Rock this town 1/2話

文字数 4,576文字

 ママチャリのペダルが重い。一回、また一回と、踏みしめるようにしてペダルをこぐ。進行はゆっくりだ。こいでもこいでもなかなか進まない。右へ左へ揺れるハンドルを、左へ右へと戻してバランスをとった。
 坂道を前にするとき、ミナミデはいつも迷う。自転車を降りるべきか、降らざるべきか。
(行けるだろ)
 そう思って進むのだけれど、すぐにまた迷い始める。
(このまま乗っていたほうがラクなのだろうか。いや、これは歩いたほうがラクかもしれない)
 段々と弱気になっていく。
 それでも今さら後には引けない。腰を浮かし、思いっきりペダルを踏みおろす。油断すると後退しそうになるから、重心は常に前へ前へと傾けなければならない。
(前のめり。望むところだ)
 余計なことも考えながらやっとのことで上りきる。
 太ももが強張っていた。違和感をごまかすようにゆっくりとペダルをこぐ。そうやってまた、ミナミデの乗った自転車はノロノロと進んでいく。
 この街の朝は遅い。24時間営業のコンビニや街の外へと出かけてゆく人は別として、総じて寝坊を決め込んでいるかのような街だ。ここではランチタイムから営業を始めるカフェが最も早くに開いている店で、ずらっと並ぶ古着屋や雑貨店は、午後になってやっとシャッターがあげられる。
 そしてこの街の夜は驚くくらいに長い。閉店時間が29時を超える店もたくさんある。チュンチュンと鳥がさえずり、カラスがゴミ袋を狙う中、会社や学校に行くため駅へと向かう人もいれば、千鳥足、カタツムリの速さで家に戻っていく人もたくさんいる。
 この街では毎日がそんなふうに動いている。一年を通して独自の時間軸で暮らす人が多い街。バンドマンや芸人、アーティストや美容師、個性的な店を開く人たちに好まれる街。ちょっとおもしろくて、ちょっとロックで、ちょっと不思議と謎を匂わせる街。ここはそんな街だった。
 街を出る人は大方出尽くして、太陽が人影のない道路を照らす時間、朝帰り連中も無事布団に収まってスライドになった今日の出来事が脳内で仕分けされているころにミナミデは自転車に乗っていた。決して早起きとは言えないけれど、この街にあっては早くから活動を開始している部類の一人だと言える。
 昼前に起き、街をパトロールする。いつの間にかできていた休日の日課を、ミナミデは今日も実行する。
 パトロールと言ったが、することはほとんど縄張りのマーキングのような行動だ。お気に入りの公園を抜け、行きつけの店に顔を出す。珍しい商品が入荷していたら購入することもあるけれど、たいていは代わり映えのしないラインナップを眺め、「また来る!」とだけ言い置いて店を出る。それから激安スーパーに寄り、大袋のウインナーを買って、タラタラと来た道を戻る。それだけのことだ。
 判で押したように、おなじ時間におなじ行動を続けているけれど、ときどきは、そうでないこともある。長いこと探していたビンテージのソフビの入荷に大枚をはたいたり、新発売の食玩にわくわくしたり、帰り道の見慣れた景色すら輝いて見えるような日もたまにはある。今日がそんな日であって欲しいと思いながら、ミナミデはおもちゃ屋へと自転車を走らせた。
 駅はもうすぐそこに見える、ロータリーの端まで来たときだった。
「あっ」
 思わず声がでた。目の前を歩いて来たばあちゃんが転んだ。慌てて自転車を降り、駆け寄るミナミデの横を自転車がすり抜けていく。
「ば、バッグが!」
 ばあちゃんは尻もちをつきながら、走り去る自転車を指さした。ハンドルの下に小さなバッグが揺れている。ばあちゃんのすぐ後ろに見えていた自転車の男が、追い抜かしざまに、ばあちゃんの提げていた小さなバッグを引ったくった。そんな感じだった。
