅうてんじ)さんの、その質問攻め」
「そうだと思う」
牛天寺(ぎゅうてんじ)さん、あなたがしているのは『 予言 』ではありませんね。大量の質問から推測する予想、言ってみれば医者の診察と同じです 」

恋志穂(こしほ)は小さくうなずき、はっきりとした声音で言った。

「私は罪に問われるの?」
「いいえ。僕たちは特課(とっか)陰陽庁(おんみょうちょう)の心霊事件を扱うところに所属しています。だから、害がないなら放っておきます」

菖蒲(あやめ)の意図を図りかねて恋志穂(こしほ)はわずかばかりに眉をよせて彼を見やる。
彼は柔和な笑みで返した。

「だって、効率悪いじゃないですか。さっさと次の件にとりかかった方がいいです」

菖蒲(あやめ)は、どうしてか人手不足ですし、と付け加えて続ける。

牛天寺(ぎゅうてんじ)さん。あなたがやめたいなら、もういいんですよ」

恋志穂(こしほ)は目を伏せた。磨き上げられたテーブルにぼんやりと自分が映っている。
輪郭のあいまいなそれに自分はこの通りだな、と思う。
最初は、と彼女は口を開いた。祖母に言った、と。

「おばあちゃんは父が亡くなってから母をいじめていた。私には優しくしても嫌いだった。でも、おばあちゃんを嫌うと母がもっといじめられるから好きなふりをしてた。だから」

恋志穂(こしほ)は顔をあげ菖蒲(あやめ)をまっすぐ見つめる。

「言ったの。おばあちゃんは事故で死ぬって。心配してるふりをして、毎日、毎日、言い続けた」

恋志穂(こしほ)は軽蔑される、と思った。きっと彼も今までとは違う態度をとるだろう、そして自分はそうされるのがふさわしいのだ、とあきらめに近い境地で菖蒲(あやめ)を見つめて続ける。

「そうしたら、死んだ。偶然、交通事故で。でも、きっと、私がずっと言っていたせい。そういうことがあるって本に書いてあった」

菖蒲(あやめ)は目をぱちぱちとさせ、優し気に恋志穂(こしほ)を見つめる。

「話してくれて、ありがとうございます。つらかったでしょう」

どうしていいかわからず恋志穂(こしほ)はまた目を伏せた。テーブルに映る自分はゆがんでいる。
母は、と恋志穂(こしほ)は思う。いつも謝っていた。クローゼットはからっぽで、いつも同じ服だったのだ。
けれど、と彼女は思う。

 ── 何、言ってるの? もう、あんな生活しなくていいんだから

クローゼットはもう、いっぱいなのだ。

 昨日と同じ暗い道を菖蒲(あやめ)と歩き、恋志穂(こしほ)は帰途についた。
別れを告げて家に入ると靖穂(やすほ)はいない。菖蒲(あやめ)につられて食べた食事はおいしかった。
飲むはずの薬を飲めそうになく恋志穂(こしほ)はそのまま眠りについた。

 翌日は晴天が続き気持ちの良い風が吹いている。朝の特別メニューが終わったコスモバーガーの店内で鷹司(たかつかさ)菖蒲(あやめ)は食事を終えていた。

「意外といけるもんだな」

朝のメガメニューをぺろりと平らげた鷹司(たかつかさ)菖蒲(あやめ)は目を丸くした。

「適応早いですね。おじいちゃんなのに」
「おう。それで、だ。俺が『 予言 』してもらおうと思う。食ったら行くぞ 」
鷹司(たかつかさ)さんがですか?」

驚きよりは心配そうな菖蒲(あやめ)に彼は、にっと笑って見せた。

「安心しろ。あたるわけ ──」

言い終わらないうちに彼の携帯が鳴った。着信画面には「金扇」と出ている。
鷹司(たかつかさ)は席を立つと外に出た。

「先生、こんにちは」

電話の向こうから年こそ取っているが、よく知った教え子の声が返ってくる。

「おう。どうした?」
「きいちゃダメです、『 予言 』 。今日、先生がしてもらうんですよね?」
征士郎(せいしろう)が言ったのか?」
「いいえ。見えちゃいました」

鷹司(たかつかさ)の問いにすまなそうに、けれど、どこかいたずらっぽく返ってくる。

「さすがだな。どういうことだ?」
「せっかく菖蒲(あやめ)が働きだしたのに私が教えちゃっていいんですか?」
「親も大変だな。じゃあ、要点だけでいい。牛天寺(ぎゅうてんじ)恋志穂(こしほ)の『 予言 』 はあたらねえって報告するつもりだ。『 予言 』 じゃねえからな。それで問題ないか?」

鷹司(たかつかさ)が、お前の息子もそのつもりだ、と付け加えると電話の向こうで悩んでいるような唸り声がきこえてくる。遠くから彼女の名前を呼ぶ声がしたかと思うと電話の主が変わって男の声になった。

菖蒲(あやめ)?」
「の相棒だ。霞末(かすえ)の色つき」
鷹司(たかつかさ)か。八喜子(やきこ)の言ったことは無視していい。君たちの仕事だ。一切、口を出さない」

妻にもよく言っておく、と電話は切れた。
店内に戻った鷹司(たかつかさ)菖蒲(あやめ)の顔をまじまじと見つめる。

「父親の方が厳しいんだな。意外すぎる」
「なんですか? 糞親父がどうかしたんですか?」
「いや。行くぞ」

二人は恋志穂(こしほ)の自宅に向かった。

 いつもの通り恋志穂(こしほ)靖穂(やすほ)からリビングで説明を受けていた。会話ではない。
質問は会話ではない。その言葉がぐるぐると彼女の頭の中で回っている。
巫女服へ着替えを始めない彼女に靖穂(やすほ)は眉根をよせた。

「今日は『 予言 』 をしてほしい人が来るのよ?」

恋志穂(こしほ)は、はっきりとした頭で母の顔を見つめた。頭はもう、重くない。

「私は、もう『 予言 』 なんてしない。私にはできない」

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み