 ミナミデは反射的に自転車に飛び乗ると、遠ざかっていく自転車を追う。通りを歩く人影はほとんどない。追われることなどないと犯人も思っているのだろう。さほどスピードも出さずに走っていた。
(すぐに追いつける)
 ミナミデも思ったけれど、ゆっくりゆっくりと歩いている老夫婦と路上駐車の車のあいだに挟まれて、思うように進めない。足で地を蹴るようにしてノロノロと、幼児の三輪車よりも遅いくらいの速度で進む。
「ああ、くそっ」
 イラつくミナミデの声にチラリと自転車の男が振り返った。いや、ニット帽の頭がかすかにミナミデのほうを見たような気がしたけれど、ただの偶然かもしれない。男が動じた気配はなかった。
 見失ってしまわないように目だけで男を追う。少し先に店先を掃いている若者がいた。そいつのいる、こじゃれた美容室の角をするりと、自転車は曲がって行った。
 路上駐車の車の脇を抜け、やっとのことで老夫婦を追い越したミナミデは思いきりペダルを踏んだ。いきなりのダッシュに太ももにビリッとした痛みが走ったのを感じる。一瞬、身体の力が抜けかけたけれど止まってはいられない。自転車の男を逃がしたくはなかった。ミナミデは痛みを無視して力いっぱいにペダルをこいだ。
 昔はこんなじゃなかった。走りながらミナミデは思った。ケイドロだって、見つかって追いかけられても、いつも振り切って逃げられたし、捕まってるやつを逃がしに行くのもミナミデの役目だった。それなのになんだ、今は自転車をこいでいるだけで足がつりそうになる。
 三十を過ぎて、全力疾走するような機会はまったくなくなっていた。運動不足だと、考えなくてもわかった。
(ひったくりごときに逃げられてたまるか)
 ミナミデは全力でペダルをこぐ。
「ひぃっ」
 掃除のおにいちゃんが大袈裟に驚くのにビックリしながら美容室の角を曲がる。自転車がザザっと砂を巻き上げた。掃除のおにいちゃんといい、小回りが利かないママチャリといい、最近はいろんなものが急な動きに対して必要以上に敏感だ。
 先を行くはずの自転車は見えなかった。右に左に路地を覗き込みながら進む。
「いた!」
 焼鳥屋の看板の向こうを右折した自転車を、かろうじて目撃した。ミナミデはガッと力任せにペダルを踏み込む。限界以上の力でペダルをこぎ、追いかけるように右折すると、ゴミ収集車に行く手を阻まれ止まっている自転車に追いついた。
「ふざけてんじゃねえぞ、ばあちゃん転んでたじゃねぇか!」
 自転車を飛び降り、男の二の腕を掴む。自転車から身体をむしり取るようにして引きずりおろした。ミナミデは息切れがしていて言葉が続かない。そんな状態ではあったけれど、無言がかえって凄みを増したのか、ひょろっと細長い男は抵抗することなく簡単に捕まった。男の手から小さなバッグが落ちる。
「おまえなぁ」
 なかなか整わない息に、ゼイゼイと言葉を途切れさせながらミナミデは話した。
「弱そうなばあちゃんから盗るな。もっと別なのがいるだろう、汚い金を持ってそうなおやじとか、鉄槌を下すべき相手とか、狙うならそういうのにしろ。それだっていいことじゃねえけどな、まだましだ。弱いものからってのが一番よくない」
 十代、もしかしたら高校生かもしれない。目深に被ったニット帽も、痩せていてすっきりした頬やシャープなあごも、全体的に幼く見える。グレーのスウェットズボンに黒のウインドブレーカーという姿で、いまどきはどこにでもいるふつうのヤツの格好をしているけれど、ミナミデが子供のころにはコンビニ強盗の典型だってイラストに描かれていたような服装だった。没個性が一番目立たないってことなんだと、バンドをするようになって気が付いた。
(そのわりにはコイツ、ちょっとかわってるな)
 男の自転車を見て思う。タイヤが太くハンドルも大きいのにフレームは細目でシンプル。ミナミデのママチャリとは明らかに異なる個性派自転車だった。
「かっこいい自転車に乗ってんだなぁ」
 ミナミデが思わずそう言うと、男は口元をニヤッとさせた。まるっきり子供の笑い方だった。
「まあ、オレが言いたいのはそういうことだ。わかるな?」
 ミナミデは無理矢理、話を元に戻して訊ねる。男は小さく頷いた。
「ならいい。行けよ」
 掴んでいた腕を放してやっても、男はすぐには立ち去らなかった。なにか言いたそうな感じでミナミデの顔を見ている。
「なんだ?」
 もう一度訊ねると男は、今度は左右に小さく首を振って、自転車を起こした。見守るミナミデに、またもや小さく頭を下げる。男は自転車を押して数歩行ったところでやっと、ドカッと自転車に腰を下ろしサッと地面を蹴ると、それからはもう振り返ることもなく去って行った。
「やれやれ」
 親父くさい言葉を吐きながら小さなバッグを拾い、転がっている自転車を起こすと、ミナミデも自転車にまたがった。太ももにはイヤな張りが感じられる。
「まいったな」
 恐る恐る、ノロノロと自転車をこいだ。
 ゆるい坂を妙に熱くなった足の様子をみながら上り、駅前のロータリーまでやってくると、さっきのばあちゃんの傍らには警官が二人立っていた。ミナミデの視線に気が付くと、ばあちゃんをその場に残し、小走りで近づいて来る。
「そのバッグは?」
「ばあちゃんのだ。取り返してきた」
「誰から?」
「しらねぇよ。若い男だった」
「……」
 警官は顔を見合わせた。イヤな顔をしている。まるでミナミデが犯人だと言わんばかりの顔だ。
「おばあちゃん、これはおばあちゃんのバッグ? 一応、中身を確認してくれる? 財布だとか貴重品だとか」
 警官の一人が、ぽつんと立っていたおばあちゃんの元へと戻り、大きな声を出している。
「それ、あたしのバッグだよ」
「だから確認して、中身!」
「財布だよ。保険証も入ってる」
 耳が遠いのか、混乱しているのか、ばあちゃんが警官の質問とは少しずれた言葉を返しているのが聞こえる。
「念のため訊くんだけど、キミが盗ったんじゃないよね」
「盗ってねえよ」
「キミの友達でもない」
「あたりまえだ」
 こちらもおなじく、とんちんかんな会話をすることになった。
「あー、あー、目撃者確認できました」
 警官が手にしていたトランシーバーが洞窟の中で話しているような声を発した。
「それで?」
 警官が応答する。
「犯人はニット帽の男。追いかけてきたバンドマン風の男が捕まえていた。自動ドアを拭いていた古着屋の店員が一部始終を見ていたと言っています」
「あー、了解」
 ザーザーと耳障りな音を挟みながら会話はすぐに終わった。
「バンドマン風が捕まえた……ね、キミのことか?」
 警官はミナミデの姿をまじまじと眺めて言った。
(まったく、やってらんねぇよ)
 言葉にはせず胸の中だけでミナミデは悪態をついた。
「もう行っていいよな」
 思いを飲み込み、できるだけ静かな声で問う。
「ああ、悪かったな」
 ミナミデはもうなにも言わずにのっそりと自転車をこぎ始めた。
「どうもありがとうね」
 すれ違うミナミデに向かってばあちゃんがかけてきた声に、ミナミデはしかたねぇなという気持ちになる。そしてだいぶ遅れたけれど、いつものパトロールに戻ることにする。いつもよりもゆっくりと走る自転車でミナミデはおもちゃ屋へと向かった。
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